第一章全文無料公開|NARUTO-ナルト- 木ノ葉新伝 湯煙忍法帖
ジャンプ+でコミカライズ連載がスタートした、『NARUTO-ナルト- 木ノ葉新伝 湯煙忍法帖』
こちらを記念して原作の第一章を全文公開します!
あらすじ
それでは物語をお楽しみください。
プロローグ
その日、火の国・木ノ葉隠れの里では、五影会談が行われようとしていた。
五大国それぞれにある忍の里の代表――各里の影たちが集結するとあって、木ノ葉隠れの里内は、平素とは違い物々しい雰囲気に包まれていた。
里の入口、あうんの門では、出入りする者の確認や荷物の検査などがいつも以上に厳しく実施され、街中では、警備の者たちが不審者はいないか、不審物はないかと常に目を光らせており、会談場所周辺に至っては、たとえそれが変化の術であろうとそうでなかろうと、ネズミ一匹、羽虫一匹通さないという鉄壁の警戒網が張られていた。さらには子供たちの通う忍者学校でさえも、この日ばかりは早めに授業を終えていた。
つまりは――
里中、超が付くほどの厳戒態勢。四方八方警戒だらけ、という状況であった。
里同士の諍いがなくなった平和な世にあっても、いや、平和な世だからこそ、それを壊そうとする者たちへの警戒を怠るわけにはいかない。
ましてや、忍界史上かつてないほどに友好的な関係を築いているといっても過言ではない現五影たちの会談の場ともなればなおさらだ。
いつの時代、どんな国においても、平和を乱そうとする者は必ず現れるからだ。
ひとたび事が起これば国際問題――のみならず、木ノ葉隠れの里の威信に関わる問題となってしまう。多くの他里の者たちが見ている前でなにか問題が起こってしまえば、たとえそれが他愛もない子供のイタズラであったとしても、「子供がやったことなので……」では済まなくなってしまう。
もちろん他里の者たちとて、本当に子供相手であったのならば、そのようなことでいちいち目くじらを立てたりはしないであろうが、世の中というものはそうもいかない。
木ノ葉隠れの里全体としては、会談を開催している立場として、他里への示しがつかなくなってしまうのだ。特に、里の象徴である歴代火影の顔岩に落書きなんぞをされた日には、大恥もいいところだ。
もっとも、そのような大それたことをする者など、いるはずもないが。
いないと、いいが。
本当に……。
さて――
そんな、いつもとは違う警戒厳重な里の片隅に、男がふたり。
里の多くの者たちに知られることなく、ひっそりと、ある秘密の計画を進めていた。
黒いマスクで口もとを覆い隠した男が、穏やかな声で相方に問いかける。
「……で、お前もどうだ?」
問われたほうの男は、右脚をギプスで覆って車イスに乗っていた。車イスの男は、まんざらでもないという顔をして、質問に答える。秘密の計画に、乗るつもりのようだ。
ふたりが進める極秘計画、それは――
温 泉 旅 行
ふたりで、かつてのなつかしいところなどを見て回りながら、のんびりと各地の温泉にでも浸かってこようじゃないかという、実に微笑ましいものであった。
五影会談という大切な日に、平和な里内部で進められる極秘の計画――などと聞くと、なにやら平和を乱す側の連中が暗躍していそうな雰囲気になるが、そういう物騒なのは物語の中だけに限る。
マスクで口もとを覆い隠している男・はたけカカシはそう考える。
六代目火影として木ノ葉隠れの里を導いてきたカカシも七代目火影・うずまきナルトにその任を引き継いでおり、今ではすでに現役を退いていた。
五影会談を開催し、他里の影たちと良好な関係を築いている今のナルトの前に、古株があれこれとしゃしゃり出るのも考えものだ。
カカシは、火影の座を降りたことを機に、幼き頃よりの親友に、しばしの旅に出ることを提案していた。立派に成長し、里を支えるようになったナルトあってこその旅だ。多忙をきわめた現役時代では到底無理な話である。
そんなカカシの提案に乗った車イスの男――カカシの永遠のライバルにして親友のマイト・ガイが、ここにきてふと思いついたようにある疑問を口にした。
「しかし、先代火影が勝手に里外をウロウロするわけにもいかないんじゃあないか?」
至極当然の疑問である。
現役を退いたとはいえ、先代火影といえば里の要人だ。いざというときに、どこにいるのかわからないようでは困るのだ。
しかし、すでに話はナルトに通してある。
「そのことだが、ナルトから推薦された者がいる」
七代目火影・うずまきナルトが、ある人物を付き人として推薦してきたのだった。
カカシとガイ、そして推薦された付き人。
五影会談と時を同じくして、三人の極秘任務もとい温泉旅行がはじまろうとしていた。
第一章 聖地
私こと猿飛ミライは、期待に胸をふくらませていた。
なぜなら、今回の任務はいつもとは違うものだったからだ。
ふだんは七代目の護衛をしている私だが、今回はなんと、先代火影・はたけカカシさん(あとガイさん)の付き人をしながら他国に行くというのだ。
その任務内容は、火の国と湯の国の国境沿いにある未開発地域を共同開発するための事前視察――それの護衛という、一見すると地味なものなのだが、今回のこの任務、なんとなんと、驚くべきことに、七代目が直々にこの私を推薦してくださったらしいのだ。
七代目火影といえば、第四次忍界大戦を終結に導いた里の英雄。
そんな七代目からの推薦ともなると、これは尋常ではないことだ。
護衛役を主な任務としているこの私を、わざわざ付き人として推薦したということは、それ相応の理由があるはず。つまりは、ただの付き人のわけがないということ。
忍たる者、言葉の裏を読むもの。
おそらくこれは、Sランクを軽く超えるレベルの任務。ただの付き人を装い周囲を欺きつつも、なにかあった際には己が命を懸けて悪の魔の手から先代火影をお守りせよと、そういう難易度の高い護衛任務なのだろう。私はそう解釈する。
要するに七代目は、この難易度の高い任務をこなせるのは私だけ、この私にしか任せられないと、そうおっしゃっているのだ。これは期待をされている証。
護衛対象である六代目は、どことなくぼんやりとしているように見えて、先代火影という重要な立場にある御方。おそらくきっと、あらゆる悪に狙われているであろうことが予想される。たとえばテロリストとかテロリストとか、それからテロリストなんかからも、一年三百六十五日二十四時間命を狙われ続けていることだろう。
しかし、そこでこの私。七代目が推薦してくださったこの私の出番だ。
ふだんから七代目の護衛役を務め、まさに護衛の専門家と言っても過言ではないこの私がいる限り、六代目(あとガイさん)には指一本触れさせやしません。むしろ指が来たら折ります。へし折ってやります。そのためにつらく苦しい修業をしてきたのだ。
「やっぱり、先代火影を卑劣なテロリストどもから守ることができるのは、ミライ……。お前しかいないってばよ」
七代目も、そう言ってくださるに違いない。
この任務、里の誰もが目を見張るほどの活躍をして、この私の実力を十二分に見せつけてやる所存。そして、見事七代目の期待に応えてみせる!
家を出る前に父の遺影に手を合わせ、気合い充分。
任務期間は二、三日。
なので数日後には、木ノ葉のみならず忍界全域に、たったひとりで先代火影(あとガイさん)を守り抜き、邪悪なるテロリストどもをぶちのめしたこの私、猿飛ミライの偉業が語られることになるはずだ。
猿飛一族の誇りに懸けて、絶対に失敗できない任務が今、はじまる……!
――と、そんな、期待とやる気に満ち満ちていた私であったのだが……。
「カカシよ、風が気持ちいいなあ……」
「ああ。いい天気でよかったよホントに」
ガイさんの車イスを押しながら、六代目が空を見上げる。ふたりの穏やかな表情や口調と同じく、穏やかでよく晴れた日であった。
私は、そんなふたりのやりとりを無言で眺めながらあとに続く。前を行くふたりが非常にゆったりとした足取りのため、必然的に私もゆったりとした足取りで歩を進めていた。
遠くに山々を望み、あたりを田園に囲まれたのどかな街道を行く。
見通しの良い道で、商人や旅人など一般の人もよく利用し、また木ノ葉隠れの里にもほど近いため、比較的治安の良い街道である。
穏やかで、単調な景色が続いていた。
「おっ、鳥の声……」
「あー、あれはモズかな」
穏やかで、当たり障りのない会話も続いていた。
「モズといえば、はやにえで有名だな」
「捕らえた虫なんかを枝に突き刺すというあれね。そういえば昔、地面に四箇所ほど杭を打ちこんで、あえてその上で腕立て伏せをしていたろ?」
「ああ、なつかしいな。あれはいい修業になった……」
ガイさんが、しみじみと空を見上げる。
「地面から離れているからな。力尽きたら落ちる。落ちれば当然痛い。だからなんとしても落ちないようにがんばらねばならないというナイスな修業法だ!」
「それなんだけど、いつだったか、杭の上でふつうの腕立て伏せをしたあとに、今度は腕だけで逆立ちのまま腕立て伏せをしてみせると言いだしたことがあったろ?」
「そういえばそんなこともあったような……なかったような……。確か、いくらオレが杭を使った修業に誘っても、お前が木陰でのんきに本なんぞ読んでいるものだから、オレとしてもついむきになってな。『見てろよカカシ!』ってな」
「あのとき、手を滑らせたお前がそのまま杭に腹を打ちつけて嘔吐したろ? 杭の上で、身体を『へ』の字にしながらぐったりとしているお前を見て、まるでモズのはやにえのようだと思ったのを今でもよく覚えているよ……」
六代目が、しみじみとした顔でモズの鳴き声に耳を澄ます。
「あれ以来、モズの声を聞くたびに、お前のぐったりとした姿を思い出すんだ……」
「ええいっ、そんなもの思い出すんじゃあない! 忘れろ!」
ガイさんが、少し顔を赤くしながらそう叫んだ。
木ノ葉隠れの里を出てから、ふたりはずっとこんな調子だ。
六代目とガイさんは、こうしてゆるやかな歩みであちこちと里周辺の名所などに寄り道をしながら、思い出話に興じていた。
任務は二、三日の予定で、国外にも行かなくてはならないはずなのだが、こんなペースで大丈夫なのだろうか。不安な気持ちを抱きながらも、黙って歩く。自分ひとりだけならば、いくらでも速く進むことはできるのだが、護衛の任務なのでそうもいかない。
はやる気持ちを抑えるかのように、私は改めて背嚢を背負い直した。
ちなみに、これは私のような護衛役だけでなく、すべての忍に共通することなのだが、長距離を移動する際、忍は基本的に大きな荷物は背負うことになっている。なにかあった際に、とっさにクナイを構え手裏剣を投げ印を結ばねばならない忍にとって、自らの手を荷物でふさぐことなどもってのほかだからだ。
無論、逆にあえて荷物を手に持つということもあるだろう。
忍ではなくただの旅人を装って突然襲いかかってくる刺客などもいるかもしれない。すれ違う者の手が荷物でふさがっているからといって、忍者ではないなどという思いこみは禁物だ。相手の意表を突くこともまた、忍の基本だからだ。
もっとも、私たち三人は今、ただの旅人を装っているのだが……。
今回の任務は六代目曰く極秘任務のようで、ひと目で木ノ葉の忍だとバレるような格好では困るとのこと。極秘任務ゆえに少人数での行動、護衛も私ひとりと、そういうわけだ。
なので私たち三人は、それぞれ旅人風の衣装に着替え、こうして見通しの良い一般街道なんぞをのんびりと歩いているわけなのだが……。しかし、それにしても……。
――遅い……。
私は静かにため息をついた。さすがに現役を引退した六代目や、車イスのガイさんに、若い頃と同じ速度で移動してくれとは言えないが、あまりにものんびりとしたふたりの歩みを見ていると、いい加減じれったい気分になってくる。これではただの散歩。老夫婦の散歩を眺めているかのようだ。
そんなことを考えていると、前方からまさに本物の老夫婦がやってきた。
ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。見るからに人の好さそうな夫婦だ。お揃いの帽子に大きめの背嚢、手には杖を持っている。しかし足腰はしっかりとしているようなので、あの杖はおそらく登山用のものだろう。
良い天気に恵まれたので、夫婦で山登りを、といったところだろうか。
しかし、見た目が老夫婦だからといって、決して油断はできない。
手は杖でふさがっている。が、杖は武器にもなる。刃を仕込むこともできるのだ。
老夫婦の一挙手一投足を注視しながら、すれ違う。
すれ違う際に、老夫婦が軽く会釈をした。六代目もガイさんも、会釈を返す。
そうして、ゆっくりとお互いの距離が離れていく。しかし、私は背後への警戒をゆるめない。焼けつくような緊張感。冷たい汗が一筋、背中を伝い落ちていく。そのまま、老夫婦との距離はぐんぐんと開いていき、その後ろ姿が小さくなっていく。やがて、何事もなく老夫婦の姿は見えなくなった。
「えっと……どうしたの? そんな怖い顔して……」
六代目の不安げな声に、はっと我に返る。
どうやら、自然と表情が険しくなっていたようだ。
私は、慌ててその場を取り繕う。しかし、さすがに「背後から豹変した老夫婦が襲いかかってくるかもしれないから」とは言えない。
「あっ、いや、えっとぉ、そ、そこの草むらからテロリストが飛び出してくるかもしれないなあとか思って警戒してみたり……。アハ、アハハハ……」
のどかな街道に、私の乾いた笑い声だけが静かに溶けてゆく。
六代目とガイさんが、困惑した表情を浮かべた。ああ、変な空気になってしまった。
そもそも、私は父親ほど歳の離れたこのふたりと、なにを話したらいいのかまるでわからない。生まれつき父親がいないからなのか、それとも、皆もこんなものなのだろうか。とにもかくにも、妙なことを口走ってしまった。途端に、顔が熱く火照ってくる。
「草むらかあ……。うーん……それはないかな。ふつうに」
六代目が、にこりと目を細める。私は自分の耳が真っ赤になっていくのを感じながら、消え入りそうな声で「ですよね……」と答えた。
結果的に、すれ違った老夫婦が突如として刺客と化し牙を剝いてくることもなく、そこら辺の草むらからテロリストなんぞが飛び出してくることもなく、変わり映えのしない景色はどこまでも続き、ふたりの思い出話には花が咲き、護衛であるはずの私は手持ち無沙汰のままただ歩いていて、風はそよぎ鳥は歌いついでにガイさんも上機嫌に鼻唄なんかを歌い、何事もなく穏やかで単調な時間が過ぎていく。
どこもかしこも、平和だった。
べつに本当になにか事件でも起きればいいだなんて思ってはいない。だいたい、極秘任務をテロリストに知られて狙われている時点で終わっている。詰みというやつだ。
それに護衛をするにしても、平和で、何事もなく終われることが一番いいのだ。そんなことはもちろんわかっている。わかってはいるのだが、ただ――
こういうとき、ふと思うことがある。
私はきっと、七代目のようにはなれない、と。
どんなにがんばっても、どれほど修業しても、私はきっと、七代目のように活躍することはできないのだろう。それは、幼い頃よりある確信に近い思いだ。
七代目をはじめ、私より上の世代の、今もなお伝説として語られているような華々しい功績の数々。そういうものは、私にはおそらく無縁なものとなるのだろう。
なにせ、時代が違う。
私の戦闘経験はといえば、武装した盗賊の類か、せいぜい忍者崩れというような連中相手ばかり。正直、相手にもならない。里を抜け、身につけた術を私利私欲のために悪用するような半端者に負けるはずもない。そんなやつらをいくら取り締まったところで、七代目の伝説的な偉業には到底及ばない。私の活躍など、すぐさま霞んでしまう。
だから、ときどき思うのだ。考えてしまうのだ。
平和なのはとてもいいことだ。けど、ずっと平和で、みんなが幸せで、悪いやつや困っている人が誰もいないような世界になったなら、そのとき忍者はどうなるのだろう。私のような人間は、そんな世界でなにをすればいいのだろう、と。
そもそも……。
――私はなんで、忍者になったのだろう……。
ただただのどかで平和な風景を眺めながら、そんなことを思う。
「どうして忍になったか。なんで今でも忍を続けているか……か。そうだなあ、かつての自分と同じように涙する子供がひとりでもいなくなればいいと、そう思ってはいるな」
ふいに、そんな台詞を思い出す。
以前、いとこである猿飛木ノ葉丸が言っていたものだ。
ともに三代目火影の孫であり、お互い七代目の身近で働いているということもあって、木ノ葉丸とはよく顔を合わせている。七代目直伝の技・螺旋丸を自在に操り、凄腕の上忍として里を支えつつも、七代目のご子息であるボルトくんのお目付役までこなしているというエリートで、私にとっては、歳の離れた兄のような存在だ。
そんな木ノ葉丸との他愛のない会話の中で、なにげなくした質問。
確か、平和になった今の時代に、どうしてつらく苦しい修業をしてまで忍を続けるのかみたいなことを訊いたような気がする。そのときはべつに深い意味などなく、会話の流れの中でただなんとなく、興味本位で訊いたものだ。うろ覚えだが、木ノ葉丸が新しい忍具の研究開発に協力するかもしれないという話の中でのことだったかもしれない。
その忍具を使えば、難しい術を誰でも簡単に使うことができるようになるらしい。
私は、それだと苦労して修業する人がいなくなりますねなんて言っていた。細かくは覚えていないが、その流れで先の質問をしたのだろう。
ただ、照れくさそうに答えたあとの、木ノ葉丸の精悍な横顔が妙に印象に残っている。
若い頃の父は、もしかしたらこんな顔つきだったのではないかと、そう思ったからだ。
しかし今思うと、木ノ葉丸がそう答えたのも当然だ。
三代目――私の祖父と、そして父が亡くなったとき、木ノ葉丸は、年齢的におそらくまだせいぜい下忍。もしかしたら忍者学校生だったのではないだろうか。
近しい人の死を前にして、なにもできない自分、まだ子供である自分の無力さに涙を流していたからこその答えだったのだ。
では、私はどうなのか?
生まれたときから、父はいない。最初から、いない。それが当たり前だった。
なので私には、父親がいなくてさびしいという感情が、実はよくわからないのだ。
もちろん、さびしいかさびしくないかでいえば、さびしいに決まっている。
けど、最初から父親がいなかった私と、途中で父親を失った人とでは、おそらくさびしいという言葉の意味が変わってくるのではないかと、そう思うのだ。
思えば、幼い頃から私は、友達の家とくらべて自分がどうこうとかそういうことを、あまり意識したことがなかった。それはきっと、やさしく、時に厳しい母のおかげであり、私たち親子を支えてくれた里の多くの人たちのおかげなのだろう。
しかしそれゆえ、失っていない私では、木ノ葉丸と同じ答えにはならない。
木ノ葉丸は失った者で、私はそうではない。
ならば私はなんのために忍者になって、なんのために忍者を続けているのか。
父も母も忍者だったからか。三代目火影の孫だからか。それとも、由緒ある忍の一族の出だからなのか。けっきょくは、これしかないと思っていただけなのでは。大きくなったら当然のごとく忍者になるものとして生きてきただけなのでは。それはつまるところ、流されるままにこの道を進んできただけということなのか……。
こうして護衛として六代目に付き従い、六代目のあとに続いて六代目の通った道をたどりながら六代目の歩みに合わせて黙々と歩いている今も、それとまるで同じではないのか。
そこには私の意志など、ないように思えた。
遅々とした歩みでも前に進み続けてさえいれば、やがてはどこへなりともたどり着くものなのだなと、つくづくそんなことを思う。私たち三人は、宿場町にたどり着いていた。
まだ幾分か日は高いものの、今日はここで一泊していく予定らしい。
宿の確保をして、賑やかな大通りを行く。喧騒のなか、しばらくは無言で六代目のとなりを歩いていた私だったが、ついに、思いきってこんな質問をしてしまった。
「あの……このペースでほんとに大丈夫なんでしょうか……?」
視察なのだからいろいろと観光地を見て回るのは当然なのかもしれないが、それにしてもゆっくりとしたペースが気になっていた。この町もまだ火の国の領内なのだ。
しかし、六代目の飄々とした態度は変わらない。
「ん? ああ、だいじょーぶだいじょーぶ。ほらあれ」
と、六代目が町外れに見える山脈を指さした。
「あれ越えるともう湯の国だからね」
「そう……ですか。湯の国……」
そうつぶやいて、じっと山を見つめる。すでに国境間近まで来ていたということか。そして、明日の今頃にはその国境を越えて山の向こう側――湯の国にいるのだろうか。なにとはなしに、そんなことを考える。
すると――
「おーい、カカシィ、こっちに的当てがあるぞ。どうだ、ひとつ勝負しないか?」
先に行っていたガイさんの声が聞こえてきた。近くの店から顔を出し手を振っている。
「うーん……じゃあちょっとやってみようか」
「お、ノリがいいな! 若い頃とは大違いだな!」
「ま、オレもいい加減いい歳だからね。多少は丸くなるよ」
ハハハ、と軽く笑いながら的当て屋の暖簾をくぐる六代目。私はそれを黙って見送る。
ふたりがずっとこんな調子だから、なにか任務という実感がわかない。本日何度目かのため息とともに、私は周囲を見まわした。
多くの人で賑わう宿場町だ。人通りも多い。しかし、若い男女が異様に多いような気がするのはなぜなのだろう。というより、私たち以外は、ほぼ若い男女しかいない。雰囲気から察するに、恋人同士なのだろうが、なぜこんなに……?
若い男女に混じって、キャッキャとはしゃぐ六代目とガイさん。
木製のクナイやゴムボールを投げながら、一喜一憂するいい歳した男ふたり。
ぶっちゃけ、ものすごく浮いている。そしてそれを陰ながら見守る私はいったい……。
私たち三人は、周囲の人たちからどう思われているのだろう。なんの集いだと思われているのだろう。少なくとも、その中のひとりが先代火影であるとは誰も思うまいが、できることなら今すぐにでも任務を放棄して、この場から逃げ出したい衝動に駆られてきた。
「ぬう、また引き分けか……!」
すぐに、ガイさんが店から出てきた。続いて、ガイさんの車イスを押しながら六代目も出てくる。思っていたよりも早く出てきたふたりの姿に、私は目を丸くした。
「えっ? あ、あの……的当ては……?」
「ん? ああ、なんか全然当たらなくてね」
六代目が、笑顔で答えた。どうやらまったく景品が獲れなかったらしい。つまりは、先代火影であるはずの人が、的当ての景品にすら命中させることができなかったとそういう……。私はあまりのことに気を失いそうになった。
「いや〜、あれが本物のクナイだったら当たるんだけどねえ」
「うむ、惜しかったな。だが、お互いナイスファイトだった!」
笑顔がまぶしいふたりを前にして、私の顔はきっと真っ青になっているに違いない。
だって、先代火影ともあろう御方がミスるって……。いや、遊びにムキになってもしかたがないということなのだろうか。というか、どんだけむずいんだここの的当て。
「よーし、それじゃあカカシ、となりの店でもう一勝負といこうじゃあないか!」
「えーっと、ちょっと待ってね」
ガイさんの声に、財布を取り出し中身を確認し、そそくさとしまう六代目。もはや、先代火影というより、どこぞのお母さんにしか見えなくなってきた……。
――と、不意に、歓声が起こった。
何事かと思って視線をやると、先ほどの的当て屋から、若い女の子がキャーキャー騒ぐ声が聞こえてくる。どうやら、カップルが景品を見事獲得したらしい。
――先代火影よりうまいのかあの人たちは……。
大きな景品を抱えながら店から出てくるカップルに軽く戦慄を覚えていると――
「おっと」
六代目が、急に近くを歩いていた男の腕を摑んだ。
「えっ!?」
驚いて、慌てて振り返ると、男の手に六代目の財布が握られていた。スリだった。
「いるんだよねえ……。こういう観光地には」
雑踏のなか、静かにため息をつく六代目。逃げようともがくスリの腕を、がっちりと摑んで放さない。そして、何事もなかったかのように冷静な声で私に指示を出した。
「悪いけど、警備の人を呼んできてくれるかな」
「は、はいっ」
うわずった声で返事をする。迂闊であった。護衛であるにもかかわらず、ふたりのゆるい雰囲気にあてられて、すっかり気が抜けてしまっていた。まさかスリに狙われるなんて。
しかし、さすがは六代目。やはり先代火影の名はダテではないという……。
次の瞬間、ぽーんと、六代目の財布が宙を舞っていた。
「あ……」
六代目が間の抜けた声をあげた。腕を摑まれていたスリが、ニヤリとほくそ笑む。
と同時に、人混みから飛び出してきたべつの男が、投げられた財布を受け取って勢いよく走り去っていく。スリはふたり組だったのだ。
「いかん! ミライ、追うんだ!」
ガイさんが叫ぶのと同時に、私は走りだしていた。
器用に人と人との間をすり抜けて逃げていく男の背を追いかけていく。多くの観光客で賑わう大通りのうえ、地の利は向こうにある。一度見失ったらおしまいだ。
――しかたがない……!
走りながら、私は素早く印を結んだ。追いつかれないように何度も後ろを確認していた男の動きが、ピタリと止まった。
「う、うわっ、なんだこれ!?」
男が、悲鳴をあげた。男の足下から、突如として樹木が生えてきたからだ。そのまま、樹木はゆっくりと男の身体に絡みついていき、男は瞬く間に拘束された。
魔幻・樹縛殺。
木ノ葉に古くから伝わる幻術のひとつで、絡みつく樹木の幻を見せ、相手を捕縛する技だ。幻術に耐性のない者ならば、もはや指ひとつとして動かせないことだろう。
もともとは木ノ葉隠れの里の創設者であり、木遁忍術の使い手であった初代火影・千手柱間の時代に考案された術だ。さながら木遁忍術を操っているかのように相手に思いこませるためといった用途で使われたのがはじまりのようだ。
つまりは、敵にこの幻を見せることによって、今戦っているのはあの千手柱間なのではないか、もしかしたら、敵の部隊に千手柱間がいるのではないかと思わせ畏怖させるために使われていたのだ。唯一無二の木遁忍術の使い手として、忍界全域に広く名の知られていた初代火影――その威光があったからこそ生まれた幻術なのだ。
――まあ、この話の大部分が母さんからの聞きかじりなのだが……。
私は、ゆったりとした足取りで男に近づいていく。手を伸ばすと、男が顔を引きつらせ「ヒィ」とうめいた。冷や汗を流しながら、顔面蒼白になっている。おそらく、自分が幻術にかかっているということにすら気づけていないのだろう。
身動きひとつ取れなくなった男の手から、六代目の財布を取り戻す。
ようやく、護衛らしい仕事ができた。
スリを町の治安維持部隊に引き渡し、六代目とガイさんのもとに戻ってくると、財布をスられたというのに、なぜかふたりはほのぼのとしていた。
「いやあ、驚くよね。ふたり組とはね」
「まったくだ。あれは気づかなかった。プロというやつだな!」
だーっはっはと、ガイさんが笑う。ハハハと、六代目も笑う。
私がいない間に、捕まえていたほうのスリを治安維持部隊に引き渡していたとはいえ、まったりとするのが早すぎるような気がする。
ガイさんが、大袈裟に拳を握りしめた。
「くぅ〜、しっかしオレも歳を取ったもんだ。若い頃のオレならば、ふたりと言わず、スリの百人や二百人くらい目じゃなかったんだがなあ。それどころか、財布をスられる前にこの拳を叩きこんでいたところだ!」
「いや、まだなにもしていない人に拳を叩きこんじゃまずいでしょーよ」
「おおっ、それもそうだな!」
能天気な会話を繰り広げ再び笑いだすふたり。なんだか、だんだんと腹が立ってきた。
「おっ、帰ったか」
私に気づいたガイさんが声をあげる。振り返った六代目に、私は声を荒らげていた。
「いい加減にしてください! なにをへらへら笑っているんですか!?」
六代目とガイさんがぽかんとする。が、止められない。
「ひとつ間違えれば危ないところだったんですよ!? そりゃあ確かに、スリを近づけさせてしまったのは私のミスですよ? でも、自分のミスを棚に上げるわけじゃありませんが、おふたりとももっと危機感を持ってください!」
大声で一気にまくしたてたところでまわりの人の視線に気がついて、声を落とす。
「そもそも、腕を摑むだけだなんて生易しい対応をするから、つけこまれたんです。財布を仲間にパスされてしまったんですよ。腕の骨を粉砕していればよかったんです」
「いきなりそんなことしないよ。ガイじゃあるまいし」
「おいおい、オレだっていきなり腕を粉砕したりはしないぞ」
「じゃあ雷遁を! 雷遁を使うんです! 気絶させてやればよかったんですよ!」
「んー、それだと目立ちまくりだからさ。ほら、一応これ極秘任務だし」
「ううっ……」
確かにそのとおりだった。六代目の言うとおりだ。拘束をしたのにさらに腕をへし折るのはやりすぎだし、わざわざ多くの観光客がいる前で雷遁を使うわけにはいかない。そんなこと、わかっている。でも、なんだろうこのもやもやは。
「それにね――」
にこやかな表情で、六代目が私の手を指さす。正確には、私の手にある六代目の財布をだ。返そうと思って持ったままだったものだ。
「ちょっとそれ、開けてみてくれる?」
言われて、訝しく思いながら財布の中身を確認する。すると中には、札や小銭はまったく入っておらず、なぜか一枚の紙切れだけが入っていた。
なんだろうと思って開いて見てみると……。
はずれ 悪いことはやめましょう
そこには、そんなメッセージと六代目の顔をデフォルメしたようなイラストが。
「その財布、実はニセモノなんだよねえ」
「なんだそうだったのか。さすがだなカカシ」
六代目とガイさんが、また笑いだした。
しかし私としては、当然笑い事ではない。なんというか、ふつうに苛立つ。
「さて、予備の財布も返ってきたことだし、他のところも見て回ろうか」
『予備の財布』という、あまり聞き慣れない言葉が心を抉る。
取り戻した財布も、けっきょく無意味。あってもなくてもいいようなもので、要するに私は、護衛として未だなんの役にも立てていない。苛立ちが募る。なににそんなに苛立つのかといえば、なにもできていない自分自身にだ。
「よーし、次はあっちだー!」
べつの店を指さすガイさんと、その車イスを押していく六代目。ふたりは的当て屋の時と同じように、再びキャッキャと子供のようにはしゃぎながら駆けていく。そんなふたりの後ろ姿を、私は冷めきった目で見つめていた。
――この人、本当に火影だったのだろうか……。
思わず、そんな疑念がわいてくる。
のほほんとしていて、歩みも遅く、なにも考えていなさそうで、的当ても外し、おまけにニセモノとはいえ財布もスられ、それなのに終始へらへらしていて、まったく頼りにならなそうなこの人に、果たして本当に火影という大役が務まるものなのだろうか。
火影といえば里の頂点、伝説の忍。こんな、浮かれ気分で若者の集団に混じりいっしょに記念撮影をするような人に務まるものとは到底――そんな馬鹿な!
「なにしてるんですか!?」
慌てて、六代目とガイさんを若者の集団から引き剝がす。心臓が早鐘と化している。危ないところだった。少し距離が離れたまさにその瞬間、見知らぬ多くの人たちに囲まれてしまっているなんて、護衛としてあるまじき失態だ。これでもしもあの若者たちが爆発でもしていたらと思うとぞっとする。今頃、六代目とガイさんの命はなかったことだろう。
「か、勝手にうろうろ、しないで、ください……」
ハアハアと息を切らしながらうなだれる。顔を上げると、目の前に白い歯を見せて微笑むガイさんがいた。むしろガイさんしかいなかった。
「うわああああ、六代目は!?」
ひさびさに腹の底から妙な声が出た。それよりも『六代目』とか叫んでしまった。人前では、警備上『カカシさん』と呼ぶべきだというのに。
一日に何度も、護衛としての誇りにここまで傷が付くとは思ってもみなかった。私は必死になってあたりを見まわした。すると、少し離れた路地に六代目の姿が。
路地に佇んでいた六代目はといえば、なぜか近くの街路樹に手を当て目を潤ませていた。そしてしきりに「これはもしや『例のあの木』か……?」などとつぶやいていた。
「な、なんなんですかあれ……」
あまりにも意味不明で異様な光景に、若干引き気味になる私。すると、車イスを動かして私のとなりに並んだガイさんが、静かに微笑んだ。
「あいつはずっとここに来たいと言っていたからな。今まで忙しくて叶わなかったんだ」
「えっ、ここに……ですか?」
確かに、私が物心ついたときにはすでに火影として山のような書類仕事に忙殺されていた六代目である。遠出ができるような休みらしい休みなどなかったのかもしれない。
しかし、どう見てもふつうの路地にしか見えないこの場所がなんだというのだろう。
「おおっ、あれはまさか『例のあの店』! ということは、今まさにオレが立っているこの場所こそが『例のあの通り』か……!」
きょろきょろと、目を輝かせながら歓声をあげる六代目。まるでおもちゃ屋さんにいる子供のようだ。常に飄々としている印象のあの六代目が、ここまで喜びを露わにするのは珍しいのではないだろうか。
それほどまでに六代目を惹きつけるこの場所はいったい……。
「やっとだ……。やっと、長年の夢が叶った……。オレは今『イチャイチャパラダイス』の聖地に、『例のあの場所』に立っているんだ!」
両手を天に掲げ、喜びの声をあげる六代目。
「イチャイチャ……えっ、なんです?」
思わず、ガイさんに訊ねる。
「『イチャイチャパラダイス』……若い頃からのカカシの愛読書だ」
つぶやくガイさんの頰には、なぜか一筋の涙が。
「夢を……ついに夢を叶えたなカカシィ……!」
むせび泣くガイさんと、まるで勝利の雄叫びをあげるかのごとく拳を掲げる六代目。
なんだろう。まったくノリについていけない。そしてなんだろう。そのろくでもないタイトルの本は。きっと、書いたやつもろくでもない人間に違いない。
どんな本なんだろうか……。周囲に若い男女が多いように感じるのは、そのイチャイチャなんちゃらのせいなのだろうか……。
すると六代目が、喜びを嚙みしめるようにつぶやいた。
「ここは、映画のときのロケ地なんだ……」
映画化までされていた。
もしかして、妙なのはタイトルだけで、本当はとてつもなく為になる内容の本なのではないだろうか。これは、タイトルだけで判断するのは早計か。なにせ六代目が、若かりし頃より愛読していたというほどの本だ。なにかよほどの秘密があるに違いない。
「それって、やっぱり私も読んだほうがいいのでしょうか?」
「へ?」
素っ頓狂な声を発して、ガイさんが私を見上げた。あまりにもまじまじと私の顔を見つめてくるので、なんだか気まずくなってきた。
「な、なんですか……」
「お前には、まだ早い……!」
ガイさんが、ぴしゃりと言い放つ。
その姿は、さながらなんらかの師匠。弟子に直接指導はせず、見て盗めという精神を地で行くなんらかの師匠のようだった。
しかし、私は諦めない。
「じゃ、じゃあ、せめて内容だけでも……」
真剣な眼差しでそう食い下がると、ガイさんが眉間にシワを寄せて難しい顔になった。
「内容……内容かぁ……」
と思ったら、突如ガイさんが両手で自分の顔を覆ってしまった。
「ああっ、言えん! オレにはとても言えん!」
顔を耳まで真っ赤にしながら、いやいやと、うら若き乙女のように首を振るガイさん。
なんだこの人……。
ガイさんの予想外の反応に、すっかり拍子抜けしてしまった。どちらにせよ、今は任務中だ。本のことは里に帰ってからでいいだろう。
そう自分を納得させていると、ガイさんが一冊の本を差し出してきた。
「これは……!?」
「読書なら、この本を読むといい。オレが監修した『飛び出せ青春! 熱血エクササイズ二十四時』だ! オレといっしょにエクササイズができるビデオも付いているぞ!」
そう言って、聞いたことすらない本を手渡される。というか、半ば押しつけられる。
本の表紙には、イイ笑顔で力強く親指を立てるガイさんの姿が。そして本の表紙に載っているのとまるで同じ表情、同じポーズでもって、ガイさんが続けた。
「この本にはな、オレが考案した座ったまま行うエクササイズの方法が記されている。足腰の弱ったご老人でも手軽に運動ができるようにとの想いを込めてつくったものだ。この本を読み、付属のトレーニングビデオでオレといっしょに二十四時間エクササイズをすることによって、誰もがみるみるうちに健康になっていくこと間違いなしだ!」
なんてことだ……。今すぐにでもこの本を回収しないと、ご老人が死んでしまう。
本を持ったまま私が啞然としていると、聖地を堪能したのか六代目が戻ってきた。
「ああ、この本。ていうか、持ってきてたのね……」
表紙の時点ですでに暑苦しい本を見て、げんなりとした表情を浮かべる六代目。
「二十四時間って、ふつう無理でしょ……」
「そんなことはない! リーなんかこの本にえらく感動してな『ボクはこれから毎日このトレーニングを続けます!』とまで言ってくれているんだぞ!」
なんてことだ……。なおさら急ぎこの危険きわまりない本の回収をしなければならない。このままではリーさんの今後の人生すべてがエクササイズ一色になってしまう。
「いや、ほら、あの子は特殊な訓練を受けた子だから……」
「お前はオレの弟子をいったいなんだと思ってるんだ!?」
和気藹々とした、ふたりの賑やかなやりとりを眺める。本当に心が通じ合っていて、長年の付き合いがあるからこそ可能となる歯に衣着せぬ物言いが、傍目にも心地いい。ガイさんを軽くあしらう六代目の姿に、思わず私の頰もゆるんでくる。
――なんというか、ずっとこんな調子なんだろうな。このふたりは。
そして、そんなふたりの姿を眺めているうちに、気づけば亡き父のことを考えていた。
六代目もガイさんも、父と同じくらいの歳のはず。
もしも父さんが生きていたのなら、いったいどんな感じだったのだろう、と。
ガイさんのように熱く力強い男だったのだろうか。
それとも、六代目のようにやさしくのんびりとした人だったのだろうか。
毎朝手を合わせてはいても、遺影だけでは声や性格はわからない。
父を知る人が見れば、その遺影は大切な思い出になるのだろうが、私には父との思い出がない。父がどんな声で、どんなしゃべり方をしていたのか、私が身をもってそれを知ることは決してないのだ。
「よし、それなら旅館に帰ってオレの自慢のエクササイズを実践だああああ!」
「んー、いや、それはいいかな」
「くそう、ここはノリで返事しないのか! さすがは我がライバル……」
六代目とガイさんの騒がしいやりとりは、まだ続いていた。
「せっかくの温泉地で熱血エクササイズ二十四時はちょっとね」
そう言いながら、ガイさんの車イスを押していく六代目。どうやら宿に向かうらしい。すでに日は沈みかけており、西の空にわずかに残る朱色が、夜の黒と混ざりはじめていた。
私は黙ってふたりのあとについていく。今日一日バタバタしてしまったが、私はふたりの護衛なのだから。七代目から直々に護衛を任されたのだから。
「確かにな……。せっかくの温泉、せっかくの休暇だものな」
徐々にあたりが暗くなっていく。建ち並ぶ店の軒先に、提灯の明かりが灯っていく。
「……えっ」
思わず、声が漏れた。しかしそんな私の声は、すぐに町の喧騒にかき消されてしまう。
「まったく、お前もたいへんだな。なにせ、名目上は任務ということにしておかないと、こうして里の外にも出られんのだからな」
ガイさんがなにとはなしに口にした言葉に、私の足が止まる。
休暇。名目上。確かにそう言った。
つまりは、これはただの観光。そしてここは、視察と言いつつも、ただ来たかっただけの場所。私は本当にただの付き人で、護衛で手柄を立てるだとかそんなことはありえなくて、せいぜい先代火影の外出に書類上必要だったから連れてこられただけ……。
あらゆることが脳内を駆け巡るも、真っ先に思うことは、ただひとつだった。
――七代目は、なぜ私を……?
大切な五影会談の日に、あえて私を護衛から外した意味は。
七代目の護衛もせずに、なんで私はこんなところに立っているのか。
私が未熟だから、外された……?
六代目とガイさんが行ってしまう。私はその後ろ姿を呆然と見つめていた。
夜。
温泉宿の一室で、六代目とガイさんは夕食を摂っていた。ふたりとも浴衣姿で、すっかりくつろいでいる様子である。むしろ、くつろいでいるどころか、六代目に関してはどことなくぼんやりとしているようにすら見えた。相変わらず、先代火影であったことが疑わしくなるほどに頼りない印象を受ける人だ。
ガイさんはガイさんで、非常に食欲旺盛で、見た目の印象どおりの人だ。
私は、そんなふたりの様子を双眼鏡越しに見ていた。
今私がいるのは、旅館の外――庭にある木の上である。夕食を断り、ここから部屋にいるふたりを護衛しようと心に決めていた。
たとえただの休暇だったとしても、任務にかこつけた観光だったとしても、それならば私は私で勝手に最後までこの任務を全うする。
観光旅行の付き人――要は、ふたりが楽しく観光を終えて無事に木ノ葉に帰ることさえできればそれでいいのだ。ならばふたりといっしょに食事など摂る必要もなく、となりの部屋に泊まる必要もない。私がやるべきことといえば、せいぜい食事の手配や宿の確保くらいなもので、あとはこうして遠目から眺めているだけで充分ではないか。
どうせ明日、明後日には終わる仕事。つまらなかろうがそれまで我慢すればいいだけの話。それですべて完了。このむなしい任務もそれまでだ。
木の幹にもたれかかり、ため息をつく。町のあちらこちらから立ちのぼる湯煙が、家々から漏れる明かりに照らされながら夜の空に吸いこまれていく。なんとなく温泉のことを考えた私は、ぶるりと身を震わせた。夜になって、少し冷えてきたようだ。
――本当に、なんで私がこんなことをしているのだろう……。
双眼鏡の中では、ガイさんがうまそうに天ぷらを頰張っていた。
――なんだろうか。この無意味な光景と時間は……。
ぐう、と腹が鳴った。
兵糧丸を取り出して、もそもそと食べる。いつもの味だ。馴染みのあるというよりも、いい加減飽き飽きしている味だ。だが、非常時に慣れ親しんだ味を食べることができるのはありがたいことなのだ。過酷な任務のなか、あるいは不慣れな土地のなか、知っている味を舌に与えてやることで精神を安定させることができるからだ。
ある意味、今も過酷で不慣れな状況ではあるのだが、どうせならもっとちゃんとした任務らしい任務で食べたいものだ。
そのまま双眼鏡を覗いていると、自分の皿にある天ぷらをすべて食べ尽くしたガイさんが、六代目の皿に箸を伸ばしていた。そしてそのまま、六代目から天ぷらを強奪する。
「信じられない……」
いい歳してなんなんだろうあの人は。子供じゃあるまいし。しかし驚いたのはそれだけではない。六代目だ。六代目がまるで反応しなかったのだ。食事中だというのに、なぜか虚空を見つめたままぼんやりとしていて、自分の皿から天ぷらが消えたことにすら気づいていないようなのだ。あれでは、ただただ箸と椀を持っているだけの置物ではないか。
「なんて鈍い……」
思わず、そうつぶやいた。
今日一日身近にいて、六代目にはがっかりさせられっぱなしだった。
なにせ、想像していたのと全然違う。七代目ともずいぶん違う。もっと立派で、すごい人なのかと思っていた。
でも、現実なんてこんなものなのだろうか。
こんなことで失望したくなかった。本当に残念だ。
改めて、ぼけーっとしている六代目の様子を確認する。そもそも、あの人は口もとをマスクで覆ったまま、どうやって食事をするつもりなのだろうか。そういえば、道中でもマスクを外したところを一度も見ていない。いったいどんな顔なのだろう……。
ごくりと固唾を吞んで、見守る。すると、六代目と目が合った。
「風邪ひくよ?」
六代目にそう言われる。
「放っておいてください。私は勝手に護衛してますから」
仏頂面のまま、私も言い返す。いや、待て。今、なんで声が……。
「はっ!?」
慌てて振り返る。双眼鏡の中に、すでに六代目の姿はなかった。
「でも、そうしていられると気になって食事ができないんだよね……」
背後の木の上に、穏やかな口調で語る六代目の姿があった。
「う、噓……速っ……!」
そのまま、私はまるで酸欠にでもなってしまったかのように、口をパクパクさせた。あまりの衝撃に、うまく言葉が出てこなくなってしまう。そして一拍おいて、全身からどっと汗が噴き出してきた。夜気にあてられ冷えた身体であるにもかかわらず、だ。
まったく気づかないうちに背後に回られるなんて、ふつうじゃない。ありえないことと言ってもいい。それなのに、六代目はすでに先ほどまでと同じように、のんびりとした雰囲気でそこにいるのだ。
「て、天ぷらを取られても反応しなかったのに、なんで今だけそんな速いんですか!?」
「天ぷら?」
少し落ち着きを取り戻した私がようやく口にした言葉に、六代目が首を傾げた。
そして――
「ああ、オレ昔から天ぷら苦手なんだよね。で、これも昔からなんだけど、いつもガイが代わりに食べてくれんのよ。最近では歳のせいか胃もたれが酷いとか言いながらも食べてくれるんだよねあいつは」
旅館の窓――部屋にいるガイさんを見つめながら、そう答える。
「そう……だったんですか」
天ぷらがなくなったのに気づいていなかったのではなく、ふたりにとってそれが当たり前だっただけ。つまりは私の思い違いだったのだ。
「それより、お腹減ったでしょ? とりあえずいっしょに夕飯食べようか」
六代目からにこやかな声でそう言われるも、思わず反発してしまう。
「……いいです。どうせ私は、ただの付き人なんですから!」
ただの、という部分に力を込めてそんなことを。わざわざそんなことを。自分でもどうしようもなく子供じみているなとわかって嫌になってきた。けれども、まともに護衛はできないわ、けっきょく役に立てないわ、かと思えばいつの間にか背後を取られているわでさんざんな一日だった私の本心でもあるわけで……。
すると六代目が、浴衣の上に着ていた羽織をしっかりと着直して、空を見上げた。
そうして、ぽつりとひと言。
「火影の息子って、どんな気分なんだろうね……」
脈絡もなく、そんなことを。
「なんですかいきなり。ボルトくんの話ですか?」
急に話を逸らされたと思った私は、ふくれっ面のままそう答える。
「いや、君のお父さんの話だよ」
「……えっ?」
夜風に木々がざわついた。
「君を見ていると、若い頃のアスマを思い出すよ。不器用なところとかそっくりでね」
父とそっくり……。不器用と言われたことよりも、そのことが妙に嬉しくて、私は六代目を食い入るように見つめた。
「アスマはね……」
静かに、六代目が語りだす。
「背が高かったんだ。それから声変わりしてからは、ずいぶんと渋いイイ声になってね。女の子にかなりモテたんだよね。ま! 本人はあまり気づいていなかったようだけど」
「……火影の息子って話は!?」
深刻な話になるものと思って聞いていた私は、思わず声をあげていた。
「ああ、そうだったそうだった。んー、まあねぇ……いろいろあったみたいよ。父親との確執ってやつとかかな。あとまわりからの期待と重圧だったりね」
思っていたよりも、ざっくりとした話だった。
「父親への反発からか、一時は里を飛び出したこともあったんだよね。でも、戻ってきたときには一皮むけたっていうのかな。以前よりもなんだか自然体でね。それ以来、親子の関係も肩肘張らないで済むようになったんじゃないかなって」
六代目が、私を見つめて微笑んだ。
「で、どうしてオレが今こんな話をしているのかっていうと、君が若い頃のアスマと同じように肩肘張りすぎているからなんだよね。もっと自然体でいいと思うよ」
「自然体……」
「そう。真面目なのはいいことだけど、ちょっと気を張りすぎかな。ナルトのやつもそれを心配していてね。せっかく実力があるのにもったいないってね。変に肩に力が入っちゃうと、うまくいくものもいかなくなっちゃうでしょ」
「七代目が、そんなことを……」
ずっと気になっていたことだった。なぜ五影会談の日に、わざわざ私を護衛から外したのか。それは、私のことを考えていてくださったからこそだったのだ。
「そっかぁ……そうだったんだ……」
幹にもたれかかったまま、私は膝を抱えた。ただの護衛役のことなんて、意識していないだろうと思っていた。でも違った。七代目は、ちゃんと私を見ていてくださったのだ。
「それにね、休暇がてらなんて言いつつも、視察任務もれっきとした任務だからね。木ノ葉の忍ではなく旅行者としてやっていかなくちゃならない。護衛として常に気を張って眼光鋭くあたりを見まわしていたんじゃ、バレバレだよね」
「そ、そんなに私の目つき鋭かったですか?」
「うん。ぶっちゃけ獲物を狙う肉食獣の目だったよね」
忍ですらなかった。
自分ではけっこう抑えていたつもりだったのだが、そんなにバレバレだったとは。
六代目やガイさんが、必要以上にはしゃいでいたのも、ただの旅行者を装うためのものだったというのに、私はそれに気づきもしなかったのだ。だとすると――
と、ここで私はあることを思い出した。
「それじゃあ、的当て屋でふたりとも景品が獲れなかったのは、もしかしてただの旅行者を装うためにわざと……?」
そう訊ねた瞬間、六代目の顔が暗くなる。
「いや……あれはフツーに……」
「ホントに当たらなかったんですか!?」
「いやね、君とうまく打ち解けられなかったからさ、ガイと相談してここで一番大きな景品獲ってそれをサプライズでプレゼントしようだなんて言っていたら、思った以上に難しくて全然うまくいかなくてね。ダメだよねぇ。おじさんふたりが考えることなんてさ」
軽く笑い、六代目が続けた。
「でもね、これだけは言える。今日一日、オレとガイが安心して楽しく笑っていられたのは、ミライ――護衛の専門家である君がいてくれたからなんだよ」
今までと同じように、笑顔でそう言われる。六代目にとっては、きっとこれはなにげない言葉にすぎなかったのだろう。おそらく六代目は、誰に対してもこうなのだ。
しかし、私にとっては違う。
このなにげない言葉だけで、今日一日のすべてが一瞬にして報われたのだ。
まるで、温泉のように温かい言葉だった。
「明日は、もう少し肩の力を抜いて、それでいて全力で護衛をしてみせます……!」
はにかみながら、そう答える。
ただの付き人を装いつつ、六代目やガイさんのように自然体でいよう。しかしそう考えると、少しもったいないような気がしてきた。
「でも、残念です」
任務は、二、三日の予定。六代目やガイさんの肩肘張らない自然な立ち居振る舞いからは、きっともっともっと多くのことが学べるはずだというのに、この任務はすぐに終わってしまう。少し前まではすぐに終わるから我慢していようなどと思っていたというのに、今になってこんなにも名残惜しく感じるなんて……。
私は、素直に思っていることを口にした。
「あと一日、二日でもう終わりなんですよね。この任務は……」
「え!?」
声をあげ、訝しげな表情になる六代目。なんだろうか。
「えっと……任務は『二十日』って伝えてあったと思うんだけど……」
その言葉に、頭の中が真っ白になる。
「あー、もしかして、『二十日』と『二日』を聞き間違えたり……とか……?」
六代目にそう言われて、冷静になってよくよく考えてみると、心当たりがありすぎる。
「ああああっ、間違えたっ!?」
叫んで、思わず頭を抱えてしまう。
確かに書類には『二十日』と書いてあった。
ただ、なんとなく『二』という数字の印象が強くて、そのあと荷物の整理なり、父の遺影に手を合わせていたりでバタバタしているときに、母に『二、三日帰れないから』なんてとっさに言ってしまって以降、自分でもすっかり『二日』だと勘違いしてしまっていたのだ。おかげで、持ってくる背嚢も間違えた。せいぜい四、五日分程度の荷物しか持ってきていないのだ。
「んー、君はあれかな。真面目に見えて意外と天然というタイプの子なのかな」
ハハハと、六代目がやさしく微笑んだ。
あまりの恥ずかしさに、一瞬にして顔が真っ赤になる。
「ち、違いますっ! たまたまですっ! 本当にたまたまなんですっ!」
必死に否定する私の声が、ゆらめく湯煙とともに、夜空へと吸いこまれていった。
とにもかくにも、望みどおり(?)もうしばらくこの旅は続くようだ……。
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