【試し読み】【推しの子】~二人のエチュード~
『【推しの子】~二人のエチュード~』発売を記念して、冒頭の試し読みを公開させていただきます!
あらすじ
それでは物語をお楽しみください。
プロローグ
「アンタって昔からそう。子供の頃から、本っ当に気に食わなかったのよね」
有馬かなは、射殺すような鋭い視線で黒川あかねを睨みつけた。
艶のある綺麗な黒髪に、理知的な眼差し。ほっそりとした長い手足。スタイルのいい彼女には、大人びたボウタイ付ブラウスとマーメイドスカートがよく似合っている。
黒川あかねはまあ、見た目だけならすこぶる美人だ。見た目だけならモデル売りもできるタイプ。かなにはない落ち着いた美しさがある。
そのくせ本人は、「自分は別に美人じゃない」などと本気で思っているらしい。その振る舞いが周囲に「黒川あかねは奥ゆかしい」「謙譲の美徳を備えている」「ラスト大和撫子」なんていう印象を与えている。そこもまた、かな的には腹の立つポイントであった。
なによりムカつくのは、その奥ゆかしさが、かな相手にはまるで発揮されない点だった。
「気に食わないのはこっちの台詞だよ。そうやっていつも偉そうにするんだから」
人様には淑女で通すあかねが、なぜか有馬かな相手には面と向かって言いたいことを言ってくるのである。
「はぁ? いつ私が偉そうなこと言ったのよ」
「自覚ないの? いっつもそう、呼吸ひとつするたびにマウント取ろうとしてきてるでしょ」
あかねの鋭い目が、かなを射すくめた。
「『アイツとは幼馴染みみたいなもの~』だとか『アイツのことを一番よく知ってるのはアタシ~』だとか。なにかとすぐ優位に立とうとするじゃない」
「だってそれは紛れもない事実だし。アイツとの付き合いは、ずっと長いし」
「付き合いっていっても、ただの腐れ縁みたいなものでしょう! 別に、その期間ずっと付き合ってたわけでもないんだし……!!」
調子乗りすぎだから、と、あかねは身長の低いかなを見下すように鼻を鳴らした。
この女、マジでムカつく。かなはぎりっと歯嚙みをした。
なんでこんな粘着質な憎まれ口を叩く子が、大手ランキングサイトの人気女優カテゴリ好感度一位の座を独占し続けているのだろう。男が騙されるのはともかく、女性好感度まで高いのは謎すぎる。世の中の人間は、どうしてこうも見る目がないのか。
かなは「というかね」と唇を尖らせた。「アンタの方こそ最近ずいぶんと調子に乗ってるみたいじゃない? SNSにアイツとのデートの匂わせ投稿上げたりして」
あかねは「へえー?」とかなの顔を覗きこんできた。「私のSNSチェックしてるんだ? 気に食わないとか言いながら? バッチリ気にしちゃってるんだー?」
あかねの思わぬ反撃に、かなは「ぐぬっ」と言葉に詰まる。しかし、ここで言い負けるわけにはいかない。
「だってアンタの最近の投稿、どうにも面白過ぎるんだもの。急に乙女全開なポエムとか載せちゃうし。なんなのあれ。『花びらが風に揺れるように、私の想いも吹かれて揺れる。優しい笑顔がひとひら降るたび、胸に春が訪れる』って何!? 致死量致死量! どろっどろのはちみつで気管詰まっちゃうから!」
あかねが「なっ……はぁ……!?」と頰を赤らめた。自分でも、恥ずかしい投稿という自覚はあったのだろうか。
「あ、あれは今度の連ドラの役柄に合わせて投稿しろって事務所が……っていうか、かなちゃん! ここでリアルの話を持ちこむのは反則でしょ!?」
「『あなたの笑顔を見るたびに、心はいつも桃風』とかもなかなかの名作よね! なに『桃風』って?? どんな風なのー?? ええもうスクショして即行で拡散させてもらったわ。これはいい黒歴史になってくれそうねー」
「か、かなちゃんに言われたくないんですけど! 『ピーマン体操』とかいうリアル黒歴史持ちのくせに!」
今度はかながダメージを受ける番だった。古傷を抉られた痛みに、「げふっ」と悶える。
「アンタもそれよく擦るわねぇ!! あの曲売れたから黒くないし! 白歴史だし!」
「あーあ、あの頃のかなちゃんは可愛かったのになあ。こうやってお尻突き出しながら、ピーマンくんたちと歌って踊って――」
「ハイハイハイハイ! ストップ! ストーップここまで! それ以上禁止!」
かなは顔の前で大きくバッテンを作り、あかねの発言を封じた。これ以上続けるのは、精神的に耐えられない。
見れば、あかねも相当ばつの悪い思いをしたようで、耳まで真っ赤になっていた。いつもは涼し気な横顔がまるで茹で蛸である。
「そうだね、これ以上続けるのはお互いにとって無益かも……」
レッスン室の壁に掛かった時計を見れば、すでに夜十時を回っていた。
自分たちがこの部屋に入ったのが夜八時だったから、ゆうに二時間はこの不毛なやりとりを行っていたことになる。
かなは、「はあ」と大きなため息をついた。
「ちとばかしヒートアップしすぎたわ」
「確かにね」あかねも、頭痛をこらえるかのように頭を抱えていた。「これ、単に練習用の即興劇だったはずなのに」
有馬かなと黒川あかねは、来月、舞台で共演することが決定していた。タイトルは『茨の姉妹』。とある有名な演出家が手掛ける新作舞台で、同じ男性に恋をした姉妹を描いたラブストーリーである。
ふたりの共演は、五反田泰志監督の映画作品『15年の噓』以来数年ぶりのことだ。かなもあかねも、あれから役者として順調にキャリアを重ねてきていた。業界でもそれぞれ、実力派の若手女優として一目置かれる立場になっている。
久しぶりの共演ということで、遺憾ながら本稽古の前にまずはお互いに呼吸を合わせておく必要がある。かながそう考え、苦々しい気持ちであかねを自主稽古に誘うことにした。それがつい一昨日の話だ。
あかねもかなの案に賛同のようで、すぐにこのレッスン室を押さえてくれた。ここは彼女の所属する〝劇団ララライ〟所有の稽古場なのである。
レッスン室で顔を合わせたふたりは、とりあえず即興劇で感覚をつかもうということになった。テーマは映画と同様、〝同じ男性に恋をする、年若いふたりの姉妹〟という設定。
しかしその即興劇も、蓋を開けてみればいつの間にかただの罵り合いに発展していた。お互い役柄の設定すら忘れて、ここぞとばかりに言いたいことを言い合うだけの二時間になっていた。
かなは「はあ」とため息をついた。徒労感が半端ない。一体何の時間だったのか。
「どうやら私の考え方が甘かったみたいだわ。互いに年食って少しはうまくやれるかと思ったら、やっぱアンタとは水と油なのね。昔っから何も変わらないんだから……」
あかねも「ほんとにね」と苦笑した。「昔からだもんね。かなちゃんの可哀想なくらい歪みまくってる性格」
「アンタだっていつも言いたい放題じゃない。なんか私にだけ当たりキツいし」
「別にぃー? 私は誰に対しても自然体ですけど? キツく見えるなら、むしろかなちゃんの見る目が歪んでるんだと思うけど?」
「歪んでるのはアンタの性根でしょうが」
かなはむっと頰を膨らませ、再びあかねと睨み合った。あかねの方もまた、負けじと睨み返してくる。相変わらずの生意気な視線。絶対にかなちゃんには負けてなるものか、という強い意志を感じる。
「ほんといい性格してるわ」
あかねはやっぱりムカつく。しかし、いつまでもこうして睨み合っているわけにはいかなかった。互いに時間のないタレント同士。こんな意地の張り合いで潰す時間などないのだ。
あかねも同じように思ったのか、「そろそろ真面目にやろう」の意味で視線を外した。
かなも「そうね」という意味をこめて肩を竦める。
こういうところばかり息があってしまうのも昔からだ。
かなは「あーあ」と天井を仰いだ。
「先が思いやられるわね。大丈夫かしら、今回の共演」
「ほんと、こんな気分も久しぶり。なんだか、オーディションのときのことを思い出しちゃうな」
「オーディション?」かなは首を傾げた。「今度の舞台の?」
あかねは表情を変えず「違う違う」と首を振った。「もっと昔のやつ」
「昔のって、もしかして……女神様のアレ?」
「そう、それそれ」
あかねの黒い目が、遠くを見るように細められた。
かなもまた、記憶の彼方に思いを馳せる。
私たちの過去なんてどれも辛いものばかり。
過去をなかったかのように蓋をして、切り離さなければ、隔離しなければ、女優という自分の心の奥底に潜り込む仕事は務まらない。ひとたび心が動けば、作り上げた『役』は簡単に汚染されてしまうのだから。
けれどあかねの横顔は、過ぎ去った時を愛おしむかのような、辛い思い出を後悔するような。ト書きでは表しきれないだろう、そんな表情を携えていた。
第一章
――有馬かなちゃんみたいな女優になるのが、私の夢です!
黒川あかねが演劇雑誌のインタビューにそう答えたのは、八歳か九歳だった頃の話だ。
なにしろ当時の有馬かなといえば、日本で知らない人間はいないのではないか、というくらいの人気子役だった。
ぱっちりと大きな目に、天真爛漫な笑顔。まるで天使みたいに可愛いのに、泣ける演技もバッチリこなせる。〝十秒で泣ける天才子役〟は、まさしくお茶の間の話題を席巻していたのだ。
ゴールデンタイムのドラマでは毎日出ずっぱり。それに加えて、子供向けのバラエティや教育番組でもレギュラーを務めていた。
子供服やオモチャのCMに数多く起用されていたこともある。あかねのような同い年くらいの子供にとっては、有馬かなは強烈な憧れの対象だった。
童話のプリンセスよりも、かなちゃんみたいになりたい――。あの頃そう考えていた女の子は、あかねだけではなかっただろう。
実際あかねは、本気でかなちゃんになろうと努力していたのだ。
髪は肩口までのボブカットにそろえ、フワフワで可愛いお洋服を身に着ける。トレードマークのベレー帽は絶対外さずに。まずは見た目を完璧に「かなちゃん」に寄せていた。
誰かの真似っこをするのは、あかねにとっては昔から夢中になれることのひとつだった。
その人がなにを好きで、どう感じているのか。なにが嫌いで、なにに対して怒るのか。あかねはその人になりきった気分で、じっくりと頭の中で考える。そうすると、まるで最初からそうであったかのように、自然にその人を演じることができる。
あかねが、ドラマに出演していた有馬かなの台詞を真似て喋ってみたときには、あかねの父親も母親もその変わりように驚いたものだ。「本当に、かなちゃんみたい」と。
両親が積極的に演劇の勉強をあかねに勧めてくれたのも、そういう下地があったからだろう。
あかねは『あじさい』という児童劇団で、毎日熱心に稽古に励んでいた。
かなちゃんみたいになりたい。いつかかなちゃんと一緒に、舞台やテレビに出てみたい。かなちゃんと友達になってみたい――。ファン心。あかねが努力を続けていたのは、そういう少し不純な気持ちがあったからだった。
だから、いざ本人に相対したとき、大きなショックを受けた。
――演技なんか、どーでもいいの!
――私はアンタみたいなのが一番嫌い。私の真似なんかするな!
それはテレビ局が主催する子役オーディション会場での出来事だった。あかねはついに念願叶って、有馬かな本人と顔を合わせることができたのだが、その反応は待ち望んでいたものとは、何もかも、まったく異なっていた。
かなの態度は、激しい怒りと冷淡さに満ちていた。彼女は、このオーディションは自分を選ぶための出来レースだとぶちまけ、あかねを冷たく突き放した。
ずっと憧れていた「かなちゃん」が、オーディションでズルをしていた。この業界では演技の良し悪しなんかより、有名な子を使うものだと言い切った。
そして、そういう業界の汚さも知らず、ただ吞気に「天才子役有馬かな」に憧れていたあかねを、彼女は「大嫌い」だと切って捨てた。
それはまだ小さかったあかねにとって、世界がぐるりと引っくり返ってしまうくらいに衝撃的な出来事だった。
かなちゃんが、こんなことを言うはずない。
あかねが今まで応援してきたテレビの中のかなちゃんは、どこからどう見ても演技を楽しんで見えた。楽しいシーンのときは満面の笑顔で。悲しいシーンのときには大粒の涙をポロポロとこぼして。
あんな演技は、よほど心がこもっていないとできるものじゃないはずだ。「演技なんてどうでもいい」だなんて考える役者には、絶対にできない芝居のはずなのだ。
どうしてかなちゃんがあんなことを言ったのか、まるでわからない。なにか事情があるのだろうか。そうでなくちゃおかしい。
考えに考えた挙句、あかねの思考力は機能不全に陥ってしまっていた。
当然、そのあとのオーディションが、ろくな結果にならなかったのは言うまでもない。あかねは審査員の前でまともに自分の名前を言うことすらできず、門前払い同然に帰されてしまった(実際オーディションの合格者はかなちゃんだったので、演技の良し悪しなんてどのみち関係なかったのだけれども)。
それからしばらくあかねは、鬱々とした日々を過ごしていた。毎日考えるのは、かなちゃんのことばかり。学校の勉強にも、劇団の稽古にも今ひとつ身が入らなくなっていた。
「大嫌い」「真似するな」――あの日彼女に言われた言葉が、あかねの頭の中でずっとリピートし続けているのだった。
かなちゃんの言うことが理解できないのは、私の頭が悪いからなのかもしれない。
どうすれば、かなちゃんの言うことがわかるようになるんだろう。理解できないのは嫌だ。知りたい。わかりたい。あかねはそんなことを考えながら、悶々としていた。
あかねのもとに件のオーディションの話が舞いこんできたのは、そんな折のことだった。小学生最後の冬の季節のことである。
読んでいただきありがとうございました!
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