
【試し読み】『大正処女御伽話 共ニ歩ム春夏秋冬』
本日10月4日に『大正処女御伽話 共ニ歩ム春夏秋冬』発売になりました!!
発売を記念して、本編冒頭の試し読みを公開させていただきます。
あらすじ
夕月と珠彦のネズミ撃退作戦、珠子来訪の夜の真相、珠彦の苦手なトマトを克服させる夕月の奮闘劇、綾や子どもたちとの宝探し......初の小説版は四季を通じて描かれるエピソード4本をお届け!さらに夕月たちがファンタジー世界に転生!?したスピンオフ短編&桐丘先生描き下ろし漫画8ページ&ピンナップも収録!
それでは物語をお楽しみください。
序 雪ノ日ノ幕開ケ
寒い。
嗚呼、寒くて寒くて凍えてしまいそう。
身体もそうですが……何よりも、心が寒くて堪りませんでした。
こんこんと降り続ける雪が身体に積もっていくけれど、払い除ける気も起きません。
ついつい後ろを振り返りそうになってしまうのを、どうにか堪えます。
ここは、故郷から遠く離れた千葉の地。
振り返ったところで、岩手の生家が見えるわけもありません。
それでも、振り返ってしまえばきっと決意が鈍るから。
『夕月はもう死んだと思って下さい』
お父っつぁんとおっ母さんには、そう書き残して家を出てきました。
夜中にこっそり出てきたから、最後に見られたのは二人の寝顔だけ。
私があの家に戻ることは、もう二度とないでしょう。
お父っつぁんとおっ母さんの笑顔を見ることは、もう二度と叶わないのでしょう。
私は、私自身を『買われた』のですから。
「お願いでございます! 何卒私のお願いを聞き入れて下さいませ!」
過日、私は志磨のご当主様に向けて頭を下げていました。
志磨家に借金していた叔父夫婦が夜逃げして、私の両親は借金を背負うことに。
─なぁに、こんな借金くらいすぐに返してやるさ
─だから、ユヅが心配することなんて何もないのよ
お父っつぁんとおっ母さんは、そう言って私に微笑んでくれました。
けれど、二人が夜中に深刻な様子で何度も話し合っているのを知っています。
そう……私を女学校に入れるのだってやっとだったこの家に、そんな余裕はないのです。
私は、困っている両親をどうにか助けたく思い……。
「私を、買って下さい!」
思いついたのは、こんな方法だけでした。
「死ぬまで働きます! どんな事だってしますから、 お願いします!!」
私に、然程の価値がないことくらいわかっています。
「どうか……」
それでも少しでも借金返済の足しになればと、膝をつき頭を垂れました。
「……いいだろう」
「っ!」
ご当主様の頷く気配に、ハッと顔を上げます。
「一万円で君を買おう」
「いっ……一万円!?」
お付きの方の驚く声が響く中……思いも寄らない金額が提示され、私は声さえ出せませんでした。なにしろ一万円といえば、普通の勤め人なら貯めるのに何十年もかかるような大金です。いくら、大金持ちとはいえ……。
「丁度、倅が一人事故に遭って右手が不自由になってしまってね。それの世話を……ゆくゆくは、妻として生涯支えてくれ」
……思うに、私自身に一万円もの価値が見出されたわけではないのでしょう。
きっと、そのお坊ちゃまというのが余程厄介なお方なのです。
私はこれから、乱暴なお坊ちゃまの元で物の様に扱われ毎日泣き暮らすのだわ……。
そう思うと震えてしまい、思わず決意が鈍ってしまいそう。
それでも、お父っつぁんとおっ母さんの顔を思い出して心を奮い立たせます。
「私のお願いを聞き入れて下さり、ありがとう存じます!」
こうして、私は私自身を『買われた』のです。
出掛けるついでだと駅まで送っていただく車中で、ご当主様と少しだけ話しました。
私がお世話することになるお方は、珠彦様と仰るそうで。
「珠彦様は、なぜお一人で別荘に住まわれていらっしゃるのですか……?」
問いかけると、ご当主様の目がこちらに向きます。
その鋭い眼差しで射抜かれると、なんだか息苦しい……。
「私の役に立ちそうも無いから、別荘にでも閉じ込めておこうと思ってね」
「っ……」
実の息子に対するものとは思えぬ言葉に驚いて、思わず彼の顔を凝視してしまいます。
そんな……事故で片腕が動かなくなったからって……。
「役に立たないとか、閉じ込めるとか……」
そうではなくて……そんな、心無い言葉ではなくて。
「命が助かって良かったとか、父親ならお思いにならないのですか」
緊張に一つ息を吞んでから、そう尋ねます。
すると、ご当主様は薄く笑われました。
「『子は三界の首枷』と云う言葉を知っているかね」
親というものは子供のことにとらわれて、一生自由を束縛される。
確かに、そのような言葉はありますが……。
「私の役に立てない子供はまさに首枷、だから外したまで。たったの一万円であの倅が無かった事になるのなら安い物だ」
使えなくなった道具を捨てるかのような物言いに、私は何も返せませんでした。
それ以降は、何かを問いかけられる雰囲気でもなく。
私は、ただ黙って車に揺られるのみだったのです。
そうして霜月、大雪の日の夜。
私は、寒さに凍えながら珠彦様のお住まいへと向かいひたすらに歩いていました。
─そう云えばこの近くに、志磨家の別荘があるそうだよ
─はんっ、羅刹の棲処というわけだ
─なんでも、住んでいる奴はヒトの生き血を啜るのが趣味だとか
─そんな屋敷に入った日には、生きて出てこられないんじゃないか?
ここに向かう汽車の中で、そんな噂話も聞こえてきました。
ブルリと、寒さとは別の理由で身体が震えます。
大丈夫……大丈夫。あんなの、面白おかしく話していただけ。まさか、本当に取って喰われるわけはありません。
ですが……ご当主様が他者を見る目は、確かに異様なものだったように思えます。
まるで、ヒトをヒトとも思っていないような。
きっと、それが『羅刹の一族』だなんて呼ばれる所以なのでしょう。
「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に」
ふと頭に浮かんだ、若菜集の一節を口ずさんでみました。
「人こひ初めしはじめなり」
この詩の題は、『初恋』。
たとえ結ばれずとも、せめて初恋と云うものくらいは経験したかったなぁ……。
なんて……今更云っても、詮無きこと。
もう、珠彦様が住まわれているお屋敷も見えてきました……さぁ、気合いを入れなさい夕月! ここまで来たら、色々と考えても仕様がないでしょう! 前向きに、笑顔で!
「ごめん下さいませーっ!」
声を張り上げながら、玄関の戸を叩きます。
「ごめん下さーい!」
けれど、一向に返答はございません。
「こんばんわー!」
それどころか、家の中からは物音の一つも聞こえず。まるで誰もいないかのような静けさで、だんだん不安に駆られてきました。まさか、こんな大雪の中をお出掛けあそばされているのでしょうか……?
「ひーっ! さむーい!」
ビュオォと吹雪に吹かれ、思わずそんな声を上げてしまいます。
せめて、お屋敷の中に入れていただければ助かるのですが……。
「ごめん下さ……」
四度目の呼びかけの途中で中から戸が開いて、男の方が顔を覗かせました。
「っ……」
わぁ、なんて背の高いお方なのでしょう。
だけど……思っていたよりも、お若くていらっしゃる? 私よりもずぅっと年嵩の方を想像していましたが、私と三つ程しか変わらないのではないでしょうか。
このお方が、珠彦様……私の、旦那様となる御方なのですね。
「……君は?」
おっといけない、自己紹介をしなければ。
「初めまして珠彦様。私、名を夕月と申します!」
笑顔で、元気よく。
「珠彦様のお嫁さんになる為、罷り越しました」
そう伝えると、珠彦様は一瞬呆然としたような表情を浮かべられました。
そのお顔は青白く、お声もお体もか細くて、まるで病が有る人の様です。よく眠れてらっしゃらないのか、目の下には酷いクマも見られました。
無理もありません。ご当主様のあの態度を見れば……この方が今までにどんな扱いを受けてきたか、想像がつきます。
私に辛く当たってくるかもしれない。でも私は、買われた身。逆らってはならない。たとえ乱暴されて物扱いされ泣かされようとも、このお方のお嫁さんになるほか無いのだから。
「……入りたまえ」
少しの間を挟んだ後、珠彦様はそう仰って踵を返されます。
「外套は脱いでくれ」
「はい」
うぅ……家の中とはいえ、外套を脱ぐとますます寒い……。
「……どれ程、歩いてきたのかね」
「さ……三十町ほどです……」
こちらを振り返ることもなく素っ気なく尋ねられ、答える声は少し震えてしまいました。
「………………」
ふいに珠彦様が立ち止まります。
もしや、今の私の言葉に気に入らないところがあったのでしょうか……?
そんなことを考えていると……珠彦様は、やおら着ていらっしゃる羽織を脱ぎ始めました。そして、こちらを振り返り。
「風邪をひくといけない、羽織りたまえ」
羽織を、そっと私の肩にかけて下さりました。
思わぬ行動に、私はついつい珠彦様を見つめてしまいます。そのお顔は、少しだけ赤くなっていて……それ以上は何も仰ることなく、再び踵を返されます。
その時……私は、珠彦様のお心の一端に触れたような気持ちとなりました。
「温かい……」
羽織をかけて下さったその手は、眼差しは、お声は。
確かに優しく、温かかった。
だから、珠彦様のことをこんな風に思ったのです。
素っ気ないフリをしているけど、とても誠実でお優しい方。
この方は、私を物扱いなんてしない。
大丈夫……きっとこの方なら。
私を大切にして下さる。
そう思いながら羽織をギュッと抱きしめると、身も心も温かくなってきました。
この瞬間、ここが私の帰るべき『我が家』となったのです。
そして。
己が胸に生まれたこの淡い気持ちに付けるべき名を、私が悟るのは。
もう少し、先の話となります。
春 貴方ノ為ニ
僕の人生、こんなはずではなかった。
明治三十八年。分限者の家に生まれ、愛情以外は不自由なく育てられた。
それが去年、乗っていた車が事故に遭い諸々を失った。
母、右手の自由……父からの期待。
家族は誰も僕を看る気はない。それどころか、僕は事故で長殤した事とされる始末。
事故で動かなくなった右手から、心の奥まで鉛のように冷えていった。
それから堕ちていくのは早かった。
世の中のすべてに嫌気がさして。食欲は失せ、笑う事も忘れた生ける屍。
引き籠もりの厭世家となり果てた。
養生せいと屋敷をもらったが、もはや終の住処としか思えず。
後はもう、この棺桶のような屋敷で只々静かに朽ち果てていくのみ。
……その、はずだったのだが。
「待てー!」
─バタバタバタバタ!
「待ちなさーい!」
─バタバタバタバタ!
「待ってってばー!」
─バタバタバタバタ!
何なのだ、この静寂とは無縁の騒がしさは……。
否、わかってはいるのだ。原因など、一つ……一人しか考えられないのだから。
しかし、今日は何をやっているというのか……一寸、様子を窺ってみるか。
そう思って襖を開け、部屋を出た途端のことだった。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
駆けてきた少女と危うくぶつかりそうになり、お互い悲鳴をあげてしまう。
「す、すみません珠彦様……!」
僕に向かって頭を下げるこの少女は、夕月。僕は、ユヅと呼んでいる。
借金の形として僕の父に買われ……僕の嫁にと、あてがわれた少女だ。
あの雪の日の訪問から、数か月。春を迎えた現在、小さな体軀ながら旺盛に家事を熟す姿も随分と見慣れたものとなってしまった。先程からドタバタと騒がしかったのも、間違いなく彼女だ。この屋敷に、他に住んでいる者などいないのだから。
「あっ、お昼ご飯はもう少し待っていてくださいねっ!」
僕は、この少女が気に喰わない。
買われてきた境遇にも拘らず、なぜこんな底抜けに明るく笑っていられると云うのか。
なぜ、こんな僕を甲斐甲斐しく世話してくれると云うのか。
ユヅが来た日に羽織をかけてやったことを、どうにも過剰に評価されている節があるが……僕は、そんな善い男なぞではない。そもそも、あの場面なら誰だって僕と同じ事をするに決まっているじゃないか。寒さに震える少女をそのままに放置する冷血漢なぞ……まぁ、身内に何人か該当する顔は思い浮かぶが……ともあれ。
「それは構わないけど……相変わらず、元気な事だね」
「はいっ、それが取り柄でございますのでっ!」
この通り、皮肉も通じないようだ。
その屈託のない笑顔がどうにも僕には眩しく見えて、目を少し逸らしてしまう。
「ところで、先程から何をしているんだい?」
「はい、それがですね……あぁっ!」
頷きかけて、ユヅは何かに気付いた様子で視線を外した。
「そんなところにいた!」
僕も彼女の視線の先、廊下の隅へと目をやると……
*この続きは製品版でお楽しみください。
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