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編乙女の無垢なる祈り
身を飾ることはこれ総て呪術である、と祖母は言った。
例えば宝石のついた首飾りを首にかけるのは、それが美しいからというだけでなく、石の持つ力を借りて身を守るためだと言った。
他人に装飾品を贈ることもまた、呪術の一環であると言った。
宝石だけではなく、刺繍も、織物も、それに力が籠っているのであれば総て呪物であると。
安楽椅子に揺られ、二本の棒針を動かしながら、祖母は幼い私にそう言い聞かせた。
祖母の膝にはモチーフ編みの膝掛けがかかっていた。直径約五センチの花模様を浮かべたコースターのようなものを三百枚近く作ってつなげた、色とりどりの膝掛けだった。「色とりどり」と言えば聞こえはいいが、その実それは「ちぐはぐ」だった。色も太さもばらばらの毛糸を、祖母は同じ大きさのモチーフになるよう調整しながら編んだのだ。ぱっと見の美しさには欠けるが、眺めていると心がざわついて、それから目を離すことができなくなった。
「あんたはわかっている」
祖母は私の頭を撫でた。
「言葉にすることができなくても、あんたはちゃんとわかっているよ」
その言葉は、六歳の私の心を捉えて、蔦のように絡みついた。
秋のはじめの一日だった。飾り窓の向こうに青空が広がり、黄色いコスモスの群れが風に揺れていた。私は初めて、祖母に乞うた。
「おばあちゃん、わたしにも編み物おしえて」
過去の回想は否応なく現在へとつながる。すなわち十年後、初めてできた彼氏の誕生日に手編みのマフラーを贈るという、古典的で若干重い愛情の示し方を選んだ十六歳の私へと。
それは最初、ありふれた市販の毛糸だった。ウール70%アルパカ30%、生成り、並太。しかし細心の注意を払って編み目を正確に丹念にかつ素早く揃え、ひとつひとつ糸をかけてはすくって作ったアラン編みのマフラーは。
呪物だ。
足元に、マフラーを巻いた彼氏の窒息死体が転がっている。
【続く】