「心の時代」を加速させるデジタル
あけましておめでとうございます、エンジニアのgamiです。
2020年は、自分と向き合い考える時間が多い年でした。僕の人生にとって重要な意味を持つことになりそうな数冊の本とも出会いました。この毎週投稿しているnoteでも、うんうん唸ってあれこれ考えながら、異なるテーマで16本もの記事を書きました。家にいる時間が長く、自分がどんなところに住みたいかを見つめ直して新しい家に引っ越したりもしました。他にも、自分は何がしたいのか、社会に何ができるのか、そんなことを考えさせられました。みなさんの中にも、「考えや価値観を揺さぶられる年になった」という人は多いんじゃないでしょうか。
来たる2021年がどんな年になるか(あるいは、なって欲しいか)を考えるとき、そのヒントになりそうなnoteがありました。
このマガジンでは、デジタルにまつわるあれこれについて記事を書いていました。今回は年始なので(?)少し抽象度を上げて、「心とデジタル」について考えてみます。
成長はすべての矛盾を覆い隠す
前述のnote記事を読んだ後、次のような感想Tweetをしました。後から有料部分を引用したことに気付いたんですが(すいません。。。)、著者のciotanさんからも反応があったので甘えてここにも載せてしまいます。
できれば元の記事を読んで欲しいですが、自分なりにすごーく要約すると「2020年は経済成長の論理では癒されない心の問題がいくつも明らかになったので、私たちはそれに真面目に向き合っていきたいよね」ということが書かれていました。僕はこの記事で使われていた「心の時代」という言葉が、いくつかの本を読む中でぼんやり描いていた直近目指すべき社会像を端的に言いあらわしている気がして、とても腑に落ちました。
ビジネスの現場(特にスタートアップ界隈)でよく言われる言葉に、「成長は全てを癒す」というものがあります。会社内に様々な潜在的問題があっても、売上が成長していればそれらの問題はあまり顕在化しない、みたいなニュアンスで僕は理解しています。その言葉はスタートアップの中にいるととても納得感があります。会社の掲げるビジョンを信じて努力していると、売上が成長し続け、報われる。こうした大きな物語をみんなで追うことで、会社のメンバーが増えても同じ方向で走り続けることができる。
一方、その言葉が意味するところには、成長が本当の問題を隠してしまうという裏の側面があるようにも感じます。「成長はすべての矛盾を覆い隠す」というのはチャーチルの名言らしいですが、成長によって現状が不当に肯定され個々の問題に蓋がされてしまうということがあります。実際、成長が止まったベンチャーで(主に人間関係の)問題が噴出するという例もたくさんあるようです。
これは会社に限らず社会でも同じで、経済成長という「大きな物語」を信じ切れなくなった社会で様々な問題が明らかになった、という言説はたくさんあります。そこで語られる多くの問題は「人間にとっての問題」であり、さらに言えば多かれ少なかれ「人間の心に関する問題」です。
そんなわけで、「経済成長」という物語をピュアに信じられなくなった日本社会では、人間の心という不確実で多様でよくわからないものに、いよいよちゃんと向き合わないといけなくなってきているように思います。
「冷たいデジタル」
ITとかデジタル技術と言われるようなものに対して、どこか「人間味が無く冷たい」と感じる人がいるかもしれません。
たとえば、こちらの感情を無視して激しい表現でクリックを促してくるネット広告などの過度なマーケティングに辟易している人も多いでしょう。
また、ITサービスを使うのにそもそも知識やスキルが必要であり、排他的な感じがするケースもあります。買い物にいけないお年寄りを前にして「じゃあAmazon使えばいいじゃん」と言うのはまだまだ酷に思えます。
こうした「冷たいデジタル」のイメージの中では、しばしば「人間と機械」という対比でアウトプットへの評価が語られがちです。「人間との同期的で直接的な対話」こそが温かく価値のあるもので、機械的なものはその劣化コピーである、といった具合です。
冷たいのはいつも人間である
しかし、機械と人間が協働して素晴らしい工業製品が日々作り出されているように、デジタル技術も人間と対比されるものではありません。むしろどんな技術やメディアも、人間の能力を拡張してできることを増やすためのものだと理解するのが建設的です。
たとえば「人間との同期的で直接的な対話」を含まなくても、多くの人の心を動かし感動的な体験を生むものは世の中にいくらでもあります。泣ける小説、ワクワクするゲーム、息を飲む映像の映画、胸を揺さぶられる音楽。そこには表現者たる人間の意志が詰まっています。その人間の意志をより深く表現し、より広く届けるための手段として、技術やメディアが使われているわけです。
逆に言えば、クソみたいなWeb広告も、排他的に感じるITサービスも、究極的には誰かがそう作ったからそうなっているに過ぎません。そこで「デジタルは冷たい」とか「ITには人の温かさを感じない」と否定するのは、単なる言い訳でしかありません。デジタル技術を使ったアウトプットが心を軽視しているとしたら、それは作った人が心を軽視しているか、あるいは十分なケイパビリティが無いかのいずれかです。
デジタル技術で心を尊重することの合理性
「心の時代」において、「ビジネスを優先し人間の心を軽視した」という印象やレッテルは、企業にとっても大きなマイナスになります。逆に言えば、十分に心を尊重した体験価値が提供できていれば、それはビジネス上の価値として返ってくる時代になったともいえます。
一方、企業が「心の時代」に即した経済活動をする上で、1つの重大な課題があります。それは、その企業に関わる多くの人の心を尊重し続けるには、とてもじゃないがリソースが足りないということです。全ての顧客に共通のコミュニケーションを押し付けていた時代から、それぞれの状況に即した対応ができるようにシフトしていく。それを全て人手でやるには、当然ヒトもお金も足りません。また、顧客だけでなく従業員もまた人間です。顧客対応に必死で従業員の心が蔑ろにされていたら、顧客もそれを知って離れていってしまうかもしれません。
デジタル技術は、うまく使うとこうした問題を綺麗に解決することができます。デジタル技術の定義を「あらゆる情報をデジタルデータ化し、それに基いて意思決定や価値交換などをできるようにする技術」とすると、そこには大きく2つの魅力があります。
1つは、データに基づくパーソナライズの余地が広がったという点です。人間に対して十分にパーソナライズされた体験を提供するとき、最も手っ取り早いのは「人間」が直接対応することです。相手の既知の情報と現在の状況を踏まえて、最適な言葉を投げかけていく。そんな対人コミュニケーションにおいて、「人間」を超える手段はまだありません。一方で、これまで暗黙的に人間の脳内に貯まっていた情報(の一部)がデジタルデータ化されることで、人間にしか提供できなかったパーソナライズされた体験をデジタル接点で半自動的に提供できるようになってきています。人間による「ハイタッチ」に対して、デジタル接点によるデータの収集とパーソナライズされたアクションは「テックタッチ」と呼ばれます。
(『アフターデジタル2』より引用)
2つ目は、人間のリソースを空けるための効率化がしやすくなるということです。前述のように、最終的には人間による直接的な体験提供が最も心を尊重しやすいです。そこで重要なのは、いかに「人間」という貴重なリソースを浮かせるかということです。実際にみなさんが日々体験しているように、リアルな物や音声を介して行われていた意思決定や価値交換が、デジタルデータを介したものに置き換わっていくと、一般的には人間の仕事が大きく減ります。こうして浮いた人間のリソースを、直接「ハイタッチ」なコミュニケーションに当てたり、より人間味のある「テックタッチ」の実現に投資したりできるようになるわけです。
ここで重要なのは、「価値を生み出す側」も「価値を受け取る側」も、結局最後は人間であるということです。これについては、僕がいま働いている株式会社プレイドが日経新聞に出した広告メッセージがとても良かったので引用します。
心を尊重しながら生活し、働く
企業がビジネスの一環として提供するサービスにおいても、心を削られるような体験というのはまだまだ存在します。「心が十分に尊重されていない」と感じたとき、その感情を押し殺して我慢していても、何も状況は変わりません。もしかしたらあなたの小さな抵抗が、誰かの心を守る一助になるかもしれません。
生活者としては、良いサービスを妥協せずに選び、お金を払い、継続的に応援していくという態度もいいでしょう。悪い体験や共感できないメッセージに対しては、勇気を出して声を上げ、企業側にフィードバックするというのも重要です。
働く個人としては、できれば誰かの心を踏みにじる可能性のある仕事は断りたいところです。もちろん、これは強者の論理で、生きるためには仕事を選んでいられない人も多いでしょう。しかし、人間の創造性こそが価値の源泉になる時代において、自分の心の声を押し殺して仕事をすることがいずれ自分の競争力を下げる結果になることもあるかもしれません。
もちろん、以前はテクノロジーの制約やビジネスモデルの制約によって「人間の不確実で多様でよくわからない心をいちいち尊重している場合ではない」といった状況はたくさんあったはずです。しかしデジタル技術が十分に発達・浸透した「心の時代」においては、「人の心を尊重できない」というのは単に倫理的にもビジネス的にも正しくない態度になる可能性が高まっています。このように書くとなんだか窮屈な感じがしますが、これまた逆に考えれば「人間が人間にとっての体験価値を考えることに真に集中できる時代が来た」とも言えます。多くの仕事が誰かを幸せにするために生まれたとしたら、初めて目的に忠実に働ける時代が来たといっても過言ではないかもしれません。
最後に、『アフターデジタル2』で僕が一番好きな節の一つを引用します。
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