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人々を勝手にジャッジする、ノーマルなあなたは誰?ーー #スナック社会科 でへっぽこ司会をしながら考えたこと
#スナック社会科 にお越しの皆様ありがとうございました!!ゲストの蔡忠浩さん、MomentJoonさん、FUNIさん、企画協力・金村詩恩さん、主催者・サトマキさん、ロックカフェロフトさん、ありがとうございました。
第3部で一気に加速し大延長…!
すみません、「司会その2」なのに、白熱する議論を制するのをやや放棄しながら、流れに身を委ねてしまいました。
全体がそうではありますが、特に第三部は
「在日」「日本人」「ハーフ」「韓国人」「◯◯人」、さらには当事者、マジョリティ、マイノリティというタグ付けの暴力性や恣意性を疑う濃い時間だったように思います。
時間配分や回し方に工夫の余地ばかりで、特に第三部をもうすこし前倒しにできれば良かったように思います。誠に「へっぽこ司会」でありました。
明け方に蔡さんから、ありがたいお言葉をいただいてしまったのですが、自分の力不足を感じるばかりです。
伝えたいことを音楽で表現されてきた蔡さん、momentさん、FUNIさんに、「あえて言葉で言うならば…」とむちゃぶりをする役回りも、心苦しいところは多々ございました
一方で、胸に刻むべき発言が多々あったと思います。
「時事問題」が「身近な問題」でしかないこと(momentさん)。
当事者や○○人というタグ付けをなされてしまうなかで、「私性」(蔡さん)や「自分の足で立つこと」(FUNIさん)、越境や属性をてがかりにした解釈が先行するなかで、音楽のルーツを対置すること(momentさん)。
音楽という具体的な表現活動の話を軸にしながら、クライマックスに向けてぐぐぐっと(特に第三部で)焦点化されていったのは、そもそも「○○人は✖︎✖︎だよね」という言い回しをしている人は、そもそも「誰なのか」ということ。
ノーマル(正常)な人のフリして人々をジャッジするのは誰?
「差別しているあなたが当事者だ」という蔡さんの言葉が象徴的でした。
「Who makes the wall?」というテーマのWhoとは、マジで誰なのか、ということでした。そして、壁(wall)の見え方や堅さや高さや手触りの異なりに、鋭敏であること。
そして、
システムを問うこと(蔡さん)
構造を問うこと(金村さん)
社会の仕組みにふれることで問うこと(ケイン)、と別だけれども近似した表現で言い表そうとしたこと。
それはFUNIさんが「コピーandペーストされた言葉」と批判されていたような、よくある言い回しに乗っかるーーむしろ絡めとられるーーことから距離を取るべくもがくこと。
また、資料冒頭の金村詩恩さんのコラムや年表がうかびあがらせているのは、壁/タグ付けされていくプロセスの1つのバリエーションと、そのなかで生じる立場性の異なりでした。
終わったあとに、出演者で3日くらいやりたいという話になったのは面白かったですね。足りない。ほんとに足りない。
会場でもすこしお話しましたが、僕は今回の登壇を1度保留にしておりました。
主催者には以下のようにお伝えしておりました。
テーマとしても、そもそも僕の社会的属性ないし立場性、そして専門性においても、必ずしも適切だとは言い切れないし、もっと専門の方に企画に入っていただいたほうがいいだろうし、僕が司会というのはさすがに…たとえばオブザーバーとしての参加ならば可能かもしれない、ということ。
フタをあけたら司会その2で大変驚きました(苦笑)
超・頼りにしていた企画協力の詩恩さんは非常に残念ながら数日前にインフルエンザに罹患されたので会場のモニターに『1984』のビッグ・ブラザーのようにご登場される展開に。
直前の打ち合わせで「テレビのワイドショーのようなかたちでテーマに沿って順番に話すのは違うのではないか」という話になり、まっさらの状態で開演。たどたどしいスタートでしたが、でも、第三部の盛り上がりをかんがえれば、それがよかったのだとおもいます。たぶん、予定調和ではない、やりとりがあったはず。
それでも「誰かのつくった壁だらけの世界」が今朝も待っていました。たぶん、その壁をかたちづくることに、僕もーーもしかしてあなたも?ーー巻き込まれているのでしょう。
さて、どうしますかね。
昨日のあの時間では足りなかったことについて、まずは何より、学ぶこと。反省すること。次の一手を練ること。待つこと。ざらざらとした後悔と向き合うこと。
ゲストの皆さんの音楽にふれながら。
じゅりあん
【忘備録的な追記】
うまくまとまらないのですが、忘れてしまうとあれなので、ちょこちょこ書き足していきます。
(2020/01/28)
#スナック社会科 で
広げたかった論点。
(「アルペジオ」の歌詞を意識しつつ)蔡さんに複数の言語を組み合わせた理由をうかがった際に、学校経験を語られたこと。それにMoment Joonさんが「機能的に言葉を使うのは好きです」と返したこと。
「母語」、過剰解釈、そしてFUNIさんのrepresentの話が繋がる。
それは「50音では書きあらわせないんだ」という詩恩さんの話とも結びつく。
「タグ付け」の話は、
ノーマル(だと信じていられる状況に据え置かれている)な誰かと、そうした特権性を手渡されていない誰かとの関係性を問うだけでなく、タグの「付け方」をめぐる差異をも問えたはず。
改めて「母語」や「国語」ってほんとに厄介な言葉。
そして、FUNIさんが実演してくださった発音の差異や紹介されたリリックと、それの翻訳・解説の場面も、今から思い返せば、そして、時間が許せば、もっともっと掘り下げれた。ぐぬぬ。話題は拡散してるようで、実は交差し続けてた。
そして、こうした解釈や「書きぶり」自体が「やらかしている」可能性もある全然あるわけで(そんな気しかしない)、そのあたりもまた論点になったかもしれないなぁと思うのでした。
どのような場であることが、できたのだろう。