ひかる夜
知識は光。
知っているから初めてそこに光が当たり、鮮明に見えるようになる。
知らないと見えないものがこの世にはたくさんある。
深夜2:00、視聴者数10人前後の配信のコメント欄に私は居た。
居る、のだ。
見ているだけ、聴いているだけではなく居る。
そこを選んで。自宅の布団の中、ではなく私はそこに居た。
音楽を作りながらゆるく雑談すると銘打たれたその配信に雑談はあまり存在していなかった。
音が生まれるたびに、そして消されるたびにその人から漏れる楽しげで苦しげな、けれどやっぱり楽しげな呟きを深夜、覗いていた。
本来なら虚空に落ちて消えるような呟き。新しい音が生まれるたび嬉しげで楽しげで、高揚していく声。悩んで消して生まれ変わって、逡巡するような覚悟を決めたような、それでいてどこか楽しげな声。
音楽を作るとき、その人はさながら神のようだと思った。
無音に落とされる新しい音、増えていく音、新しい調和。
無から何かを産む行為はどこか神聖で触れがたい。
何かがまさに無から作り出されているところを見れる機会は中々ない。
私はこの日記のように文字を並べて一時消費される小さな世界を創造している。
その世界は触れて冷たく温かい現実と地続きのようで、ぷっかりと宙に浮いている。
創作は小さな小さな異世界の創造なのだ、とその配信を覗いていて思った。
クリック音とともに落とされる呟きの言葉をほとんど私は理解できない。
「この方が良くない?」誰かに問うようでその実その人に内側に向けられた問いに傍観者は答えられない。
知識がないから、もあるが新たに創造される世界をただただ見守りたいという気持ちが言葉を奪う。
呟きとともに増えていく音になるほど、と思う。
過程を知ることで今までもそこにあったのに聞こえていなかった音が急に耳に飛び込んでくるようになる。
見ているだけ、聴いているだけ。
その人は創造者、こちら側は傍観者。
見せてもらえているだけ。
でもコメントを打ち込めば届いてしまう。
実はこの世界は地続きだから。
私の世界には文字ばかりある。
この世界を文字として理解している。
でも午前2:00覗いた小さな異世界、そこには世界を音で理解する人が居た。
知らなくても覗ける。
一人一人小さな世界を抱えて生きるこの現実は実は地続きだったから、深夜光るその世界を覗けてしまった。
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