【ぼく遺書vol.2】拝啓社長様 あの日語られた「塾をなくすための塾」を僕はまだ知らない~立志編②~
こんにちは。元塾講師のストームです。僕は東大経済学部出身の30代。大学を卒業後に就職した学習塾を退職して,今はフリーの身です。
「僕が遺書を書いて学習塾を辞めた理由」略して「ぼく遺書」
このブログでは以前勤めていたブラック学習塾での経験を告発していきます。自己紹介はこちら。
多くの人に読んでもらえていてありがたいです。今回は「~立志編②~」です。
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宗教学を極めた大学教授がこういったらしい。
「私に教団名と旗と教祖さえくれれば,いつでも宗教は創れます。」
逆に言えば,宗教学を極めた大教授でも教祖にはなれないのだ。その教授曰く,世界は「教祖になれる人間」と「教祖になれない人間」に二分されていて,「教祖になれる人間」はほんの一握りだという。
僕が出会ったブラック学習塾の社長は,そんな一握りの「教祖になれる人間」だったのかもしれない。
僕は学習塾というものが大嫌いだった。
勉強ができるのに塾に通う周りの友達を見ては「なんでそんなところにお金を使うの?」と疑問に思っていた。僕が塾に始めて行ったのは中学3年生。友達に誘われて行った夏期講習で,塾長に「ストーム(僕)くん,今のままだと第一志望に受からないよ。でもウチの塾に入れば大丈夫だ。」と言われたのが気に食わず,3日で塾を辞めた。
呆れながらも塾長に「すみません。ウチの子には合わなかったみたいで...」と恐る恐る電話してくれた母親の姿を見て,「母ちゃんに恥をかかせるわけにはいかない」と一念発起して宣言通り塾に行かずに第一志望に合格した。
現役で大学受験に落ちたその日にパンフレットを送り付けてくる塾にも嫌気がさして,浪人しても塾には行かない自宅浪人で東大に受かった。
東大に入学後も塾が嫌いで,塾講師や家庭教師のアルバイトは一切やらなかった。そして東大生には似合わない接客業をやっては,バイト仲間から「なんでこんな時給の安いバイトしてるの?」と不思議がられた。
そんな僕にとって,社長の「塾をなくすための塾」という一言は,禁断の果実のような甘い香りを解き放っていた。
社長「ストーム(僕)くん,俺と一緒にクソみたいな塾がない世界を一緒に作ろう。俺はやりたいことがはっきりしているヤツじゃなくて,君みたいにやりたいことがわからなくてエネルギーが有り余っているヤツと一緒に仕事がしたい。」
僕「ありがとうございます。でもどうしたら塾をなくせるんですか?」
社長「まずは俺たちの教室で最高のメソッドを創る。K塾・S台・T進にも負けない実践を俺たちならできる。たとえば俺は国語を教えているけど,国語は俺の授業が世界で一番だと思ってるよ。林修の授業も,霜栄の授業もキモイだろ。」
塾が嫌いな僕でさえ,林修先生や霜栄先生がどれだけ優れた塾講師なのかくらいは当然知っていた。この人たちは受験生にとって「現代文の神」として崇められる存在で,実際に授業もめちゃくちゃうまい。論理的に読むことを徹底して実践する林修先生,そして文学的センスも併せ持ち授業の一言一言でさえも綺麗な響きを持つ霜栄先生の授業を「キモイ」と一蹴する社長は,「とんでもなくすごい人」のように感じた。
たしかに社長は口だけではなかった。林修にも引けを取らない経歴の持ち主で,起業に至ったストーリーは「教育を変えるために生まれてきた男」のように感じさせるものだった。霜栄にも劣らず本も出版するなどカリスマ性も持ち合わせていて,確かに授業もうまい。そんな社長は「この人だったら自分を見たことのない世界に連れて行ってくれそう」と感じさせる人間だった。
僕「僕たちの教室で最高のメソッドを創ったらどうするんですか?」
社長「それを動画にして全国の学校に無料で配る。ネットに無料でアップロードしてもいい。そうしたら日本の学力は上がるし,普通の子が塾に行かなくてもいい社会になる。K塾・S台・T進は潰せる。」
僕「でも東大に入るようなめちゃくちゃ勉強ができる子はきっとその動画に満足しませんよね。それから偏差値の低い子は動画を見てもわからないかもしれないじゃないですか。」
社長「そうそう!そしたら「ハイレベルな子が通う塾」と「勉強ができない子が通う塾」に二分されるだろ。後者はきっと「病院みたいな塾」になるんじゃないかな。患者が処方箋をもらうように,勉強ができない子が対処法を教えてもらって帰っていくような。そんな「病院みたいな塾」を俺は作りたいんだ。」
「病院みたいな塾」という言葉は,その冷たそうな字面とは裏腹に,社長の口から出るとどことなく温かさを感じさせるものだった。
「病院みたいな塾」かぁ...悪くないな。と心の中で思った僕はこの時点でほとんど社長の世界に引き込まれていた。それでも僕に宿っていた理性が必死の抵抗をしたのだろうか。最後に社長にこんな言葉をぶつけた。
僕「塾のない社会,何年で作るんですか?」
さすがに20年くらいはかかるだろうな。まあそれくらいなら付き合ってもいいかなと思ったその矢先に,社長はこういった。
社長「ストームくん。君がいれば5年でできる。俺の右腕となって働いてくれ。」
この言葉で僕は完全にオトされたのだった。
あれから20年近くがたっただろうか。K塾・S台・T進はまだなくなっていない。「病院みたいな塾」もできていない。
拝啓社長様
あの日僕に語った夢はどうなりましたか?「塾をなくすための塾」を僕はまだ見ていません。どうかこのブログを読んでいたら,自分が行ってきたことを少しでも振り返ってください。
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