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見えなくても見えるもの

高3の夏が終わった。
部活も最後の大会を終え、少し後悔とともに部活を引退した。キャプテンであった私にとってはこの1年は特に濃い内容であったが楽しかった。
引退してから数日間は、部活からの解放感を味わいつつ休息をとり受験への英気を養った。

まだ残暑が残る中、学校は始まった。
教室へ入り、友人たちと挨拶を交わし席へ着く。
(また始まるのか…)
私には誰にも言えない問題を抱えていた。
向き合わなければならない病気。
"いつも通り"に授業を受け、友達と喋り、"普段通り"の生活を送る。
異常を認識していても言葉にできなく
異常が日常とかした自分には、違和感などとうにない。
辛さはないし、痛みもない。
なのに、みんなと違う。
『誰にも言えない自分だけの秘密』
そんな言葉で自分を偽っていた。
「まぁ、そりゃそうだろうな」
『自分の眼には半透明の砂嵐が見え、蛍光色の線が飛び交い、光源を見れば残像がなかなか消えなく、見るという行為に精神的・肉体的疲労が他人より大きな負荷がかかっていること』
文字に起こすだけで長ったらしいというのに
まともな症状名がついたのは最近だという。
未だ未解明の病気をまさか自分がなっているとは。

高校入学が決まり、コンタクトを作るために
視力検査をしに行った際、この症状を医者に伝えた。
かかりつけ医だった眼科の先生は、「疲労感から来るものだろう」と言い、一緒に来ていた父親は自分が狂言を言ってるように受け取っていた。
セカンドオピニオンなど必要ないような口ぶりで、自分の本心を隠し、診察を終えた。

その時から私の心に暗雲が立ち込め始めた。
目の前に見える砂嵐は自分の心までも侵食し、徐々に光を奪っていった。
正直、何か分からぬこの砂嵐のせいで、自分が見てきたものを狂言と言われ、自分という人格を否定された気持ちになった。
大袈裟かもしれないが、小さな波紋が時間と共に大きくなっていくように、少しの自己疑問や自己否定が時間をかけて少しずつ大きくなっていった。

「見えるわけがない」
「おかしなことを言っている」
突き刺さる冷ややかな目が嫌だ
人と違うことが怖い
『…何で…自分が…』
『見えるのに…見えるのに…見えるのがおかしいのか』

今思えば、見えるのはおかしいのが"普通"。
しかし、周りが見えなくなり、暗くどこへ行けばいいのかすら分からなくなり道を迷った自分には、おかしくないことの方がおかしいと思うほどに精神をおかしくしていたのだ。
普段の生活をただ送る分には特に問題はなかったのが、またこの状況を悪化させた。
人前では、"普通"の人であるように仮面を被り、
何事もないかのように同じように振る舞って、症状に耐えながら生活を送った。
しかし、高校三年生となり、部活も終われば残るは、受験か就職がまっている。私は大学進学のために受験勉強に励んでいたが、目の症状は相変わらず砂嵐は見え続けている。その鬱陶しさや日々のストレスにより、ついに精神を病んだ。睡眠時間が減り、食欲は増え、身体に負担のかかる生活へと変わっていった。また、私にはこのことを相談ができるほどの人はおらず、自分一人で抱え込むしかなかったのも原因であった。

外の空気は乾燥し肌を刺す冷たい空気へと変わっていく10月の中旬。
高校へは自転車通学だった私は登校下校の時は音楽を聴きながら行くのが習慣だった。その日は図書室で勉強をし、下校のチャイムと共に学校を出た。
(今日は何を聴こうか…)
普段なら落ち着いたジャズやダークな歌詞の歌を聞くが、たまにはYouTubeの歌ってみたでも聞こうと思いYouTubeを開いた。私もその時には、Vtuberについては知っていた。タイムラインを下にスクロールした時に一つの動画が目に止まった。
再生回数は百にも満たない、たった十数秒の動画。私は何気ないその動画を開き、その十数秒の動画を見た。
赤や青を基調とした世界にメロディーだけを歌う1人の少女。
それだけの動画だったが、独特の雰囲気が創り出された世界観にいるその少女が頭の片隅に残った。
私は、その少女が不思議と気になったが、日もとっくに暮れており、山脈を下す風が寒さを運んできたため、片手間に適当な歌を選び帰った。

少女のことを思い出したのは、12月の年の瀬だった。雪が降り、口から吐き出される息は白くなる。
その日は予備校の自習室で朝から夜遅くまで勉強をしていた。集中していると目に見える砂嵐などを忘れられた。必死に参考書とノートを交互に見つめ、問題をひたすら解く。軽食を挟みつつ勉強に没頭する。いつのまにか壁時計が21時を差していた。まだ、勉強していたかったが、年末だけあって警察や先生たちによる補導が厳しく取り締まられており、この大事な時期に補導されて内申に響かせるのはとてもまずいため、帰る準備を始めた。勉強道具をまとめ、カバンにいれる。自習室を出る前に、スマホで帰りに聞く音楽を探そうとYouTubeを開くと、あの時の少女のオリジナルの歌が数時間前に上がっていた。再生回数は数千も再生されており、2ヶ月ちょっとでこれだけ聞かれているのだから、有名になったのだと思い、興味本位で動画の再生ボタンを触れた。
私は絶句した。この表現が正しいかは未だにわからないが、その時のことを表すにはこの表現が一番合っている。私は、聴き終えた時、鳥肌がたち、自然と涙をしていた。

軽い気持ちで聞くはずの歌だった。
全てを聴き終わり、心の中の凝りが崩れ去る感覚に襲われた。
1人の少女の歌声に魅了された。
まだ幼い声の中に確かに力強さを感じた。
弱々しい声だが、キレイな歌声で歌い上げていた。まさに"わたしだけの歌"。

涙を流していることに気づき、すぐに拭ったとき、私の目が覚めた。見えている視界が普段より綺麗に見えた。
自分という人格を否定され、現実を受け止め切れず逃げた挙句、不貞腐して生きてきた数ヶ月。
その歌の歌詞と相まって自分のこれまでの態度や行動がどれだけ人として虚しく、不甲斐ないものだったか。

しっかりと向き合わなければと決心した。
心が清々しいほど晴れやかで軽かった。

大学受験は、第一志望に無事合格し、東京へと上京した。

目の砂嵐について、医学分野の学会の研究報告書やインターネットにて多くのことを調べた。調べてわかったことは、正規の病名はまだないらしいが、『visual snow』という名前で呼ばれていることが分かった。
世界でもまだ数十件ほどしか報告がなく、日本でも数が少ない。また、認知度がかなり低く、普通の医者ではまず診断どころか名前すら知らない。
だが、インターネットを通じて、一つの病院を見つけ、そこにて詳しい話と診断をしてもらった。
今は、薬を服用することで多少は症状を抑えれるようだが、メカニズムが未だにわからない病気なため、完治は未だに数件しかないそうだ。
治るかはわからないが、こうして病気と向き合うことを前向きにさせてくれたのは間違いなく、あの少女のおかげだ。

少なからず、その少女に私は救われた。
後で知ったことなのだが
少女はその当時15歳だったようだ。
私が15歳というと病気を診断してもらえず
知らずうちに精神をすり減らしていく原因になった歳です。
その若さで、少女の気付かぬところで、1人の少年を救っていたのです。

見えなくても見えるもの。
それは
見えるものだけが全てじゃない。
見えないからこそ大事なものがある。
救った本人には見えずとも
救われた本人には見えている。
次は私がそうしていきたい。


この作品は、フィクションです。ただし、作品内に登場する病気「visual snow」「visual  snow syndrome」は存在します。未だに解明されていないため、多少症状が違う点がありますので、ご了承ください。

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