窓際おじさんのお口はお人好し。

パスワードすら入力されていないままとりあえず開かれているPC画面。

どうも、窓際おじさんです。

というのも、昨日と今日で2日間抑えていた仕事が昨日で終わり今日は出社する必要がなくなったのだが、今日出社しなくてもギャランティとしてキャンセル料が100%かかってしまうので「じゃ!明日の分はキャンセル料かかっちゃうけど、さすがわたし、仕事がはやかったってことで!明日はやすみまーす!おつ!」と言うのもなんだか図々しい気がして(規定なので、全くそんなことはないのだけど。)「キャンセル料かかっちゃうし、とりあえず常駐でいた方がいいとかあれば全然出社しますよ..!」なんてお人好しの口が完全なる建前をぺらぺらと喋り(やがり)、「まあ、じゃあどうせならとりあえずいてもらうか。」という流れになって(しまって)結局今日も出社すること(はめ)になったのである。

出社するもやっぱり仕事はなくて、空を眺めたり、滞っていたインスタのストーリーを更新したり(更新、と言ってもわたしはインフルエンサーでもなんでもなく、寝る前にカメラロールを確認してストーリーに載せるという日課がここ数日余力なく眠ってしまったがために出来ていなかったというだけの話。)YouTubeでMVを漁ったりして窓際おじさんを全うしていた。

お昼に少しだけ仕事を頼まれたが、窓際おじさんははやくもおやつの時間頃には完全復活を遂げ、どうせいついなくなっても問題ないだろうと、わたしは外で遅めのランチ休憩をとることに。
向かう先は近場にある寺院のお休み処。オフィス街である赤坂で、わたしが心を落ち着かせることが出来る数少ないカフェランチスポットである。わたしは縄張り意識の強い猫ちゃんなので、もしこれを読んでくれている同じフィールドを戦う者がいたとしても、出来ればこの場所を利用してほしくないなと思う。(じゃあ書くなよ。)
あなたが「自分だけの空間」を探す中で、わたしだけの空間を真似たものがあなただけの空間として重なるわけがないだろ!そんなことも分からないのか!リスペクトは愚か、プライドを感じられない!!!(牽制。)

逆を言えば、自分の空間に招くということは心を開いている証であったりする。

わたしは「ランチ休憩に寺院のお休み処へ行く人」という自分を自分でだいぶ気に入っており、もしランチに誘った人が連れて行ってくれたところが寺院のお休み処だったら、惚れるな。と思いながら、家で茹でる冷凍讃岐うどんのようなこしのないおでんうどん(普段と同じような環境を意識することで仕事のストレスを軽減させているわたしには最高の褒め言葉)を啜る。

わたしの後にお店に入ってきた着物姿の男性(寺院の方なのだろうか。)は、メニューを見て少し悩み、「きつねそばください。」と風情のあるイントネーションで頼んでいた。其の人はきつねそばを口に運ぶ度に姿勢を正しく戻し、一点を見つめ、「もぐもぐ」という文字が吹き出しに出てきそうなほど、「もぐもぐ」といった具合に食べていた。

おなかいっぱいで感じる秋の風は心地よく、「どうせ仕事もないだろう。」と、お散歩がてらコーヒースタンドに寄ってカフェラテを頼み、「どうせ仕事もないだろう。」と半分飲み終わるくらいまでは店内に居座った。

ちょっとさすがにのんびりし過ぎたか?とそわそわオフィスに戻るも仕事はなく、存在すら認識されていなかった。しばらく窓際おじさんをした後、今日はもう特に仕事が発生することはないということで、わたしは退勤することに。



夕食を食べながら「無給出社だった。」と呟くと、「え、別に無給じゃないでしょ。」と返され、否!本来働かなくても発生していたお給料なわけだから、仕事に対して支払われる対価という意味では無給なのである!と、価値観の違いにムッとするのであった。


While Writing
『こっちのけんと/はいよろこんで』

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