『紛争でしたら八田まで』 (9) 72〜75話「マリ、テロと政治と宿命」
4月20日に発売になったモーニング KCの田素弘『紛争でしたら八田まで』第9巻、72話〜75話「マリ、テロと政治と宿命」はマリ共和国が舞台です。
マリの歴史的背景や近年までの状況と料理がかなり正確に描かれています。素晴らしい。
After Wagnerというコミック以後の地政学的変化
しかしこの2年ほどの急激な反フランス感情と、ロシアPMC(民間軍事会社)Wagner Groupがマリ政府の要請で、マリに派遣された展開は描かれていていません。
つまりこの地政学コミックの希望に満ちたエンディングは、皮肉にもフランスと西アフリカ諸国とロシアの最新の劇的な地政学的な駆け引き以前の状況で終わっており、そこでしか成り立たないものです。
私見を述べれば、Wagner Groupは政府の説明のように「国内の治安悪化に対処するため」ではなく、現政権(これまた皮肉なことに、軍部のクーデターによって作られた、民主化へ移行するための臨時政権なのですが)が国内の政治的立場を強化し存続するために用いられています。
もっと言えば、ロシアが様々な手段で国民の反フランス感情を扇動し、ロシアの西アフリカでの足がかりを築くために、むしろ現政権が利用されているという側面が大きいのではないかと危惧しています。
コミックの内容については、先に述べたとおりWagner Groupが派遣されるまでの状況としては、とてもよく描かれています。
マリのことをよく知らない方には是非読んでいただきたいと思います。
ただし素晴らしい作品であることを踏まえた上で、重箱の隅をほじくるような指摘をいくつかさせてください。ごめんなさい。
ターバンの巻き方
トゥレグのターバンは5mと長いです。従って頭の上は布1枚の薄さで、額まわりだけターバンをよじって巻くのでなく、頭の周りをグルグル巻くか、写真のような伝統的な巻き方をします。
トカゲ食
バマコの人はトカゲを食べるのでしょうか?
一般的にムスリムは爬虫類や昆虫は食べません。バマコのキリスト教徒の人がトカゲを食べるのかどうか知りません。
民族紛争
今世紀になってからは「独立運動」というより自治権獲得、格差の解消に要求は変わりました。それに対してマリ政府が約束したことをしっかり果たせていないこと、そんな中でアルカイダのテロ活動が活発になってきたこと、それに誘発されて中部にまで治安の悪化が拡大してしまったことが現在の問題でしょう。
また、この話の中で「マリ北東部」という表現が何度も出てきます。
地理的・地政学的には確かにマリ北東部で起こってきた問題ですが、首都を始めマリ南部の人々にとっては北東部も北西部もなく一括して「北」の問題と認識されそう呼ばれています。フランスの報道でもマリの「北の問題」と一般的に書かれています。
上記2点から、マリ北東部の厚遇と融和だけではマリの治安の悪化は解決できないと思います。さらにロシアのWagner Groupの存在、フランス離れで、問題はさらに複雑化してきています。
トゥアレグの青い装束
トゥアレグはしばしば「青い人々」「青い民族」と呼ばれます。それは青いターバンや青い民族衣装によると言わますが、ターバンの藍色が皮膚について皮膚が青く見えたから、とも言われています。
現在は伝統的な藍のターバンは祭りの時以外に使われることは少なくなりました。白いターバンが多いです。また服装も必ずしも青とは限りません。
トンブクトゥ近郊の地形
トンブクトゥの北東部には山岳地帯はありません。砂と礫(れき)の平坦な砂漠が大きく拡がっています。
遊牧民のテントの構造
トンブクトゥあたりのトゥアレグやアラブのテントにはペグはありません。
テントの端を直接支柱に結びつけています。
テントは燃えやすいのか
コミックに描かれているテントは、アラブが使うウールのテントではなく革のテントの形状です。革のテントはそれほど燃えやすくないと思います。
ウールのテントの場合、燃えやすいのかどうか知りません。
ラクダの頭絡あるいは手綱
ラクダの手綱は鼻輪に繋ぐのが一般的で、鼻輪がちぎれたりないラクダには下顎にわっかを作って繋ぎます。
ラクダの乗り方
ヒトコブラクダに乗る時、
・コブの真上に鞍を置く
・コブの前に鞍を置く
・コブの後ろに乗る
という選択肢があります。
この写真のようにコブの真上に乗る場合、蔵全体がコブより高い位置に来ます。すると足はせいぜいラクダの首の上に乗せられるくらいで、とてもラクダの腹側にまで届きません。
この絵は明らかに馬に乗ったときの様子をラクダに使っています。
また下の写真のようにトゥアレグのラクダ用の鞍はコブよりかなり前に装着します。
表紙からいろいろまとめて
八田がトンブクトゥ地方で、短いスカート姿で素足を晒しているのは以下の3点から疑問に思いました。
・イスラームに基づく現地の女性の服装についての慣習へのリスペクト
・極乾燥地域で素肌を出していると体の水分蒸発がはげしい
・怪我を負いやすい、蛇やサソリに刺されやすいコミックですからデフォルメされていていいのですが、人物に対するこのラクダの大きさは、ラクダを知るものとしては人を乗せられない生後2年くらいの子ラクダのように見えて違和感を感じました。
(前述のように)手綱の付け方がマリのやり方と違います。頭の後ろに回して固定する部分がないと手綱を止めている輪がすぽっと抜けてしまいます。
馬はこのイラストのように斜対歩(右前足と左後足、左前足と右後足が同時に着地・離地する歩き方)ですがラクダは側対歩(右前足と右後足、左前足と左後足が同時に着地・離地する歩き方をします)です(上に乗せた写真を見て下さい)。ラクダ使いにとってはこの写真は違和感がありますw
トゥアレグの鞍が正しく描かれていてい嬉しくなりました。
ジェラール・ドパリュデュー主演フランス映画のフォート・サガン(Frot Saganne)はアルジェリアを舞台とした名作ですが、モーリタニアで撮影したため、出てくるラクダの鞍がアルジェリアでは使われていないものだった点だけは興ざめしました(笑)
おわりに
繰り返しますが、ごく最近の劇的な変化は描かれていませんが、マリの歴史を踏まえ、マリの大きな問題についてポイントをしっかり押さえた読み応えのあるストーリーだと思いました。マリを丁寧に描いていただきマリに関わるものとしてとてもありがたく思います。
願わくは5年後くらいに、この話の後大きく変わったマリを再度取り上げてほしいものです。
トンブクトゥ地方の描写だけは、何年もこの地域でトゥアレグと暮らした元遊牧民として、愛しい故郷の懐かしいテントやラクダの描き方の違和感には敏感になってしまいました(笑)