なくなるいのち
急な知らせ
入院していた祖母が危篤になった。あと3時間で気管挿管するので、最後に喋るなら今だから休んで帰ってきて。
いきなり、家族からきた電話。肺炎とは聞いてたけど、え、そんなすぐに調子悪くなる?みたいな感じで戸惑いながら上司に報告。すぐに有休を切って2時間後には病院にいた。
病室で横たわる祖母は、いつもよりも少し小さく丸まっていて口につけた酸素マスクが少し大きくみえた。
道中、「最後に話すチャンスって言われたって、何を話せばいいんだろう」とか戸惑いながら電車に乗って色々考えてきたけど、実際に会うと全部忘れてしまった。友人は「つぶあん派かこしあん派か聞こう」とか言ってくれたけど、そんなのとても聞けないような雰囲気だった。
だけど、祖母は思ったよりも饒舌で話したいことを話してくれた。娘(私の母)のこれからが心配だから少しでも支えてあげてほしいこと、孫(私の弟)にも家のことを頼んだこと、ひ孫(私の子)が賢くて可愛らしく自分の生きがいになっていたこと。いろいろとつらつら思っていることを話してくれた。
話のひとつひとつに想いが詰まっていて、ほんとに会えるの最後なんだろうな、という雰囲気が流れていた。私は何も気の利いたことなんて言えなくて、祖母の言いたいことをただ、うんうんと聞くぐらいしかできなかった。
これから命が燃え尽きるであろう祖母のために私ができることなんて、ただその場に「居る」ことぐらいしかなかった。
家族の反応
病室から戻ると、家族の反応は様々だった。祖父は茫然とし、弟は先に家に帰ってしまい(多分つらすぎてその場にい続けられなかったのだろう)、母だけがわんわんと泣いていて、子供がその様子をじっと見つめていた。
母はいつも祖母に強く当たり、以前までの祖母ができていたこと(洗濯物をといれたり畳んだり)がうまくできていないと「そうやってサボって私に甘えないでよ」「一度やらなくなるとどんどんボケて寝たきりになるだけ」と激しく非難していた。母にとって祖母が家事ができて当たり前の存在で、老いや病気によってそれができなくなることは想像できないらしい。だから、祖母にも寿命があることを実感して急に自分の振る舞いがまずかったことに気づいたんだろう。
母に私が何を言って励ましても「もっと早く病院に連れて行ってあげればよかった」「ちゃんと食べれているかみてあげたらよかった」と後悔を繰り返すだけだった。もう寿命なんだしどうしようもないじゃん、とか、できることは尽くしたんだし後悔しても仕方ない、とか私はなんとか伝えたけど、ここでも私はただその場に「居る」ことしかできなかった。
母がある程度泣き終わった頃に子供が「ばあば大丈夫だからね、僕がいるから」と声をかけていた。後になって母の記憶には私がなんとか励ましたことは消えて子供が優しく声をかけてくれた場面だけが残っていた。大切な孫の言葉はありがたいので印象に残ったが私のことは印象に残らなかったんだろう。まぁ、そういう親だから別にいいんだけど。
考察
こういった二つの「居る」を経験したあとで、その違いを後になって考えてみた。
祖母は「居る」ことの大切さがわかっているように見えた。なぜなら、長年家族のケア的部分(家事や掃除など)を担ってきていたからだ。私はただ「居る」ことしかできなかったが、それでも「仕事なのに帰ってきてくれたんだね」とありがたがってくれた。私なりの「そこに居る」というケアを受け取ってくれた。
一方、母は「居る」ということが何なのか、きっと分からない人なんだろう。家事や掃除などのケア労働は何も能力のない人がするもので、自分の話したいことは誰かに聞いてもらって当たり前で、やりたいことがあれば人も一緒にやってくれると固く信じている。うまくいかないと記憶を改竄して妄想の世界に入る。
実際、私が何日か実家に滞在しているうちに母の記憶は書き換わり、「祖母の死を悲しんでいる自分と対照に、娘は祖母の死を笑っていた」「娘は祖母の死を望んでいた」というストーリーを作り上げていた。私なりにやっていたケアを1ミリも受けとらないばかりか、「さすがに寿命だし仕方ない」といった発言がそこまで書き換わって恨みに変わるって、なかなかの妄想力である。
母はいつも妄想の世界に生きていたが、今回もやはり現実に帰ってこれなかったんだなと落胆した。
人がそばに「居る」ことを実感できずケアの大切さの分からない母のような人間は、人がそばに居なくなった時やケアを受けられなくなってボロボロになった時に初めてそのありがたさを知る。後悔する。だけど自分ではその穴をどうすることもできず、それを埋めてほしいから周囲の人間にさらに求めて関係が悪化する。自分のどこがケア的な視点からみてまずかったのかすら内省できない。そんな様子を滞在している間に観察した。
この状態って本当によくなくて、周りから人が離れていく一方だ。似たような状況を以前ナンノさんのnoteで読んだ。(母はまさにmHPが常に赤いβ側の人間だ)
一方、私はというとこれから祖母が死んでしまうかもしれない状況に対して悲しみは多少あったものの、後悔はほとんどなかった。伝えそびれた感謝も特にない。実家から離れた大学に上京した頃から、「自分がもし祖母の死にたち会えなかったら」と考え意識して帰省のたびに悔いを残さないよう接していたからかもしれない。
私は大学に行くことで先に祖母の存在のありがたさを実感する機会があったから祖母がいなくなることで生まれる家族の隙間のようなものが既にわかっていたが、ずっと一緒に暮らしている上ケアが見えない母にとっては悔やんでも悔やみ切れないような損失に見えたんだろう。
自分のそばに「居て」くれる人というのは、その場を離れたりその人が居なくなったりしない限りなかなか意識することができないんだと改めて感じる出来事だった。
場を意識的に離れて「当たり前」を疑って改めてありがたく感じられるためにも、日々なるべく多様な場に出向いて多くの人を知っていきたい。質に気づくにはまず数から、だ。
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