評価、表現、ずるいとかずるくないとか
意外と人間"大人"にはならないけど変わるのは変わる。
と、思うことがちょっとありました。
音楽などなどのサブスクリプション便利ですよね。
私はfire HDでAmazon Music聴きながら家事をしたりするのですが、最近元気がないので(いつも言ってるな)歌いながら少しでもテンション上げながら家事がしたいなと思いました。
そこで子どもを産む前、まだ日常生活に自分の好きな音楽を流す権利があったころよく聞いていたバンドの名前を検索して見ました。
遡らないと思い切り歌える歌がないなんて世間との隔絶を感じます。育児主婦たるものこの隔絶はもう慣れっこです。
目的のバンドのページを見つけ昔聴いてた曲をご機嫌で歌いながら洗濯物を干します。
昔から知っている曲が終わり、最近の私が知らない間にリリースされていた曲が始まりました。
…………………つらいな!!
知らない曲が流れたことがつらいのではありません。歌詞の内容にまったく、1ミリも共感できなくなっている自分自身がつらい。
私がつらく感じた歌詞の内容を簡単に要約すると「他人から常に人生をジャッジされているように感じる、つらい」のような自意識肥大系(ちょっと悪意ある表現してしまったかな)。
ねぇ、もう。知らんがな。本当にもう、知らんがな。
ある程度大人になったら自分自身への評価基準は自分の中に置け!自分のことを許してあげられるのは最終的に自分だけ!!
とTwitterでも当たり散らしたんですけど、でもまあ20代の頃の私の一番好きな、"創作物の中での告白"は「私の神様になって。私を許して」だったので自分で自分自身を許せない人だったことが私にもあるはずなのに、何故か急に自分の価値を他人の評価に置くことが許せない心の狭い人になっていました。
昨日のロミジュリの記事で「ロミオとジュリエットのジェットコースターみたいな恋愛について行けなかった」とも書いていましたけれど、どうです、大人になって恋愛への理解度下がってません??
私昔自分がネットでつけてた読書感想文を読み返してたら中学生の恋愛ものの小説についてこんなことを書いていました。
でも中学生の恋愛ってこうだよね。好きになる人を選べなくて、まだずるくなれない
大学卒業後すぐくらいに書いた文章かな。このときの私はまだ「好きになる人を選べない」気持ちを覚えていたようです。
ロミジュリ、まさにこうだよね。若い子は(と言うとこちらがめちゃくちゃ老齢のようだ、アラサーです)ずるくなれなくて恋に落ちる相手を選べない。
忘れていくものですね。自分で自分のことをまだまだ大人じゃないと思う一方で、子ども時代の、ままならない自分でもコントロール不能な感情を忘れていく。
今もう私は自分で選べるし、ずるくなれるし、ずるく賢く選んで生きていく自分自身のことを自分で許せる。
自分で思っているよりも大人になっていたようです。
表現する人はすごいな、奥底に眠った気持ちを引きずり出して来てくれる。
舞空ジュリエットちゃんの「お父様にはわからないわ」と言う涙を湛えた強い目を思い出します。
わからない大人じゃなくて、"昔自分もそうだった"を忘れず、寄り添える人になりたいなと思って書き記しておきました。もちろん自分が経験したことがないことにも、「この人は今そうなんだ」と寄り添える人でいたい。
と、「フォロワーにロミジュリに狂ってる様を見せつけたい」の言葉通り、ロミジュリが頭にくい込んでいるよ日記になりました。
フォロワー、ロミジュリを観よ。そして語れ
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