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花言葉アンチの日記

6/14、自由な魂と自己肯定感について一日中考えていたらカートにまで入れてた推しのボイスを発売期間中に決済することを忘れてました。泣いてないです。泣いてないけど自分のワーキングメモリと過集中を呪ってます。

以下、推しのボイス(以下略)を忘れるほど考えてた今日の呟きを時系列順にコピペしてきました。

人間は究極自分のことしか分からなくて、他人のことは想像するしかない。分からなくても分からないままで共存していくための道はきっとあって、その方法の一つが尊重で、他人を理解できないままでも尊重できることが社会的な生きものであるということなのだと私は思うし、それが私の自己肯定感の源だよ

「何ができても何ができなくても社会の構成員の一人である、という一つそれのみであなたは尊重されるべき存在なんだよ、そうこの私もね」というのが私のハチャメチャに高い自己肯定感の大元

私って"存在"過激派なんだよね、「ただそこに在るものに勝手に外側から意味を押し付けるな」って花言葉にも怒ってたし

ただそこに"在る"という価値を高く評価しているが故にそれそのものの価値を揺るがす勝手な位置付け、意味付けに大層怒る

存在の主体性を無視し客体としてただ消費する行為が嫌いなんだな。自己の主体性を主張するからには相手の主体性を尊重する必要もあるわけで、要は自分の主体性を誰にも侵害されたくないんだな、私というこの自由な魂は



自由な魂にとってはその魂を既存の何かの形である箱に入れられることは死ぬことよりもつらい。
自分の自由さを、気ままさを他人に認めてもらうためには自分自身が他者の自由さを認める必要がある。

私のおおらかという性質は自分の自由さの裏返しだったんだなぁと色々書きながら思いましたという日記でした。
自分で自分のことをおおらかだなぁと思うし他人からそう言われて生きてきたけど私結構日記やツイートで怒ってるしこだわりの強いところもある気がするなぁとかまたうだうだ考えてたらフォローしてる漫画家さんが「私がおおらかなんですねって言うときは大体悪口だよ」みたいな呟きしててまた憤慨してました。
おおらかで大雑把で自分以外に興味関心が向かないところも全部全部誰がなんと言おうと私の長所なので……

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