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なぜ日本は「IT」という言葉を使わなくなったか

どうも、エンジニアのgamiです。

最近、自分が「IT」という言葉を避けていることに気付きました。

それに気付いたのは、会社のインターン生と話しているときでした。「ITを使って云々」みたいなことを言われたときに、「IT」という言葉に違和感を感じたのです。いま働いてる会社は、世間的に見れば所謂「ITベンチャー」であり、雑に言えば「ITを使って世の中を変えようと思っている会社」です。その仕事の中で「IT」という言葉が使われるのは当然に思えます。しかしインターン生が「IT」という度に、「最近はITってあんまり言わないなあ」と漠然と感じていました。

考えてみればここ数年は自分も周りも、「IT」という言葉から距離を取っていた気がします。またこれまで「IT」を冠して呼ばれていた言葉が、次々にその呼び方を変えています。


ITからTechへ

たとえば、前述の「ITベンチャー」という言葉も、すでにちょっと古ぼけた印象を受けるようになりました。「Tech系スタートアップ」と呼ばれた方が、違和感がありません。

IT用語辞典バイナリによると「テック系」とは次のような意味だそうです。

テック系とは、「開発」にかかわる分野を形容する際に用いられることのある表現である。
一般的には、開発者、技術者、実業家、デザイナーなどがテック系の人間と呼ばれ得る。そうした職種の人々を主な対処とするイベントやオンラインメディアもテック系と形容されることが多い。

わかるような、わからないような説明ですね。

重要なのは、「革新的なプロダクト開発に必要な技術はIT(情報技術)に限らない」という視点です。

当たり前ですが、Information Technologyよりも単にTechnologyと言った方が範囲が広くなります。改めて "Technology" という言葉を辞書で引いてみます。

(the study and knowledge of) the practical, especially industrial, use of scientific discoveries

Cambridge Dictionaryより)

この定義によれば、Tech系とは「科学的な発見を実用化する人たち」くらいの意味になりそうです。

実態を見ると、確かに「Tech系スタートアップ」を支える技術は単にITだけではありません。エンジニアは生産性の高いソフトウェアの開発手法をソフトウェア工学から学んでいるし、デザイナーはデザイン工学的な知見を使ってより良いデザインを模索します。これらを全て「IT」と呼ぶのは、流石に無理があります。

また、純粋にITをコアコンピタンスとするスタートアップの割合は減っているとも感じます。既存産業をテクノロジーの力で変えていくプロセス自体を強みとする「XTechベンチャー」。生命工学や材料工学などの研究成果をITと掛け合わせる「リアルテックベンチャー」などなど。

リアルテックとは、地球と人類の課題解決に資する研究開発型の革新的テクノロジーを指す。

リアルテックベンチャー・オブ・ザ・イヤー | TECH PLANTER

スタートアップ界隈では、IT(情報技術)は特別扱いされなくなり、当たり前のように標準装備されつつあります。

ちなみに余談ですが、「IT」がより広い「Tech」という言葉に置き換えられた話は、「プログラマー」がより広い「エンジニア」という言葉に置き換えられた話ととても良く似ています。

実際、現代のソフトウェア・エンジニアリングが直面する課題はかなり複雑化しており、単一の役割や工程だけでその不確実性を大きく低減するというのが難しくなっています。たとえば、「設計ですべて解決!」とか「プログラミングができればOK!」とか、そういう話じゃなくなっている。そんな中で、「エンジニア」という広い括りの役割定義だけをおき、その状況に応じて役割を柔軟に変えていくような働き方が求められるケースが増えています。「エンジニア」という呼称に支持が集まっているのは、「役割を限定しすぎるとよくない」という主張が浸透してきたことの現れでもあるように思います。

ITの社会実装はかなり進んでいる

より広く、日本社会についても考えてみましょう。

僕が最近心酔している『未来を実装する』という本では、テクノロジーが社会実装された状態について次のように定義しています。

「社会実装ができている状態」とは、いわゆるキャズムを超えて普及した状態、もしくは超えつつある状態を示しています。キャズムとは、ジェフリー・ムーアが提唱した、製品やサービスがアーリーアダプター以降の人々に広まらない現象や段階のことを指します。つまり本書では、社会実装ができた段階は、少なくともアーリーマジョリティの人たちがその製品やサービスを使い始めた段階とします。

ご存知のように、現在日本に住む人のほとんどがITを使った製品やサービスを使っています。仕事場には当然のようにPCやタブレット端末が設置されています。また令和2年版 情報通信白書によれば、世帯の96.1%が何らかのモバイル端末を、83.4%がスマートフォンを保有しています。この状況を見れば、日本におけるITの社会実装はかなり進んでいると言えます。

広く社会実装されたテクノロジーは、人からあまり意識されなくなります。たとえば冷蔵庫は電気で動いていますが、冷蔵庫から水を取り出すときに「あー電気使ってるわー」と感じる人はほとんどいません。同じように、いまでは多くの製品やサービスや業務で当然のようにITが使われています。そのとき、あえて「あーIT使ってるわー」とは普通言いません。

その意味で、多くの人の間で「IT」という言葉に対して「あえてITなどと言うのはちょっと恥ずかしい」という感覚が芽生えているように感じます。

ITからデジタルへ

とはいえ一方で、広くIT関連技術を指して議論したいようなシチュエーションもたくさんあります。電気が普及しても電気自動車は普及していないように、ITが普及してもその活用が全ての分野で十分に進んでいるわけではないからです。

そんなときに便利な言葉が「デジタル」です。最近は猫も杓子も「デジタル」であり、「それITでよくない?」みたいな状況でも好んで「デジタル」と呼ぶ人が増えています。

それまで「デジタル」と言う言葉はもっと狭い意味で使われてきました。「デジタル時計」とか「デジタルサイネージ」など、「アナログだった物」との対比で使われてきた印象です。


デジタル
情報を0と1の数字の組み合わせ、あるいは、オンとオフで扱う方式。数値、文字、音声、画像などあらゆる物理的な量や状態をデジタルで表現できる。対義語はアナログ。アナログ信号をデジタルのデータに変換することをデジタイズという。

ASCII.jpデジタル用語辞典より)

それが、ここ数年で急に広い意味を込めて使われるようになりました。「デジタル」という言葉の意味は、「IT」を飲み込んでさらに広がっているように感じます。これについては、以前にもnoteに書きました。

「デジタル」は本来、単純にデータの性質を表す言葉でした。しかしここ数年の「デジタル」という言葉の使われ方を見ていると、一部の人間のある強い思いを明らかに感じます。それは、「コンピュータが扱える領域をリアルワールドにもっと広げたい。そうしないとやばい」という思いです。全てがアナログで連続的なこのリアルワールドにある何かをコンピュータでも扱えるようにするには、ある視点でそれを切り取ってデジタルデータ化する必要があります。その意味で、「コンピュータが扱える領域をリアルワールドに広げる」というニュアンスを「デジタル」という言葉に込めるのは、自然な感じがします。

実際、「IT」は「デジタル」という言葉に置き換えられて使われるケースが増えてきました。たとえば平井大臣のTwieer bioに書かれた肩書は、デジタル改革担当大臣(元IT・科学技術担当大臣)です。また、2021年9月に設置予定のDX推進機関も、「IT庁」ではなく「デジタル庁」と呼ばれています。みんな大好きDXも、「ITトランスフォーメーション」ではなく「デジタルトランスフォーメーション」です。

「IT」は中途半端な言葉になってしまった

「IT」という言葉は、「Tech」と「デジタル」の間で引き裂かれてその役目を終えつつあります。

昔ほどITを特別扱いする理由は無くなりました。ITに関連する新しい技術の多くは、IT単体ではなく別の分野との掛け合わせで生み出されることが増えました。そこでは、ITとそれ以外のテクノロジーは分離不可能になっています。こうした学際的なテクノロジー全体を指し示すには、もはや「テクノロジー」と呼ぶしかありません。

逆に、ITの要素技術について話すのであれば、ITという言葉は意味が広すぎます。「ネットワーク技術」とか「機械学習」とか「〇〇というライブラリの上手な使い方」など、より具体的な言葉で表現されないと議論になりません。

またITが広く社会実装されたことで、「IT」は社会の理想を示す言葉としてのインパクトも失いました。その結果として出てきたのが「デジタル」です。「IT」とは単なる一技術であり、「デジタル」とは世界観の表明です。「デジタル」を「あらゆるものがデジタルデータとして扱えるようになった状態」と捉えると、少なくとも日本社会はまだまだデジタルではありません。だからこそ、DXは「デジタルトランスフォーメーション」であって「ITトランスフォーメーション」ではないわけです。

もちろん、学問分野としての情報科学は今後も残っていくはずです。しかし、「IT」という言葉が政治や経済の文脈の中で使われる機会はどんどん減っていくでしょう。それは何も悪いことではなく、われわれの社会がITを十分に受容し、次なる進歩の糧として飲み込んだということに他なりません。

ありがとうIT。さようならIT。

かつて流行った言葉たち

というわけで今回は、「IT」という言葉の現在地について考えてみました。

さて、実は「デジタル」という言葉が再発見されるまでの間には、「IT」の次を担うことが期待された言葉がいくつも生まれました。それらのいくつかは、狭い意味のまま残ったか、もはや死語になっています。

最後にマガジン購読者限定で、次の6つの言葉を取り上げて歴史を振り返ってみましょう。

インターネット
ユビキタス
IoT
ソフトウェア
ICT
ビッグデータ

ちなみに、情報系バズワードの変遷は総務省の情報通信白書のアーカイブを掘っていくと年代も含めてわかります。便利。

まずは「インターネット」です。1990年代以降のインターネットの爆発的な普及の中で、「インターネットが世界を変える」という言説が流行りました。

実際、インターネットは世界をつなぐインフラとして浸透しました。またスマートフォンの普及によって多くの人がインターネットに常時接続された状態になりました。ITと同じくかなり社会実装が進んだ形になり、昔ほどの特別な思いを持って「インターネット」という言葉が語られることは少なくなりました。ただし、「インターネット」「Web」というのは現存する世界規模のシステムの名称なので、その意味の言葉としては残り続けています。

現代の「デジタル」に近い概念として、「ユビキタス」があります。2004年の情報通信白書には、「日本独自の新しい概念であるユビキタスネットワーク社会」として、次のような説明がされています。

 ユビキタスネットワーク社会とは、「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」ネットワークにつながることにより、様々なサービスが提供され、人々の生活をより豊かにする社会である。「いつでも」とは、パソコンで作業を行う時だけでなく、日常の生活活動の待ち時間や移動時間等あらゆる瞬間においてネットワークに接続できるということであり、「どこでも」とは、パソコンのある机の前だけでなく、屋外や電車・自動車等での移動中等あらゆる場所においてネットワークに接続できるということであり、「何でも、誰でも」とは、パソコン同士だけでなく、人と身近な端末や家電等の事物(モノ)やモノとモノ、あらゆる人とあらゆるモノが自在に接続できるということである。

これを読むと、「携帯端末によるインターネットへの常時」とIoTの両方を合わせた概念という感じがします。実際、前者は2010年代前半のスマートフォンや4Gなど高速無線通信の普及によって実現してしまいました。

後者はまさに「IoT」という概念に引き継がれています。2015年の情報通信白書でも、「ユビキタスからIoTへ」と明記されています。

パソコンやスマートフォン、タブレットといった従来型のICT端末だけでなく、様々な「モノ」がセンサーと無線通信を介してインターネットの一部を構成するという意味で、現在進みつつあるユビキタスネットワークの構築は「モノのインターネット」(IoT: Internet of Things)というキーワードで表現されるようになっている

現在の「デジタル」は「IoT」を含意している雰囲気がありますが、特に「物にセンサーと小型の通信機器を付けてデータ収集する」みたいな取り組みを表現する際には「IoT」という言葉はいまでも使われています。

ちなみに別の切り口として、結局ITって言っても「ソフトウェア」が大事だよね、という動きも出てきました。2011年にマーク・アンドリーセンが「Why Software Is Eating The World(ソフトウェアが世界を飲み込む理由)」という記事を公開し話題になりました。実際、スマートフォンの大群を自社のビジネスに変えるために必要なのはソフトウェアであり、その状況は今も変わっていません。2019年の日本でも、ソフトウェア・ファーストという書籍が出版され話題になりました。

さて、「IT(情報技術)」に通信(Communications)を加えて「ICT(情報通信技術)」と呼ぼう、というムーブメントも一瞬だけ流行りました。単なる情報処理ではなく、コンピュータや人間同士が通信することが重要ということですね。僕の観測範囲では、2015年に入社した富士通ではICTという言葉が盛んに使われました。また総務省では2013年にICT成長戦略会議という会議が数回開かれたようです。

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資料には「ICTを日本経済復活の切り札として活用」と書いてあり、DXと同じニオイを感じてエモいです。しかし、ITとの明確な違いを打ち出せなかったのか、ICTという言葉自体は全然聞かなくなりました。

ここ数年は、ディープラーニングの登場による機械学習の飛躍的な発展から、「データ活用が大事!」みたいな言説が飛び交いました。みんな大好き「ビッグデータ」も、その流れの中でビジネスシーンでだいぶ流行りました。しかし「ビッグデータ」は「でっかいデータ!」ということしか言っておらず、理想の社会像を提示できるほどの深さを出せませんでした。また現実問題として「DMP構築してデータ溜めたけど何にも活用してない」みたいな会社がたくさん出てきて疲弊しつつあり、最近では鳴りを潜めています。

というわけで、現在の「デジタル」のように、未来の情報通信社会を表現するための言葉というのはたくさん生まれ、その一部はすでに死んでいったことがわかります。

これらの言葉を眺めていると、「デジタル」という言葉が色んな意味を含んでいてとてもバランスがいいことに気付かされます。そもそも「デジタル」はデータを形容する言葉であり、データが大事であるという「ビッグデータ」の文脈も引き継いでいます。また「デジタルワールド」のように、コンピュータが世界に遍在する「ユビキタス」や「IoT」のイメージも含んでいます。「デジタルテクノロジー」と言えば、「IT」を超えたより広い技術が重要であることも表現できます。さらに、「デジタル」という言葉自体はもともと広く一般に普及したものであり親しみやすさもあるという。こう考えると、唐突に出てきたように感じる「デジタル」という言葉も、「もうこれしかない」という気持ちになってきますね。

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