天然記念物になりたい。
人間は羊毛フェルトみたいなもので、刺して刺して刺して、自分の輪郭を形づくっていく。
ちくちく。ちくちく。
煩わしいかもしれないけど。
痛いかもしれないけど。
自分に向けて関心の針を刺さない人間の輪郭は、ふわふわと覚束ず、まるでわたあめのよう。いや、カビと言い表す方が正しいか。
シャカイでロウドウをしていると、わたしの身体に、たちまちカビが生えてくる。
感情が湧き上がる出来事もなければ、感情をのせる心の余裕もなく、感情を拾う時間も、対峙する時間もない。
朝早くに起きて、夜遅くまでロウドウをする。
いつもの生活よりはるかに長い1日を過ごしているのに、その日のメモアプリは閑散としていて、カメラロールには情報の記録が並ぶだけ。
メモアプリをスクロールすれば、
「あの人の仕事の音は、カタカタだった。この人の仕事の音は、カチカチなんだな。」
「あいつHSかかってるって言われた。」
「こんばんは。って挨拶したら、時間によって挨拶を変えられる人だ。と言われた。」
「かき氷のシロップを欲張ったみたいな髪色をした店員さん。」
こんなメモがあって。
カメラロールをスクロールすれば、
読んだ本のお気に入りの一節。
お昼寝をしながら眺めた窓の外の景色。
お散歩中に見つけた光や影。
切り込みを入れられてクラゲみたいになっている茄子の煮浸し。
向日葵の花びらみたいになったバターナッツのポタージュの食べ跡。
こんな写真があるのに。
最寄り駅までの道が、最寄り駅に辿り着くまでの道でしかなくなってしまう時、わたしは感性が痩せていくのを感じる。
人間でなくなるのが怖くなる。
生きていくのにはお金が必要なのに、ロウドウをすると人間でなくなってしまう。
生きることで死に、死ぬことで生きるわたしは、一体どうしたら生きながら生きていくことが出来るのだろうか。
感情を取りこぼさないで、考えて、巧みにちくちくして、ちゃんと人間らしい輪郭をした人間でいたい。
わたしらしい輪郭をしたわたしでいたい。
わたしらしい輪郭をしたわたしでいることが叶う仕事って何があるのだろうか。
欲を言えば、わたしらしい輪郭をしたわたしでいることでこそ価値が生まれる仕事ってあるのだろうか。
ぽつりぽつりと希望が浮かんでは、ぽつりぽつりと沈んでいく。そうして、ぽつりぽつり、不安や諦めが浮かんでくる。
むしゃくしゃして掻き分けると、そこには浮かびも沈みもせず漂い続けているなにかがあった。
いつのまにか、生きることは仕事をすることになっていることに気づいた。
「何かを感じたり考えたりしながら生きていきたい。」そう思っただけなのに、「何かを感じたり考えたりする仕事をして生きていきたい。」そう無自覚に変換していることに気づいた。
ただ人間らしく、わたしらしく生きることで生きては行けないのだろうか。ただ生きていることが生きていていい理由になることはないのだろうか。
そう考えた時、ふと、ただ生きていることが生きていていい理由になる人が頭に浮かんだ。
もし、その人が生きていくためにカビだらけになってしまうのなら、その感性を殺してしまうのなら、わたしがその感性を守り通したい。そう思える人がわたしにはいる。
たとえお金という価値を生まなくても、流す涙がダイヤモンドでなくても、吐き出す息が酸素でなくても。天然記念物を保護するように、わたしはその感性を守りたい。
世界を見つめるその感性で、わたしを見つめてくれたら。ただその感性の傍で生きていられたら。
誰かにはそんなことを思えるのに、自分にはそう思えず、いや、そう思うことすら思い浮かばず、お金という価値を生まなければ生きていてはならないと必死でならなかった。
わたしが保護したいと思うように、誰かわたしを保護してはくれないだろうか。
天然記念物になって保護されたい。
欲を言えば、愛され者になってグッズとか販売したい。
While Writing
『椎名林檎/幸福論』
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