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「あなたは日本人何%?」と問われ続けてきた人々がいる社会で「純ジャパ」「混ジャパ」という言葉が出回ることについて考えるための忘備録。
まだ、まとまってません。
でも、「あなたは⽇本⼈何パーセント? 〜Letʼs 「混ジャパ」Project 、堀潤さんと一緒に2030年の日本人を考える〜」と題されたイベントの告知文を読んで、考えたことの断片を忘備録的に書き残しておきます。
とりあえず、大学で開催されるイベントの告知文に、以下のような文言があることは極めて不適切だと思います。
↓↓↓
「純ジャパ」になれない「⽇本⼈」、『混ジャパ』の存在 に注⽬
https://isezakiseminar2020.peatix.com/
では、以下はツイートした言葉を貼り付けていきます。
ーーーーー
「純ジャパになれない」って表現、僕なら使わないかも。純ジャパを解体するための表現が混ジャパなのだとしても。
「単⼀⺠族国家という⽇本国家像は神話になりつつあると言えるでしょう。あるいは、そんなもの初めからなかったのかもしれません」と「純ジャパになれない」の隙間。
たぶん「純ジャパ」が欲望の対象であるかのように「読めてしまう」言い回しだから引っかかりを覚えてる。
イベントで企図されているものと、「純ジャパになれない」とか「何パーセント?」とかの言い回しにかなりギャップがあると思うんです…。あと、指さされてる感じ…。
マジョリティを「宛先」にしている表現ではあると思うんですが…もう少し考えていたい。。
このnoteで紹介した記事と、「混ジャパ」イベントの企図は違うと思いますけれども。
↓↓
▼どんな意図で、どんな文脈で、使おうとも、この言葉は「不純なものがある」という前提に立つ…まるで、区別した上で、序列をつけるかのように▼もう、純ジャパって言葉を使うのはやめよう
https://note.com/julinote/n/n4223b550368f
一方で、大学のゼミが絡んでいる企画でこうした表現が「通った」ことについて、もう少し考えねばと思います。
「純ジャパ」「混ジャパ」という表現、当事者や身の回りの人、あとはたとえば『ふれる社会学』や吉孝くんの『「混血」と「日本人」』の読者の皆さんは「ん??」と引っかかるはずで。。
多様なルーツをもつ人々に関わる本を読まれていれば、少なくとも「純ジャパになれない」「何パーセント?」といった、純ジャパという(謎の)基準から人々を序列化する表現を採用することにはならないと思うのです。
「純ジャパになれない」といったしんどい言葉を読んでいると思うことは1つ。
もっと手に取りやすいところに、多様なルーツをもつ人々と身の回りの人に関する本や論文や論考や物語やイベントが行き届きますように。
(あと、堀潤さんは修正案を出されましたが、ゲストという立場ですと後からポスターやタイトルや概要の詳細について、情報がリリースされてから知ることがありまして、そのへんはほんと難しいな、とも思いました…)
「混ジャパ」「純ジャパ」というカテゴリーが大学という場で使われることの何が問題なのか、という点が知りたい方は、ぜひ『ふれる社会学』をお読みくださいませ!
下地ローレンス吉孝くん、セシリア久子さんと共に立ち上げたHAFU TALK(ハーフトーク)というメディアもぜひ!
あるいは、こちらのnoteも。
マジョリティとは「気にせずにすむ人々」ーー #ふれる社会学 のイベントから
https://note.com/julinote/n/n1e83b80755cc
【追加】
【ご報告】
書きました!読んでくださいませ。
麻生太郎の失言と「純ジャパ/混ジャパ」イベントの狭間で――誰が「単一で純粋な日本人」を語るのか
・麻生財務大臣の失言
・あなたは⽇本⼈何パーセント? Letʼs 「混ジャパ」Project 堀潤さんと一緒に2030年の日本人を考える
について🖋
【さらに追記】
ご依頼を受けて、続きを書きました!お読みくださいませ。
▼ハーフ、ダブル、日本人…「純/混ジャパ」イベント名称変更を受けて