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さくぶんが、うまくなりたい。

しゃべるのが好きなくせに、頭の回転が遅いからしゃべるのは下手だ。しゃべってる内容を書き起こせば、めちゃくちゃなことばかり言って、中身がすっからかんなのがバレてしまう。

だから、作文が苦手だ。文章が書けないくせに、よくもまあ文学部の端くれを名乗れたものだ。中身の無さがすごい。高校生の頃、塾の先生が「世界史出来ない文系は、数学できない理系くらい苦労する」と言っていたのを思い出す。苦労した。文章も書けず世界史もさっぱり出来なかったから、めちゃめちゃ苦労した。

でも。でもきっと、数学のできない理系の人だって、あんまり走れないスポーツ選手だって、立派に居場所を獲得しているんじゃないだろうか。数学は出来ないけどすごく実験が好きでめげないとか、走れないけどめっちゃ重いものは持ち上げられるとか。得意分野を上手に見つけている人はたくさんいるのだろう。

そんな風に僕も得意分野を見つけて活かしたかったが、できないまま卒業した。本当に悔しすぎて、不甲斐なくて、東京からも、地元からも、全てから距離を置きたくなって、気付いたら小豆島に来ていた。でもしばらくして、あることに気付いて酷く後悔した。

インプットとアウトプットがどんどん減っていくのだ。

この島ではひとりになろうと思ったらすぐになれる。入ってくる情報を簡単にシャットアウトできる。TVやネットはあるけど、(言葉がかなり悪いが)島民の「人種」が違った。島民は釣りとゴルフと家庭菜園に関してはすごく詳しそうだったが、僕はどれにも興味がなかった。僕が大好きな音楽や映像作品、そういった文化に関しては、最新のものはかなり遅れて入ってくる。(そしてこれは島に限らないかもしれないが、)それらの文化に関して思ったことを伝える相手もいない。理解してくれる人がなかなかいない。

いろいろ、距離を置きすぎた…。そう思った。まず沸沸と湧いてきたのはインプット欲。映画が観たい。それも映画館で観たい。新作が観たいのとともに、あの劇場空間そのものが恋しすぎる。島には「二十四の瞳」を朝から晩まで回す狂った映画館しかない。(もちろん嫌いでは無いが。)映画館を求めて島から出て行くばかりの週末。何のために島に来たのかまじでわからない。でもそれで満足していた。「観る」ことが大事だと思っていたから、満足していた。しかし。

最近、やはり虚しくなってきた。アウトプットをしなさすぎたのだ。圧倒的なアウトプット不足。気付いたきっかけは、島の珈琲豆焙煎所だった。

加納珈琲さん。このHPと、ここで公開されている「ニュースレター」をご覧いただければなんとなく分かるように、加納さん、まじで化物である。アウトプットの化物。実際、とにかくよくしゃべる。で、話がかなり面白い。そんな加納さんの作った「ニュースレター」も良すぎる。表面では珈琲豆の話、裏面では自分の好きな本・映画・音楽を紹介していて、表も裏もめちゃめちゃ面白い。文字びっしりなのに、何故か読める。感化された。自分が文章を書くことから逃げていたことを、思い出さずにはいられなかった。今すぐにでもアウトプットをしなければ。いろいろインプットしても、そのうち何も感じなくなってしまう。それは嫌だ。その気持ちが、苦手なことと向き合う力をくれた。

そんなこんなで、noteを始めたというお話でした。

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