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「前職は最も美しい村の村長、選挙に奮闘中」曽我逸郎さん
自分は何をしたらいいんだろう。見えないものを追い求めた学生時代。電通に入社するも、ずっとサラリーマンをやるつもりは毛頭なく、40代後半になった頃、学生時代から続けてきた仏教の勉強に本腰を入れようと、移住先を探し始めた。長野県を中心に全国をまわったが、中川村を訪れた時、これまで行ったどの場所とも違う感覚を覚えたという。
「草刈りがきちんとされていて、道端に花が植えられていて、手入れが行き届いた美しい村だなあと。それだけでなく、家族でキャンプをしていたら、地元の人が水やトイレの心配をしてくれたり、そのうち、お祭りの時に声を掛けていただくようになって。すごくよくしてくださったんです」
最初は冗談半分だったが、中川村に通ううち、「ここだったら」という思いに変わっていった。家族が先に住み始め、週末だけ村に通うという生活を4年間続けた後、2002年11月に退社。晴れて移住を果たした。
米や野菜を作ったり、地区の行事に参加しながら、仏教の学びを深める。そんな日々が長く続くはず、だったが、周辺市町村との合併問題で自立賛成派をサポートしたことから、その波頭に押し出され、2005年4月、村長選で初当選。移住して2年半後、思いがけず村長となった。こんなところに、よそ者を拒まない村の人の気風が見えてくる。
世の中に流されず、言いにくいことを思い切って口にする。逸郎さんはそんな信念を持って、TPP反対や脱原発など血の通った言葉を村のホームページなどで次々と発信。中川村の風通しのよい空気をつくってきた。(2017年5月、おいなんよ中川村より抜粋、写真©佐々木健太)
もののはずみで村長になって12年。2017年5月の任期終了後は、本来やりたかった仏教の勉強を復活させることが最優先。のはずだったが曽我さんは今、立憲民主党の衆議院長野5区総支部長として出馬中。真っ黒に日焼けした顔で選挙戦後半を戦っています。自分の人生は脇に置いて、地方でものびのびと。誰もが生きたいように生きられる世の中のために。