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【試し読み】ジャックジャンヌ 七つ風
『ジャックジャンヌ 七つ風』発売を記念して、本編冒頭の試し読みを公開させていただきます。
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あらすじ
大ヒット少年歌劇SLG「ジャックジャンヌ」、スピンオフ短編集が登場!! ユニヴェール公演まで、もうまもなく。それぞれが大切な思いを育む、七つの休日の物語。
ゲーム本編最終公演でのメインキャラクター7人のエピソードが小説化!! 石田スイが彩り、十和田シンが描いた、それぞれの決意と希望がここに――。
それでは物語をお楽しみください。
後悔はキャンバスに零れた一粒の涙。
大きく背伸びをすれば空の中、お辞儀をするように体を曲げれば四温の香、そんな自分たちの姿をそのまま映し出す水面は張りつめたキャンバスのように真っ平ら。
「……よし」
聞こえた呟きは準備を終えた合図。希佐はすっと背を伸ばし、正面にある木の標識を見つめた。『3000M』。
「行くか」
そう希佐を促したのは稽古着姿の白田美ツ騎。
希佐が頷くと彼はスタートを切るように木の標識を追い越し、走り始めた。
「今日、これからどうする?」
三十分ほど前のことになる。
クォーツ寮の食堂でランチを食べ終えた白田が希佐に午後の予定を尋ねてきた。
今日は朝から最終公演で自分たちが演じるシシアとカルロのシーンの振り返り。なにせ今回、希佐がジャックエースで白田がアルジャンヌ。冬公演に続き主役でパートナー。
希佐と白田が目指すのは『クラス優勝』だ。
この一年、当たり前だったはずの言葉が今は重い。今回の布陣は勝つためのものではなく、来期に希望を託したものだからだ。
卒業する三年生の先輩たちは白田と同じ77期生、田中右宙為率いるアンバーの開花を前に、自分たちの力をクラス優勝ではなく、後輩たちの育成に投資した。それが立花継希の卒業後、苦しみあえいだクォーツ76期生の願いでもある。
だが、彼らの後輩である自分たちにも思いはあった。
三年の先輩たちにとって、そして今のクォーツにとって最後の公演をクラス優勝で飾りたい。その思いが今、希佐と白田の胸の真ん中にある。
アンバーと競える力を養うことが三年生の目的なら、そのレベルを遥かに超え、想像の先まで成長すればいい。
最終公演まで、あと一週間。来週には劇場入りを控える中、希佐の課題はなんといっても歌だった。ただの歌ではない。ユニヴェールの歌姫、トレゾールである白田から託された歌だ。生半可な気持ちでは歌えない。午後の予定も必然的に歌へと焦点が向く。
「……歌?」
白田は希佐の心情をすぐに察知した。「はい」と答える希佐の表情はいつもより固い。
「……僕も、ダンスやらないとな」
総合力が求められるアルジャンヌを全うする上で、白田はダンスを課題の一つと捉えている。しかしそこで白田が「でも……」と言葉を濁した。
「それ以前に、体力」
はぁ、とうんざりした様子で白田が息を吐く。それを、妙に懐かしいと感じた。
(あ……そうか)
希佐は気づく。白田のため息が減ったことに。
以前の白田は不得手なことや受け入れがたい行為に対して距離をとるように息を吐いていた。今思えば、自分が自分らしく呼吸できる領域を守ろうとしていたのかもしれない。それが減ったということは、人と関わり、人と交ざり合っていくことに対する白田の覚悟の結晶だろうか。
ふと、思い出す。
冬公演の準備期間中、休日の出来事。白田に『買い物に行くから付き合え』と言われ、二人玉阪坂を下っていた。その時、彼の目を捉えたものがある。少女二人が手をとり並ぶ小さなスノードームだ。クリスマス前ということもあり珍しいアイテムではない。ただ、自分たちが歌う『淡色』の情景にどことなく似ていた。白田はスノードームをしばし眺めた後、移りゆく季節の一つとして通り過ぎる。
物が増えるのが面倒、と彼は言っていた。
それは、形在るものに限ったことではないのかもしれない。
何に触れても色を成す感情が、真白いキャンバスの中、暴れるように理想を描いて、気づけば失った余白の中、呆然と立ち尽くす。
白田は自分が感情的な人間であることを認識している。そして嫌悪もしている。そこに母の匂いを感じてしまうのかもしれない。
――ただ。
彼は自分という人間を、ありのまま受けとめようともしていた。
帰り際、坂を上りながら白田がふと黙り込む。彼は捨ててしまった大切なものを拾い直すように店に戻った。
スノードームはもうなかった。
あの時の、彼の横顔が忘れられない。
彼は言った。考えすぎて、思い直したときにはどうにもならなくて、後悔だけが残る。そういうことがこれまでに何度もあったと。
――そういうの……もうイヤだな。イヤだな……。
悲劇で閉じた幕を固く握りしめ、頭を垂れるような、彼の声が今も耳に残っている。
白田は変わっていった。変えていった。
自分を認め、人を認め、人の手を握り、自身の手を懸命に差しのばし。
そんな白田のおかげで自分はユニヴェールにいられるのだと希佐は思う。
だが、変わる前の彼だって白田美ツ騎という人そのもので。その中にあった白田らしさも希佐は大事に想っている。弱音を吐くことも許されない今だからこそ。
「何か……トレーニングでもしますか? 体力がつくような」
さりげなく誘うと、白田も「そうだな」と頷いた。
「これだけ忙しいと、体力作りよりももっと優先すべきことが……になっちゃうんだけど、それやってたら永遠に先延ばしだし。それに……」
白田がチラリとこちらを見る。
「一人でトレーニングやる自信ない」
希佐の表情が思わず緩んだ。
「なに喜んでんの」
「あっ、すみません!」
「喜んだんだ?」
「あ」
「変なヤツ」
そっけない言い方だが、言葉の奥には温かみがあった。
「じゃあ、午後はトレーニング挟んで、その後、各々稽古にするか」
白田が椅子から立ち上がり、希佐もそれを追う。
「メニューはどうします? ユニヴェール周りを軽くランニングが良いでしょうか」
白田が首をひねった。
「ユニヴェールすぎないか」
え、と疑問符を浮かべる希佐に、彼は「同じ景色すぎる」と言う。それで合点がいった。
ユニヴェールには舞台と地続きの生活を好む生徒もいれば、オンとオフを切り替えて過ごす生徒もいる。白田は後者で休日になると街に出て一人ゆっくり過ごすことが多かった。しかし今は舞台稽古のため、外出もままならない状況だ。
だったら学校から離れて街のほうへと思ったが、それは一瞬で却下する。雑多な人波をかき分け走るのは彼にとってストレスが多いだろう。彼の玲瓏な容姿は衆目を集めやすいのだから尚更だ。
だったらどうするか。
「今の時期って、虫、少ないよな?」
思いがけない言葉が飛んできて、希佐は顔を上げた。聞き間違いかとさえ思った。しかし白田の表情は至って真剣。希佐は「少ないと、思います」と辿々しく答える。少しずつ春めいてきたとはいえ、まだ肌寒い二月。ここ最近、虫らしい虫を見た記憶もない。
(白田先輩って、虫、苦手だったよね)
夏頃、部屋に飛び込んできたクワガタムシを見て、この世の終わりのような顔をしていたことがある。山の中腹にそびえる自然豊かなユニヴェールでの生活は白田にとって不都合が多いのだ。
そんな彼がどうして虫の話題を振ってきたのか。疑問だらけの希佐に白田が言う。
「お前、『かむり大池』に行ったことある?」
疑問が増えた。玉阪市にやってきてまもなく一年。この街にはまだまだ知らないことが多くある。
「いいえ、初めて聞きました」
「僕も行ったことはないんだけど、大伊達山の西のほう、ユニヴェールよりも少し上に『かむり大池』があるんだ。山の中だけど綺麗に整備されてて、池の周りをぐるっと一周回れるらしい」
走るのにちょうど良いということだろうか。それでも白田が大伊達山をトレーニング場所に選ぶことへの不思議さは残る。それが顔に出てしまったのだろうか。白田が少々気まずそうな表情を浮かべた。
「……忍成先輩に言われたんだよ。『あそこ、意外と美ツ騎向きよ』って。ユニヴェール以上に自然たっぷりな場所なんてゴメンだと思ってたんだけど……」
ロードナイトの組長であり、アルジャンヌであり、バラの歌姫トレゾール、忍成司。
白田の歌声を評価し、ロードナイトに転科するよう繰り返し求めた人でもある。
そんな司を白田はあしらうことが多かったが、司の実力は誰よりも強く感じていたはずだ。そしてクォーツのために奮い立つ今、司の存在はより身近なものになっているのかもしれない。
「行ってみたいです、『かむり大池』」
希佐の言葉に白田の表情が和らぐ。「決まりだな」と言った彼の声も優しい。
「どうやって行きましょうか。歩いて行ける距離なんですかね」
「織巻がジョギングがてら行ったことあるらしい。でも、あいつはアレだからアテにならない」
希佐は携帯をとり出し、ユニヴェールからかむり大池への経路を検索する。
「あっ!」
思わず声が出た。
「徒歩で一時間半……」
「やめよう」
即決した白田。希佐は「ちょ、ちょっと待ってください!」と慌てる。
「バス! ユニヴェール劇場前からバスが出てるみたいです! それなら十五分くらいで着くって」
「それならいいけど……」
刀を鞘に収めるように言う白田。
「あっ!」
しかし、検索結果の詳細を見て希佐は再び叫んだ。
「バス、十分後に出るみたいです……! それを逃したら一時間後……」
白田がぎゅっと顔をしかめる。
広大な敷地を誇るユニヴェール歌劇学校。十分後のバスは全力で走って間に合うか、間に合わないか、絶妙なライン。
「ど、どうしましょう……」
狼狽える希佐を見て白田は覚悟を決めたようだ。
「行くぞ!」
そうして二人、クォーツ寮を飛び出した。
「……白田先輩、大丈夫ですか?」
白田が大きく息を吸って、そして吐く。それを数回繰り返す。
「まだキツイ……」
ぐったりした表情だが、彼はしっかり土を踏んで、背を伸ばした。
「これがかむり大池か」
クォーツ寮を飛び出し、ユニヴェール劇場へと続く裏階段を全力で駆け下りて、それでも間に合わないというところにバスの遅延が発生し見事乗車できた二人。その後も山道の急カーブが白田を襲ったがバスはなんとか目的地であるかむり大池に到着した。
「大池、と名前がついているけど思っていた以上に大きいな」
山の谷間に広がる水の寝床。池と言うよりも湖といった様相だ。
「それに……」
白田が大池をぐるりと見渡す。
「意外と人が多い」
かむり大池自然公園と記された看板の先には、家族連れやカップル、観光客らしき人たちの姿。公園内にはボート乗り場もあり、池には大きな白鳥ボートが浮かんでいた。
「大伊達山って、東側は手つかずな場所が多いけど、西のほうはわりと発展してるってカイさんが言ってたな。バスが通ってるくらいだし」
どうやらこの大池は大伊達山を越える国道沿いに位置するらしく、車の往来も多い。見れば公園近辺に民家が数軒建っており、しかもそれが新しく、この公園を中心に若い集落が形成されているのがわかる。
ただ、それでも〝山の中にしては〟の賑やかさ。一般的な表現としては街の喧騒から離れた穏やかな場所というのが正しい。白田にとってちょうどいいということだ。
それに。
「ん? ……ランニングコースがある」
「えっ、あ、本当ですね」
池沿いに建てられた看板に『START』と『3000M』の文字。かむり大池一周三キロのランニングコースだ。
「……もう走り終わった感じするけど」
「あはは……」
バスまでの短距離走を思い出し、希佐も苦笑する。
「そうも言っていられないか」
白田がフッと区切りを付けるように短く息を吐いた。そのまま体をほぐすように大きく伸びをする。
「……よし。行くか」
そうして二人は並んで走り出した。
恐らく一周十五分程度。早々に『100M』の看板を越える。体力がないというのが白田の課題だが、あくまでそれはユニヴェール基準。一定のペースを維持しながら走る彼には会話する余裕だってある。
「……歌詞に空間を感じることがあるんだ?」
「はい。上手く読みとれなくて、どう歌えばいいのかなって」
内容はやはり舞台のこと、歌のこと。
直接稽古を付けてもらっているときは、どう改善するか、どう伸ばすか、実践的な内容に終始するが、今はとりとめのないことをぽつり、ぽつりと。
看板の文字は800M。
「根地さん、歌詞にそういう余白を作ることあるよ。どう色づけするかは歌い手次第みたいな。こっちに丸投げしてる場合もあるけど」
「あ、なるほど……じゃあ読みとるよりも自分で創りあげるという感覚で触れたほうが?」
「そうだな。その方がお前が歌う意味も生まれる。でも、聴いてくれる人を置いてけぼりにしないようにな」
「そうですね。自分を出しつつ、自分を押しつけることにはならないように……」
――1000M。
何気ない会話から得られる発見。
ユニヴェールから距離を置くようにこのかむり大池にやってきたが、ユニヴェールと深く交ざり合う日々を送っている希佐にとって、この距離は案外重要なのかもしれない。
「近すぎると、見えなくなるものってありますよね」
気づけば会話の流れを無視するように呟いていた。希佐は慌てて何故そう思ったのかを伝えようとする。
「そうだな。でも、遠すぎると見えなくなるものもある。難しいな」
白田は希佐の言葉を充分理解した上で言葉を返してくれた。言葉に重みを感じるのは、いつも人から距離を置き、遠くから眺めることが多かった彼の言葉だからだろう。
近くても、遠くても、だめ。
でも近づかなければわからないことも、遠く離れなければ見えないものもたくさんある。
自分たちは一生、距離を測り続ける生き物なのかもしれない。
――1300M、1400M。
妙に考え込んでしまって、その分、距離が伸びる。
――1500M。
「……ん?」
3000Mの道のり、ちょうど半分。そこで白田が大池のほうを見た。希佐も追うようにそちらを見る。
「あ、白鳥ボート……」
池に向かって伸びる木の桟橋。そこに白鳥ボートが行儀よく並んでいる。なんとものどかな風景だ。希佐はフッと小さく笑って、また正面を向く。
「乗るか」
「はい」
なんてことのないやりとりだった。
「……えっ!?」
だからこそ、遅れて大きな声が出た。
彼が言った文字列はしっかり頭に入っている。しかし、全く解読できない。
「あの、白田先輩、今、なんて……」
聞き間違いだろうか。問い返す希佐の隣、白田がスピードを緩め立ち止まった。桟橋の前で。
自然と希佐も立ち止まるが落ち着きなく周囲を見渡してしまう。何か他に白田の関心を引くものがあったのではないかと。
「お前、僕があのボートに乗るはずがないと思ってるな」
はい、と言いそうになってとっさに空気ごと言葉を飲み込んだ。
「そりゃそうだろうな」
白田は希佐を責めることも咎めることもせず、同調してから受付のほうへと歩き出す。これが非現実的な出来事だと白田も認識しているようだ。それを知れたことで、固形物のようだった違和感がゆっくり頭の中で溶けていく。
白田が白鳥ボートに乗るらしい。
彼は素早く手続きを終え、係員から簡単な説明を聞き、あっという間に白鳥ボートへと乗り込んだ。隣には当然、希佐がいる。
ゆらゆらと揺れるこのボートそのまま、未だ現実感はないけれど。足元にはペダル、手前にはハンドル、正面には広がるかむり大池。
「立花」
そんな希佐に、白田が真剣な面持ちで言った。
「全速力で漕げ」
自分でも不思議だ。
「……わかりました!」
号令一つで全ての疑問を投げ捨てて全力でボートを漕ぎ始めたのだから。
(せっかくだし!)
そんな思いが全て包み込んでくれる。
せっかく白田とかむり大池に来たのだし、せっかく白田が誘ってくれたのだし、せっかく白田と一緒にいられるのだし。
理由なんてどうでもいい。せっかくだから。せっかくがゲシュタルト崩壊を起こしそうなくらい、頭の中がせっかくでいっぱい。
すると妙に楽しくなってきた。
(私、今、白田先輩と休日を過ごしているんだな)
稽古だらけの日々にできた日だまり。
「……よし!」
ボートを漕ぐ足に力がこもる。
「ぉお」
ゆたゆたとのんびりと泳ぐ他の白鳥ボートとは違い、希佐たちのボートはそれこそ飛ぶ勢いだ。
「お前……すごいな」
「コツ、摑んできました!」
「摑んだのか」
どんどんスピードが増していく。大池の真ん中を通り過ぎ、このまま対岸に辿り着きそうだ。
「立花、もういい」
しかしそこで制止され「え、もうですか?」と彼を見る。
「お前……全力すぎるぞ」
白田が言い出したにもかかわらず理不尽なことに彼は呆れ顔。現実に引き戻される感覚に希佐は「白田先輩が全速力で漕げって言いました!」と非難の声を上げる。
「言ったけど、だからって……」
そこで白田の表情が崩れる。
「ふっ、なんだよお前……ははっ」
堪えきれなくなったように彼が笑い出した。
「いや、すごいなお前、ははは、はははは」
無邪気に、楽しそうに。
「ごめ、くっ……はははは」
彼の軽やかな笑い声が希佐の鼓膜に響く。
(白田先輩……こんな風に笑うこともあるんだ)
彼の笑顔に魅入ってしまう。
「……なんかさ、僕には無縁だろ、こういうの」
一通り笑ったところで今度は白田がペダルを漕ぐ。緩やかに前進する白鳥ボート。
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