65歳
65歳を迎えた。人生はラクダの歩みのようだ。一見ゆっくりとしているようでいて、実は確実に距離を重ねている。起伏の多い砂丘を越えるように、人生の浮き沈みを乗り越え、ときに休憩を取りながらも、着実に前へと進んでいく。そして振り返れば、想像以上に遠くまで来ていることに気づく。歳月は静かに、しかし確実に人の内面に痕跡を残していくものだ。ふとした瞬間に、その重みを感じさせる。
高校生の時、上温湯隆の『サハラに死す』に出会い、私は一人ラクダでサハラ砂漠を横断する決意をした。20代半ば、その夢を実現するため、砂の海を歩き始めた。
砂嵐で太陽が隠され方向感覚を失った。乾期11日目に、携行していた水が尽きたこともあった。サソリに刺された。銃で撃たれた。それでも不思議と死への恐怖は感じなかった。ただ歩みを進めた。
最も印象的だったのは、何の変化も刺激もない歩くだけの日々が続く中で感じた静かな幸福感だ。ラクダを引いて延々と歩き続ける単調な日々の中で、不思議な充実感に包まれていた。砂漠の空気は、余計なものをすべて削ぎ落とし、人間の本質を浮き彫りにする。その極限のシンプルさの中で、私は自分自身の核心に触れる経験をした。
旅を終えた後、達成感の影に隠れた空虚さに悩まされたが、それも人生の一部だった。20代後半で帰国した頃、根拠のない不安が私を襲うことがあった。30代で無茶をして車の事故に遭い、命を落とすのではないかという漠然とした予感が心の隅に潜んでいた。しかし、その予感は杞憂に終わり、気づけば65歳まで歩んできたのだ。
一昨年の母の死を経て、私は一瞬一瞬を大切に生きようと決めた。今この瞬間に命が終わっても悔いのない生き方をしたいと思っている。
豊かなものに囲まれた日本での生活に不満はないが、あの砂漠で感じた幸せはまるで別の次元にあるようだった。その感覚の本質を私は未だに探し続けている。
65歳になった今、私はまだ見ぬ景色を求めて、新しい挑戦に心が躍るのを感じる。何かを始めるのに遅すぎるということはない、と信じている。
しかし同時に、世の中は若い世代の夢と情熱で動いていくべきだとも強く思う。私はその夢の後押しをする側に回りたい。出しゃばることなく、必要とされるときにだけ、そっと手を差し伸べる。それが、今の私の大切な役割だと感じている。
これからも、未知の領域に足を踏み入れながら、同時に若い世代を支援していく。そんな風に、また一歩ずつ前へ進んでいきたい。まだ出会ったことのない人々との出会いを楽しみにしながら、新たな旅路を歩み始めよう。