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夫婦喧嘩について

 わたしと夫はかなりしょっちゅう喧嘩をする。頻度も多いし、規模もまあまあ大きくて、本当に深刻な大喧嘩も月に一回はしてしまう。大喧嘩をするのは辛い。ヒートアップしていくうちに、言わなくてもいいことや、思ってもないことが次から次へと口から出ていく。そしてしなくてもいい人格否定や相手への拒絶へと繋がってしまう。わたしはこれから先、一生夫と生活を共にする覚悟で結婚した。だからどんなに大喧嘩をしようと、離婚するつもりは毛頭ないのだが、相手もそう思っているかは分からない。だから喧嘩をするといつも、わたしは明日からもこのひとと共に生きていきたくて、そのための建設的な話し合いをしたいのに、これが原因で決裂してしまうようなことになったらどうしよう、と恐ろしくなる。
 わたしたち夫婦は、性格も育った環境も考え方も恐ろしく違っている。先日MBTI性格診断をしていて、相性を見たら、「お互いのことがまるで理解できない、蜃気楼のような関係」とあり、非常に納得した。そもそも夫は議論が大好きで、お互いの考えを述べあってお互いをより理解し合うことを理想としているが、わたしは議論が大嫌いで、できることなら議論などなるべくしたくない。けれど共通の友人曰く、わたしたちはいつも無駄な議論をしているように見えるそうだ。おそらくわたしたちが尽きることない議論を繰り広げてしまうのは、そもそも議論に求めるものすら噛み合わず、そしてどんなに話し合っても根本のところで相手のことを理解できないからなのだろう。
 それが喧嘩なのか議論なのかなんて、実際にことが起こってしまったときには分からなくなってしまう。夫婦喧嘩において、冷静な話し合いなんてものはきっと存在しない。契約結婚でもない限り、夫婦は感情によって結びついた関係だから、相手への期待や願望や愛情や、様々なものが絡みついて、冷静になんてなれやしないのだ。
 それでも冷静さを保とうとするとき、ここでもわたしと夫とは真逆の反応をする。わたしは夫との喧嘩の際、身体的な距離が空いてしまうと、必要以上に攻撃的になってしまうような気がして、できれば最低でも手を繋いだ状態で話したい。けれども夫は、わたしに触れていると情に絆されて本当に言いたいことが言えなくなるので、なるべくわたしから物理的距離を取って話したがる。だからわたしは喧嘩になりそうになると、とにかくとりあえず夫を抱きしめようとするし、喧嘩がヒートアップすると、夫は最低でも3メートルくらい離れたところに行こうとする。夫はわたしから離れてさえいれば、わたしへの愛情に惑わされることなく、冷静に理路整然と、自らの主張を発することができると思っているらしい。けれどもわたしは喧嘩をしている最中に、あまりにも夫から離れていることに耐え切れず、「離れている」ということ自体が悲しくなって打ちのめされてしまう。ふたりの物理的距離が離れていると、こころの距離までもが遠くなって、どんなに誠実に話しても分かってもらえないのではと恐ろしくなるのだ。
 どちらの反応が正しいのかは分からない。たしかにぴったりと寄り添って、相手の体温を感じながらでは、例え相手のことを思っての発言であっても、あまり厳しいことは言えなくなってしまうかもしれない。けれどそんなに自分を律して、相手を傷つけてまで、何かを是正しなくてはいけないことなんて、夫婦の間にあるのだろうか。
 夫婦はやっぱり他人同士だ。わたしは結婚して以降、より強くそれを意識するようになった。他人である以上、生活のリズムをぴったり同じにすることはできないし、大切に思っていることをすべて共有することもできない。それは当たり前のことだけれど、愛が強くなり、盲目的になればなるほど、わたしたちはそれを忘れてしまう。というか、無意識のうちにそれを否定してしまうのだ。あなたが大切にしていることはわたしも大切にしたい。それはとても尊くて、人間関係において大事な考えだ。でも全てにおいてそうすることはできないと、自分についても他人についても理解しておくことは重要だ。そうでないと、もし自分が大切なひとの大切にしていることを理解できなかったとき、わたしにとって理解できないのだからそれは必要ないことだと誤認してしまうことにも繋がるし、相手が自分の大切なものを理解してくれなかったときには、どうして理解してもらえないのだろうと失望してしまう。そのすれ違いと失望は、もしかしたら必要のないものかもしれない。そういうこともあるのだという認識があれば、相手も傷つけなくて良いし、自分も傷つかずに済むかもしれない。
 夫婦喧嘩をなくす方法は、わたしには未だに分からない。でも決定的な決裂を避ける方法は、だんだんと分かってきた。少しでも気持ちが害されたり、嫌だと思ったことは、きちんとその場で伝えること。自分が悪いことをして、相手がそれを指摘したら、すぐに過ちを認めてきちんと謝ること。言い訳はしてもいいけれど、それは謝罪のあとに、言い訳になると認めた上で話すこと。どんなに気持ちが昂って、絶対に相手が悪いと思っていても、相手の言い分も聞くこと。そして最後には相手を抱きしめて、もう一度心から謝ること。
 してはいけないことは、怒りに任せて相手をひどく罵ったり、相手の話に聞く耳を持たなかったりすることだ。そして一番は、口を利かずに自分の殻に閉じこもってしまうこと。もちろん一旦冷静になる時間が欲しいときもあるだろう。でもそのときは、ちゃんとそれを表明してからひとりになったほうがいい。でないと、それが拒絶と受け取られて、新たな諍いや深刻な拗れへと繋がってしまう可能性も高いからだ。
 夫婦喧嘩は、全く実りのないものではない。喧嘩の中で、話しているうちに、相手の知らなかった面を知ることもある。そこで気がすむまで話し合うことで、次の日からもっと親密になれることもある。でももしそれが、喧嘩ではない手段で済ませられることならば、たぶんその方が良い。喧嘩はあまりにも消耗が激しいし、仲直りできても悲しい気持ちはしばらく残ったりもする。だから、喧嘩を収束させる方法がだんだん分かってきたいま、模索するべきはそもそも喧嘩にならない方法なのだろう。それはとても難しいことだけれど、諦めずに探し続けたいと思う。

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