中邑真輔 VS 飯伏幸太 熱狂空間を生むミックスアップ~狂気・欲望・刺激・覚醒… 二人が辿り着いた唯一無二の極限プロレス~(2015.1.4新日本東京ドーム大会・IWGPインターコンチネンタル戦)
2010年代のベストバウト
2018年12月、日刊スポーツ連載で「俺の平成バウト1.4」という企画があった。これは平成最後のイッテンヨンとなった2019年1月4日東京ドーム大会に向けて主要選手にイッテンヨンでのベストバウトを語ってもらう内容。
飯伏幸太がセレクトしたのは2015年1月4日の中邑真輔戦だった。
「技とかそういうのではなくて、体力、精神、すべてを出し切ったという感じ。中邑さんもそうだったと思う。やっていて感じました。出し切って負けたので、ものすごいすっきりしました」
【飯伏幸太、15年中邑と死闘「すっきり」/ドーム連載・2018年12月26日・日刊スポーツ】
そして彼はこう言い切った。
「プロレス人生のベストバウト」
思えば2015年1月4日の中邑VS飯伏は、プロレス史に残る2010年代におけるトップクラスのベストバウトだった。
"キング・オブ・ストロングスタイル"中邑真輔
2002年に新日本でデビューした中邑真輔は、過去に例を見ないスーパールーキーだった。青山学院大学レスリング部出身で総合格闘技の経験を持つ彼は新日本が強さを持つ次代のエースとして猛プッシュされることになる。デビューから1年後の2003年12月には史上最年少23歳9ヶ月でIWGPヘビー級王座を獲得。新人レスラーがいきなりメジャー団体最高峰の王者となる…それはプロレス史に残る大事件だった。
その後、中邑は棚橋弘至とともに新日本を支える二大エースであり続けた。棚橋が真っ赤に燃える太陽なら、中邑は闇に光る月のようだった。
IWGPヘビー級王座3度戴冠、G1CLIMAX2011優勝、IWGPインターコンチネンタル王座5度戴冠など新日本だけではなく、プロレス界で燦然と輝く実績とさまざまな対戦相手との名勝負を残してきたのが中邑である。人は彼を「キング・オブ・ストロングスタイル」と呼ぶ。
"ゴールデンスター"飯伏幸太
2004年にDDTプロレスでデビューを果たした飯伏は早くからインディー団体が生んだ希望の星だった。恵まれた運動神経とルックス、格闘センスはまさに21世紀に現れた初代タイガーマスク。また、路上プロレスや奇天烈な行動でプロレス界の異端児として注目を集めてきた。
新日本プロレスには2009年から参戦し、2011年に他団体選手初の「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」制覇を果たし、2013年には新日本&DDT二団体所属選手となり話題を呼んだ。
さまざまな奇っ怪に見える行動や危険すぎるプロレスもすべてはプロレスを世間に届けるための手段と考え、プロレス伝道師としてリングに上がる男。人は彼を「ゴールデンスター」と呼ぶ。
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