一泊1500円の宿が僕の人生を変えた
「泊まるところがない…」
学会先のベルリンにその日ついた僕は、美しい夕暮れの町並みの中、途方に暮れていた。
これは約10年前の夏、僕が大学院生のころのお話。
TOEIC 500点代の英語もろくに話せない僕の初めての一人海外。
短期留学で訪れた念願のドイツ。
留学の交換条件の学会参加のため一人ベルリンに来ていた。
言い訳に過ぎないが留学の準備が忙しくてホテルの手配していなかった。
「一人だし大丈夫だろう。」と安易に考えていた。
しかし、ベルリンの町中で宿泊施設を探すもホテルはどこも満室。それもそのはず、学会は数百人規模。さらに運悪く教皇のベルリン訪問とタイミングが重なっていて、町は旅行者で溢れていた。
最初は楽観的にベルリンの町並みを楽しんでいた僕も徐々に状況を理解してきた。
「やばい、まじでやばい…」
数時間で10件は回っただろうか。歩き疲れて最後に望みをかけて訪れたランドマークの高級ホテルは、空室はあるものの一泊160ユーロ。自費で4泊する僕は泊まれるわけもなく、優しく微笑むロビーのお姉さんの前でたちすくむ。
途方にくれてホテルを出て、次のアテもないまま歩き出す。その頃には日も傾き始めていた。
「駅なら一晩過ごせるかな」
治安感のない僕はそんなことを考え始めていた。
とぼとぼと街を歩いていると、オープンで明るい受付がありそこがホテルなのか確証もないまま、藁にもすがる思いで受付を尋ねる。受付にいたのは、明るい小柄なお姉さんだった。
下手くそな英語で尋ねる僕
僕「ハウマッチ?」
お姉さん「一泊サーティーンユーロよ」
僕「サーティー?めっちゃ安いじゃねえかよ!」
お姉さん「ノーノー13ユーロよ、30でもいいけどね!」
喜んだ僕は即決、お金を払い部屋を案内してもらうところで初めてここがドミトリーであること理解するのである。ドミトリーとは近年日本でもメジャーになってきた、大部屋にベッドが複数置かれていて、バス・トイレは共通というバックパッカー向けの格安宿である。
案内された部屋は大きな部屋が2つぶち抜きで二段ベッドが並んだ明るくきれいな部屋だった。12人部屋、しかも男女混合である。
歩き疲れていた僕は指定されたベッドに荷物を下ろす。野宿を避けれた安心感と、もう歩かなくて良いうという思いから僕も荷物に引っ張られてベッドに座り込む。
その時、人がいないと思っていた向かいの2段ベッドの上方から突然声をかけられた。
???「よお、今来たところか」
驚いた僕はそちらを向く。ラテン系だろうか、短髪で小柄、薄黒い彼は、いかついピアスを両耳にぶら下げてこちらを見ていた。
僕「今来たとこ、めっちゃ疲れたよ」
???「ははは大変そうだな、どこの国から来たんだ?俺はブラジルから、名前はパウロ」
僕「俺は日本から、名前はまる。」
パウロ「よろしくな、これから出かけるのか?」
僕「そうだね、疲れたけどまだご飯も食べてないからまずは夕食かな」
パウロ「そうか、俺も晩飯まだだからそろそろ出かけるかな」
僕「そうなんだ、じゃあ一緒に晩ごはん食べに行かない?いい店知ってる?」
片言の英語しか話せない僕がなぜこんなことを言ったのかわからない。いかついピアスの割に親しみやすい顔をしてたからだろうか。疲れていたからだろうか。なにはともあれ僕から夕食に誘ったのだ。
彼は少し考えてから「そうだな簡単なファーストフードで良ければ」と言った。今思い返すと、気が合うかわからない、そもそも得体も知れないやつと長時間は辛いので様子見と思ったのかもしれない。
日が暮れた町中を大通り沿いに5分ほど歩いただろうか。近くのケバブサンド屋の屋外テーブル席で彼のおすすめのケバブサンドと僕はビール、彼はコーラを頼んだ。
「プロースト」
覚えたてのドイツ語、乾杯の意味だ、明るい街灯の下のテーブルで乾杯をした。
そこでいろんな話をした、今いくつでどんな仕事をしているのか、家族や住んでいる町の話、どんな目的で旅をしているのか、どどんなところが良かったのか、これからどこへ行くのか。
その中で彼が言った言葉にとても興味をそそられた。
「旅中ジャグリングをしながら小銭を稼いでいる、5つのお手玉がたまに成功するぐらいだけど」
僕は内心、お手玉5つって難しいのか?誰でも練習すればできるんじゃないのか?と心の中で思いながら「なんでジャグリングをしようと思ったの?」と僕は尋ねた。
「昔おばあちゃんの前でジャグリングをやったらすごい褒めてくれてそれが嬉しくて続けてる。少しでも上手くなるとおばあちゃんはすごい褒めてくれた。それが僕の自信になってる、だから今も続けてる」
僕はこの言葉に衝撃を受けた、この人は自分の信念に向き合って生きてるんだ、たった一人の大事な人からもらった言葉を心の中で大事にしながら温めているんだ。
彼の価値観は今でも僕が自信を失いそうなとき、挫けそうなときの助けになっている。自分を信頼してくれる人がいる、褒めてくれる人がいる、その思いを僕が信じなくてどうするんだと。
とてもうれしそうに語る彼の笑顔を見ながら頬張ったケバブとそれを飲み込むビールは最高だった。僕はひどく感銘を受け、彼も僕のことを面白いと思ってくれたのか、その後は疲れも忘れ、ベルリンの凱旋門に向かい1時間ほど雑談を兼ねた散歩をしてホテルへ戻った。
ホテルでは彼の5つジャグリングを見せてもらったが、素人目に見ても普通だった。笑
5個お手玉を投げてキャッチするのが3回に1回成功するぐらいで、でも彼の笑顔は照れくさくも楽しそうでどこか自信に満ち溢れていた。この自信はジャグリングに対するものではなく、昔褒めてくれた彼のおばあちゃんに対するものなんだ。自然とそう感じた。
その後もいろんな話をした。帰ってきた同部屋の人たちも混ざり始め、各々がベッドに押しかけて、みんなの国の話で盛り上がった。偶然にもみんな一人旅。
「うちの国は社会福祉が良いって言われてるけど、税金がめちゃくちゃ高い!無職も多い!」そんな話をした。
ドミトリーなので常に誰かがお風呂に入ったり寝る準備をしながら話し続け、消灯時間の12時まで続いた。消灯時間になるとおやすみと声掛けしながら解散し、まるで修学旅行の夜みたいただったなと思いながら眠りについた。その日は高揚感をいだきながらも、疲れていてとても良く眠れた。
これは始まりの話。
途方にくれたベルリンでたどり着いた一泊13ユーロの宿が僕の人生を変えた。
パウロとは今もFACEBOOKで連絡を取り合っている。
この経験が癖になり一人旅を繰り返しを繰り返し、その後もいろんな人にあったそれはまた別のお話。
今は海外に出れないが、今日もまだ見ぬ人との乾杯を夢見ながら、平和を祈って眠りにつく。
#また乾杯しよう #まだ見ぬ世界へ #世界の友人へ #一人旅 #海外
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