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【試し読み】地獄楽 うたかたの夢
ジャンプ+で大人気連載中、累計発行部数130万部突破の大ヒット忍法浪漫活劇コミック『地獄楽』が待望の初ノベライズ!!
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9月4日の発売に先駆けて、試し読みを公開!
あらすじ
画眉丸と佐切が神仙郷上陸前に遭遇した敵とは!? 弔兵衛&桐馬兄弟はいかにして盗賊の首領となったのか!? 神仙郷上陸直後、杠はいかにして牧耶を殺害したのか!? 道場時代、典坐が士遠を師と仰ぐようになった理由とは!? 人気キャラクターの過去や、知られざる物語を満載の一冊!
それではお楽しみください。
地獄楽 うたかたの夢
序幕
探すは不老不死の仙薬。
見返りは無罪の御免状。
神仙郷(しんせんきょう) 遥か南西海、琉球国の更に彼方にて発見された秘島に、十名の死罪人が送りこまれて半日。
この奇怪なる島にも、本土と同じように夜が訪れ、周囲は暗がりに包まれている。
来島者たちの心胆を寒からしめた、この世のものとも思えぬ化物どもの気配も今はなく、昼間の惨劇が噓のように、ひっそりとした静けさが辺りに満ちていた。
悪行の限りを尽くし、多くの死に触れてきた重罪人たちでさえ、この島の異様さには未知の畏れを抱かざるを得ない。それは彼らの監視役として島に上陸した、山田浅ェ門の面々にしても同様であった。
ここは悪鬼羅刹の集う島。上陸から一日も経たないうちに、決して少なくない数の手練れが早くもその命を散らした。
そんな極限の任務の中で訪れた、ほんのひと時の静寂と安息の夜。
暗闇の中でたゆたう彼らの思考は、自然と在りし日の思い出へと向かっていく。
森の中では、山田家当主の娘が一向に眠ろうとしない抜け忍に嘆息し、
繁みの奥では、二人兄弟の弟が高いびきをかく兄の横顔を見つめ、
大木の空洞では、かつて画家を志した男が、横たわるくの一の華奢な背中を眺め、
海沿いの砂浜では、熱き心の青年が寝入る山の民の少女の脇に腰を下ろしていた。
彼らは何を思うのか。
満天の星だけが、その営みを静かに見つめていた。
第1話 夫婦(めおと)の鉄則
「いい加減、寝てもらえませんか」
神仙郷、上陸初日の夜。
海岸から幾分内陸に入った森の中で、艶やかな黒髪を後ろでまとめた白装束の女が言った。代々刀剣の試し斬りや処刑執行人を務めてきた山田家当主の娘であり、試一刀流十二位、山田浅ェ門佐切(やまだあさえもんさぎり)である。
「だから、ワシは寝ないと言っただろう」
鉄炮袖に裁着袴という忍装束をまとった白髪の男が淡々と答えた。佐切の監視相手である、最強と名高い忍集団石隠れ衆(いわがくれしゅう)の抜け忍、がらんの画眉丸(がびまる)だ。
「任務で四、五日睡眠を取らんことなど、ざらにある。少々眠らずとも大して困らん」
「私が困るのです」
佐切は溜め息をつきながら応じる。
「あなたが休んでくれないと、こちらが落ち着かないのです。あなたより先に休む訳にはいきませんから」
夜もかなり更けてきた。罪人の監視業務は、一時的に共闘体制にある同じ山田浅ェ門の仙汰(せんた)や源嗣(げんじ)と交代制にはなっているが、全員が多く休めるに越したことはない。幸い、今のところ島にはびこる奇怪な化物たちが行動を起こす気配はなさそうだ。
「まあ、そういうことなら仕方がない」
画眉丸は軽く息を吐くと、ゆっくり立ち上がった。
今宵の寝床にしている大木の空洞に足を向けながら、抜け忍はこう続けた。
「心配せずとも任務を放棄して逃げたりはせんよ。ワシには目的があるからな」
佐切は後を追いながら、小さく言った。
「それは、わかっていますよ」
彼の目的は不老不死の仙薬『非時香実』(ときじくのかぐのみ)を持ち帰り、無罪放免の公儀御免状を勝ち取ること。
それはひとえに愛する者妻との再会のため。
画眉丸という男が重罪人であることに変わりはなく、いまだに何を考えているかわかりにくいところはある。しかし、この任務に懸ける『想い』だけは本物であると、佐切は感じていた。
刑場で画眉丸と出会ってから、神仙郷に来るまでの道のりが脳裏に蘇る。
ああ、そう。あの時だって
それはほんの十日程前のことだ。
「まだ日は出ている。今日中にもっと進むべきだ」
「仕方がないでしょう。状況が状況なのですから」
夕刻。往来を行きながら、佐切は隣でぼやく画眉丸に言った。
死罪人の画眉丸を刑場より引き取り、東海道を北上している時のことだった。数日前の大雨により道中の川が激しく増水し、渡し舟が運航を停止していたのだ。
佐切はやむなく手前の宿場町で宿を取ることにした。
「水蜘蛛を使えば、あの程度の川、楽に渡れるぞ」
「そんなのはあなただけです」
荒れた濁流を思い出しながら、佐切は答える。
「では、ワシだけ先に江戸に行こう。おヌシは後でゆっくりくればいい」
「そんなことができるわけがないでしょう」
二人の目的地は江戸。
神仙郷に向かう前に、まず全国より集められた罪人を将軍の御前へと連れ出し、今回の任務についての説明を受けることになっていた。
画眉丸は溜め息をつき、手縄をつけられた両腕を佐切の前に掲げてみせる。
「だったら、せめてこれを外してもいいか。邪魔くさくてかなわん」
「却下します」
佐切はぴしゃりと言った。
「さきほどから我が儘が過ぎますよ、画眉丸。あなたは自分の足で歩けるだけで、大いに感謝すべきです」
本来、罪人の護送には、唐丸籠という網をかけた竹籠が用いられる。罪人は手縄で縛られ、足枷をつけられ、猿轡まで嚙まされた状態で中に放りこまれ、用便は底の落し蓋から垂れ流すといった扱いを受ける。
今回それが使われていないのには理由があった。
山田浅ェ門の任務は、仙薬探しに適した罪人を選別し、江戸に連れて行くだけではない。その後、罪人の監視役として未知の奇島神仙郷にともに出向かなければならないのだ。
島では勿論罪人を唐丸籠に投げこむ訳にはいかず、手縄のみで自由に動き回る罪人の監視をたった一人で行うことになるため、それと同じ条件下で、罪人を確実に江戸まで連れてこられるかを試されているのだ。
他の山田浅ェ門も同様かはわからないが、少なくとも佐切には幕府からそのような指示があったと父から聞かされた。それだけ信用を得られていないのかと思うと、胸の奥に鈍い痛みを覚えるが、だからこそ余計に失敗する訳にはいかない。
「手縄にしたって、街道を行くにあたって、目立たぬよう上から布を巻いているのです。それで満足しなさい」
「融通が利かんな。おヌシは」
「当たり前です」
佐切は画眉丸をじろりと睨んで、腰の刀の柄におもむろに手をやった。
「自分の立場を忘れていませんか。あなたは罪人なのですよ」
「別に任務を放棄して逃げ出したりはせんよ」
「そう願いたいものですね」
この男には生きる意志があり、腕前からしても任務に申し分ない人材だと思われる。
だが、重罪人であることは間違いない。
処刑執行人をやっていると、必然的に多くの罪人と接触することになる。
泣いて喚く者。運命を静かに受け入れる者。その死に際は様々だが、中には最後の最後まで処刑人をも脅したり、あるいは甘言を囁いて逃げ出す隙を窺い続ける者もいる。
うっかり信を置くのは危険だと、これまでの経験が佐切に警告していた。
「焦らずとも、日数に余裕はあります。一日くらい足止めされたところで問題ありません」
「…………」
画眉丸は無言で肩をすくめた。
「しかし……なんというか活気のない宿場ですね」
佐切は周囲を見渡しながら言った。
他の宿場町と同様、左右に茶屋や商店が軒を連ねているが、人通りもやけに少なく、どんよりした雰囲気が漂っている。まだ夕方前だというのに、既に門を閉じている店すらある始末だ。
「どこか空いている旅籠を探しましょう」
「別にワシは野宿で構わん」
「私が構うのです」
神仙郷での任務が控えていることを考慮すると、こんなところで無駄な体力を消耗すべきではない。素泊まりで安価な木賃宿を選んでも良いが、できれば食事が摂れる旅籠で休息を取りたい。通りを進むと、町外れに宿の看板を出している建物があった。
意気揚々と向かう佐切だが、その足がぴたりと止まる。
近づいてみると、その旅籠は営業しているのか不安に思うほど、みすぼらしい佇まいをしていた。屋根瓦の一部は削げ落ち、外壁もあちこちが破損している。
「……ここはさすがにやめておきましょうか」
「待て」
引き返そうとする佐切を、画眉丸が呼び止めた。
「なんですか。まさかこの旅籠に泊まりたいとでも」
「いや、何か揉めてるようだ」
「え?」
旅籠を振り返ると、ゴスンと鈍い音がして、入り口から男が一人転がり出てきた。つぎはぎだらけの着物を着た若い男で、顔には大きな青痣がある。
倒れたまま呻いているその男を囲むように、中からぞろぞろと数人の男たちが出てきた。一様に人相が悪く、下卑た笑みを口元に浮かべている。うち一人が、伏した男を見下ろしながら言った。
「なぁ、平吉。借りたもんは返す。これは常識だよなぁ。返せねえってんなら殴られても仕方がねえよなぁ」
「で、ですから、もう少しお待ちくださ……うぐぅっ!」
平吉と呼ばれた男が、頰の痣を押さえながら身を起こしたが、すぐに腹を思い切り蹴られて蹲った。
「平吉っ!」
甲高い声とともに、旅籠から一人の女が飛び出してきた。
古びた着物をまとってはいるが、美しい顔立ちをした女だ。
女は腹を押さえて蹲る男の脇に膝をつき、ゴロツキたちを睨んだ。
「なんでこんなことするんだ。お金は必ず返すって言っているじゃないかっ」
「相変わらず威勢がいいじゃねえか、おりょう」
先頭に立つ男が、おりょうと呼んだ女を、じろじろと舐め回すように眺める。
「お前がさっさと首を縦に振れば、全部解決するんだぜ。ありがたい温情だと思わねえか」
「そっ、それだけはおやめください。必ず働いて返しますか……あぐぅぁっ!」
平吉という男が女の前に立ちはだかろうとしたが、すぐに顎を蹴り上げられて地面に大の字に転がった。
「あんたっ」
「くははは。なあ、おりょう。平吉みたいな青瓢簞はさっさと捨てちまえよ。なんだったら俺の女にしてやってもいいんだぜ」
「ふざけんなっ。誰があんたみたいなガマ顔男なんかとっ」
「ああっ?」
男がすごんで腕まくりをしたところに、佐切が割って入った。
「ちょっと待ってください。一体なんの騒ぎですか」
すると、いきり立ったガマ顔の男が怒声を浴びせてきた。
「あん、なんだお前らは? 関係ねえ奴は引っこんでろ」
「まあ、確かに無関係ではありますが……」
つい飛びこんでしまったが、事情も知らない第三者であることは間違いない。
対応を決めかねていると、取り巻きの一人がにやにやと笑って近づいてきた。
「おいおい、女だてらに侍の真似事か。俺が可愛がってやろうか、ひひ」
ぴく、と佐切の額に青筋が浮かび、手が反射的に刀に伸びる。
その時、おりょうと呼ばれた女がふいに佐切を見て声を上げた。
「お客様……!」
「え?」
「お客様ですよねっ。当旅籠にお泊まりで」
「え、いや、私たちは……」
「これはこれは、ようこそ『めおと屋』へ。いやぁ、遠路はるばるよくお越しくださいました。うちを選んで頂くなんて、お目が高い。さあさあ、どうぞ中へ」
渾身の営業用の笑顔を浮かべて、おりょうが近寄ってくる。
助けを求めるように画眉丸に目をやると、溜め息混じりに、知らんぞと返された。
「ええ……あの……まあ、お願いします」
勢いに押されて渋々答えると、おりょうは勝ち誇った顔で男どもに言った。
「ほら、商売の時間だ。邪魔するんじゃないよ。働かないと、返せるもんも返せなくなるからね。困るのはあんたらだろう」
「……ちっ」
睨みをきかせて、ゴロツキたちが立ち去っていく。
「さあ、どうぞどうぞ。お部屋は二階になります」
その後、おりょうと平吉に案内され、佐切と画眉丸の二人は、旅籠『めおと屋』に足を踏み入れた。
外観はひどく傷んでいたが、中に入ると内装も調度品も綺麗に整えられていて、存外に気分は悪くない。きゅっきゅっと小気味よく音を立てる廊下は、天井が映りこむほど丁寧に磨かれていた。
「お客様、さっきは強引な真似をして申し訳ありません。おかげ様で助かりました」
二階の八畳間に通された後、おりょうが深々と頭を下げてきた。
「ほら、あんたも御礼を言わないか」
「あ、ありがとうございましたっ」
おりょうに後頭部を押さえられ、ぼろ雑巾のような姿になった平吉も慌てて首を垂れる。
佐切は青い畳に荷を下ろしながら答えた。
「いえ、どうせどこかで宿は取ろうと思っていましたから」
「おヌシ、引き返そうとしていたが……」
「余計なことは言わなくていいのです」
後ろの画眉丸をたしなめると、佐切はおりょうと平吉に向き直った。
「それにしても、一体どういうご事情が?」
「なに、ちょっとたちの悪いのに絡まれまして。こちらの事情ですから、お客様は気になさらないでください」
殊更明るい表情で言うおりょうに、佐切はそれ以上事情を尋ねるのは控え、代わりに別の質問をすることにした。
「その、お二人はご夫婦なのですか」
二人の様子と、『めおと屋』という旅籠の屋号からそう思ったのだが、案の定、おりょうと平吉は少し照れた様子で顔を見合わせた。
「はい。昨年、所帯を持ったんです。私はおりょうと言います。この細くて頼りないのが夫の平吉です」
「頼りないって、お前」
「事実だろ。まあ、口は下手だし、気も利かない男ですけど、一つだけ取り柄はあるんですよ」
不満げな平吉を小突いて、おりょうは言った。
「取り柄?」
「ええ、それは後のお楽しみに」
佐切が首を傾げると、きっぷの良い女主人は、にこりと華やかな笑みを浮かべた。
佐切と画眉丸が『めおと屋』に入ってから半刻後。
宿場町に程近い屋敷の一室では、二人の男が向かい合っていた。
松の茂った庭を障子の隙間から眺めながら、上質な羽織をまとった男が言った。
「ほう、まだと申すか」
「はい。なかなかにしぶとく、首を縦に振りませんで」
下座にいる初老の男が首を垂れると、羽織の男は扇子を手の中で弄びながら淡々と口を開いた。
「取り立てが甘いのではないか」
「かなり厳しく追いこんではいるのですが。しかし……」
初老の男は顔を上げ、上座の様子をちらりと窺った。
「ああいう下賤な女を好まれるとは、少々意外と申しますか」
「わかっておらんな。だから良いのだ。武家の女は何かと厄介だが、ああいう女には何をしても構わんだろう。下賤で綺麗で生意気なほど楽しみ甲斐があるというもの」
先程まで無表情だった羽織姿の男が、口角をにぃと上げた。
「なるほど、さすがでございますな。そちらのほうもご壮健で何よりです」
下座の男がへりくだって提案する。
「しかし、それならばいっそ攫ってしまったほうが早いかとも存じますが」
「何を言っておる。このわしがそのような野蛮な真似をすると思うか」
「ですが……」
「女はあくまで自ら望んで我がもとに来るのだ。わしは何一つ強制などしておらん。わしはな。そうであろう?」
「はっ、その通りでございます」
上座の男はゆっくりと立ち上がって、背を向けた。
「だが、あまり時間がかかるようでは、そなたとの付き合いも考え直さねばならん。そうであろう、七松屋」
「そ、それはお待ちくださいっ」
「わしに盾突いた者が、不幸にも事故や急な病でぽっくり逝ってしまうのは知っておるな」
「ご、後生でございますっ。あの男を私に差し向けることだけはっ……」
初老の男が平伏して懇願すると、振り返った羽織の男はその脇へとゆっくり近づき、酷薄な笑顔で肩を優しく叩いた。
「まあ、そう恐れるな。仕方がない。その男を貸してやる。次は期待しておるぞ。のう?」
「ははーっ!」
額を畳にこすりつける男を満足そうに見下ろした後、羽織の男は視線を上に向けた。
「そういう次第だ。後はよきにはからえ」
応えるように、天井板がカタと音を立てた。
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