秋です。家父長制による男性の生きづらさを解体しよう。
国連が家父長制を解体しようというツイートをして、そもそも日本にもう家父長制はない、検討違いなこと言うななどと叩かれているみたいです。国連が口を出すようなことかはわかりませんが、日本は現代でも家父長制に縛られていると思います。
家父長制は一家の長である男性が家族を経済的にも精神的にも支え、妻や子はそれに従うというものです。家父長制の反対は男性の支配にNOと言う、いわゆるフェミニズム的な思想ともとらえられがちですが、家父長制により苦しめられているのは女性だけではなく、むしろ男性のほうです。
まず第一に男性に求められる役割が重いです。妻子、場合によっては兄弟姉妹、祖父母世代までの生活の面倒をみるとなるとそれなりのお金が必要になります。しかし、手取りが20万以下のことも珍しくない現代の日本男性にそんなこと可能でしょうか。昭和の時代より社会保険料も年金も子供の教育費も上がっています。お金をたくさん稼げて、心身共に健康で、家族の精神的支柱にならなければなりません。そこまでのことができる強い男性がどれだけいるのでしょうか。そうなれなかった男性はどうすればいいのでしょうか。
現代の若い男性は昔に比べて男らしくない、といった単純な話ではありません。昔だって能力の低い男性はたくさんいました。そういった人たちは子供のころから周囲より劣っている、という自己否定感を持ちながら育つことになります。もちろん女性でも男性と同じように、どうして自分は周りより勉強ができないのかとか、運動ができないとか、見た目がよくないとか、劣等感で悩むことはあります。しかし、男性と女性ではプライドが傷つけられたときの反応が違います。プライドが傷つけられた男性は理不尽に怒ったり、他人を傷つけることがあります。衆目をはばからず怒鳴っている高齢男性なんかはそれにあたりますね。それだけ周囲の人間、社会から求められている男像に自分がなれない悔しさ、それが人にさらされてしまう恥ずかしさは強いのです。そして傷ついた男性の先には自傷、あるいは他害があります。
日本でノーベル賞をとる人がみな男性なのをみれば、男性が女性より優秀な人が多いのは明らかですが、一方、刑務所に収監されているような犯罪者、特に重刑者も圧倒的に男性が多いです。女性は全体として平均的ですが、男性は極端に差があるといえます。犯罪者には学習障害など生まれつき平均より低い能力しか持っていない人も多いです。つまり、家父長制の存在は劣った男性たちのプライドを傷つけ、自傷あるいは他害に向かわせるのです。センセーショナルな大量殺人事件が起きれば、人々は「どうしてそんなひどいことをしたんだ」とか「そんなやつは死刑にしろ」とか言いますが、この辺りに動機があるのではと思います。追いつめられた弱者男性が自殺する代わりに社会にいる人たちを殺して復讐した気になっているのです。
そもそも日本の家父長制は武家や貴族など一部の伝統的な家にあったものが、明治維新以降、欧米的価値観として庶民にも広がっただけです。狩猟採集時代も農耕時代も日本人は男女ともに集団で協力しあって食いぶちをつないできました。男性だからお金を稼がないといけないとか、家族を支配するような強さがないといけないということはありません。お金は稼げる人が稼げばいいし、頭が悪くても体格に恵まれなくても男としての価値が下がるということはありません。妙なプライドは捨てたほうが男性は生きるのが楽になると思うし、女性も支配的な男性がいなくなって幸せになれると思います。