その34 学校教育を、少しだけコンビニに例えて考えてみた。(3027文字)
1 はじめに
コンビニでは、様々な商品を買えたり、様々なサービスを受けたりすることができます。
商品として、飲食物や生活雑貨があります。
飲食物には、弁当やパン、惣菜、嗜好品等があります。
生活雑貨には、歯ブラシや文房具等があります。
また、サービスとして、各種チケット購入機・コピー機・ATM機の設置、宅配便・各種支払いの受付等があります。
このように、とても『便利』なお店です。
さらに24時間営業だなんて、何て頼りになるんでしょうか。
あたりまえのことを長々と書いてしまいました…。
ということで、学校教育について、コンビニエンスストアを例えに考えてみます。
2 学校教育について
学校には、教育目標があります。また、小学校では、研究テーマというものを掲げて、学校全体としての授業のあり方や取り組むべき方向性を決めていることが多いと思います。
教育目標や研究テーマを作るのは、教職員です。
一方で、個々の教師は、自分自身が学んできたことや、これまでの教育経験、教育観をはじめ、自分が育った家庭環境・教育環境、性格等々から「個人商店」的に学級経営をしていることが多いのではないかと思います。
このように学校全体の方針と個人の教師では、まったく異なる教育観を持っている可能性が大いにあります。
学校で定められた教育目標や研究テーマと、教師個人の教育観を擦り合わせて、日々の授業を行い、目の前にいる、子ども達と向き合うことが、なんて尊い営みなのだろうと思います。
3 コンビニに例えて
ここで、コンビニに例えてみます。
コンビニの中にある、商品、サービスが、教育に求められる必要なすべてのものだとします。
別の言い方をすると、お店の中にある商品どれもが、子どもの学び・成長にとって大事なものなのです。
学校教育目標や研究テーマというのは、学校として、向かうべき方向、ブレてはいけない教職員全員の旗印となるものです。
コンビニで例えるなら「コンビニには、多種多様な商品・サービスがあります。しかし、本校の子ども達にとって、特にデザートが大切になります。ですから、今年は、教職員のみなさんには、デザートを中心に購入してほしいと思います。デザートに求めることは、本校の子ども達には甘いものを食べてほっこりしたり、会話を楽しんだりということです。先生方は、どんなデザートを選びますか?」みたいなことです。
このような呼びかけのもとで、コンビニでは、ゼリーやヨーグルト、プリン、かりんとう、それに合う緑茶や牛乳等を選ぶことが、この目的に沿った行動だと言えそうな気がします。
目的の肝は、子どもの学び・成長なのです。
しかしながら、学校現場では、学校教育目標、研究テーマがあるにも関わらず、個の教師にスポットをあてると「私はハンバーグが好きだから」や「学校といえば、おにぎりやコンビニ弁当に決まっているでしょ」「サンドイッチの研究をしてますから」みたいなことになっているような気がします。
ここには、教師個人の問題以外にも、学校教育目標の設定の仕方・あり方そのものや、あり方に対する理解度、研究テーマの位置付け等々多くの問題が存在しているように思います。
4 問題点
(1)形式的なスローガン化
学校目標が、形式的なスローガンになっている場合があげられます。
定められたスローガンを頭に思い浮かべても、日々子どもと向き合い、具体的に何をするのかをイメージすることが難しい場合があります。
このような場合は、反対に学級担任の裁量で何をしてもいい状況になっているとも言えます。
新任や若手の先生、転勤1年目の先生には、とても困ったことになるでしょう。
(2)学校目標が他人事
一教師目線で言うと、気がつけば決まっていたということもあるようです。
この場合、学校目標について意見を伝えたり、言及したりする機会がありません。
新年度に学校長から決定事項を説明されるのですが、毎年同じことの繰り返しが多いようにも思われます。
決して、同じであることが悪いのではありませんが。
同じであることで、教員に言葉や思いが届かなくなっています。
1年や2年経ったところで、児童の実態が180°変わるなんてことはありません。
ですから、学校目標の文言は前例を踏襲することを是としたうえで、副題や実際の取り組みや授業観について、具体的に年度初めに言及する必要性を感じます。
(3)多忙
やはり学校現場が多忙なことを理由に上げてしまいます。
新年度、学校目標について考える暇がありません。
入学式や始業式まで、数えるほどの日にちしか無いなかで、スタートを切らなくてはなりません。
更に、毎年のように学級担任が変わる現状で、始業式を迎えていない時分では、まだ見ぬ子ども達の姿を想像することは難しいことから、より具体的な学校目標を思い描くことは、教師にとって難しいことなのかもしれません。
(4)決定時期
研究目標と同様に新年度がスタートして、子どもと対面してから、少しずつ考えることが、よりベターなのかなと思います。
5 おわりに
(例えとして)コンビニに売っているものは、人間の生活にとって、色々な意味で、すべて必要なものであることは、間違いありません。
しかし、その時に、子どもにとって必要なものを選ぶのが、その学校の持ち味・責任なのです。
令和の時代に、何より優先して、脱脂粉乳を出してはならないのです。
運動中に水分の制限をしてはならないのです。
先生が主体の授業をしていてはいけないのです。
指導法が研究の中心になってはいけないのです。
コンビニに売っているものは,「何でも有益だから!」とすべてを購入すれば、空間的にパンクします。
学校現場では、特に賞味期限切れのものが、根強い人気を誇る側面も否めません。
これが学校現場の一定の現実ではないかと思えます。
また、子どもにとっていいものとなると、なんでもかんでも『ビルド』『ビルド』されていくのも教育現場の「あるある」です。
一つ『ビルド』したら、一つ『スクラップ』しないと容量不足になると思います…。
繰り返しになりますが、コンビニの商品すべてが、教育にとって有益なものです。
有益なものイコールすべてを取り入れてしまう。
目標がどうであれ。
目標が「辛いものを食べ尽くそう」となっていても、先生方の趣味の範囲で「コンビニと言えばアイスクリームでしょ!」との考えから、学級をデザート三昧にしてしまう。
様々なデザートに触れるというプラスはありますが、子どもの様子から「辛いもの」に触れる必要性を考えて、目標が設定されているはずなのです。
「アイスクリームざんまい」で過ごした子ども達は、家に帰って、デザートの良さを親に伝えます。
すると親は学級担任に対して、個人懇談で「子どもはとても喜んでいます、毎日が楽しいと言っています」と伝えます。
すると…年度末に、その学級担任から「(管理職による)この評価は、おかしいと思います」等と、批判の意見が出るのではないでしょうか。
一つの事実として「甘いもの」が必要な教育もありますし「辛いものづくし」が必要なこともあります。
しかし、学校組織の一員として、何を選ぶのか、どのような教育観にアップデートするのか、誰を見て何を選ぶのかということに思いを馳せる必要が少なからずあるのではと考える今日この頃です。