ガンキュウとザンニョウカンとくだらない話
以前、子供たちに面白い話をしていた時の事です。
そのクラスはキョンコロ先生史上で一番静かでまじめなクラスでした。
でも、面白い話は嫌いじゃない。そういうクラスでした。
そこで話したことは・・・・
キョンコロ先生がお友達と夜通しカラオケをした事。
7時間歌っても歌い足りない!という私はお友達にそのことを帰りの電車で訴えたあと、なんだかこの感覚「残尿感みたいだね」と結び笑って終わりました。
そしてテストか何かをして答え合わせの時間、生徒さんの誰かの洋服の模様がスカル模様だったことが発端だったと思いますが、頭蓋骨がファッションとして用いられるのに、なぜ内臓は用いられないのだろう?という話を私が持ち掛けました。
「気持ち悪いからだよ・・・・」
誰かが言いました。
「いや、肝臓とかはハードル高いけど、腎臓は可愛いんじゃないの?二個セットだからイヤリングとかにいいかも・・・・」
そうこうしているうちに二つセットというキーワードから、眼球の話になりました。
そして、もし私が「残尿感」という名前で、その友人が「眼球」だったら・・・・という仮定の話に持ち込みました。
ありえない設定。
でも、こういう話意外とみんな好きなんです。
きっと「残尿感」は「眼球」と仲良しだろうという設定を決めてセリフを言ってみます。
「ガーンキュウ!あははは!!」
友達に声をかけるかんじで楽しげに話しました。
大うけでした。
この話、大河ドラマか?っていうくらい設定を新しく盛り込んで何週間か続きました。
かいつまんで言うと幼馴染だったふたりは仲が良かったのですが、大人になって再会した時に「残尿感」が「眼球」につらく当たるようになるんです。そこからまた二人が友情を取り戻すまでの超大作というわけです。
このクラスは休み時間もおしゃべりをしないで自習をするような真面目なクラスでした。それでもユーモアを忘れないところが面白いバランスでした。皆の出すアイデアもとても面白いものばかりでした。
この『「眼球」と「残尿感」』ほかのクラスでも話してみたのですが、そこでも非常に面白いと感じていたようです。
このクラスには夏休みに風邪をひいて大きな病院に行った子がいました。
「先生。僕の言った病院で『残尿感』っていう単語を聞きました!」
と、嬉しそうに報告。
生活の中の表現とリンクすると嬉しいようです。
こういうことはよくありました。
この話、大人にとってはくだらないことだと思うかもしれません。
でも、子供さんにとって新しい面白さなのかもしれません。
それにしても、くだらないってどういうことなんでしょう?真面目にやるってどういうことなんでしょう?
くだらないことを排除して、真面目にやってそれで「塾に行きたくない」と感じる子供が多いのはどうしてでしょう?
すこし考えれば、どういう環境で勉強したらいいかわかるのではないでしょうか?
本当にくだらないのは誰の意見でしょう?
私は「合格する」ということをゴールとして考えているわけではないので、ゴールが「合格する」ことであると決めている人にはバカみたいな姿に見えるかもしれないかもしれませんがくだらないと情報を遮断して見せない部分があると結局先生と生徒の間には不信感が募ります。
幸せに生きるために受験をするのに、不信感を募らせることの方が私にとってはくだらないことです。
面白い話を携えて私はいつも教壇に立つとき、私はいつも信頼を交換することを強く意識していました。