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恋バナの人

※電楽サロンさん主催「第三回お肉仮面文芸祭」によせて書きました。
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 その人の姿を見たのは実に十年ぶりのことだった。公園の藤棚の下のベンチにきちんと足をそろえて座り、空を飛ぶ鳥の群れを見ているようだった。
 その人は今も変わらず生肉でできた仮面をつけており、人相などはまったくわからない。でも、私にはなぜか、あのときとまったく同一人物だという確信があった。
 その人――お肉仮面に出会ったのはおよそ十年前。私はまだ女子高生だった。

 通っていた高校の向かいに広い公園があった。放課後はたまり場やデートスポットとしてにぎわっていたその場所に、お肉仮面は度々出没した。
 藤棚の下のベンチにちょこんと座っていることが多く、なぜか顔に生肉でできたお面をかぶっている。
 存在自体ものすごく謎だが、至って穏やかで悪意のようなものがまるきり感じられないため、十代の私たちは彼? 彼女? のことを公園のちょっとしたマスコットのように扱っており、やがて誰からともなく「お肉仮面」と呼び始めた。近隣住民や学校関係者に不審者扱いされることもなく、お肉仮面は「なんで生肉の仮面かぶってんだろ……」と不思議がられながらも、ただ静かにそこにいた。
 親友のクミは、お肉仮面のちょっとしたファンだった。
「なんかいいよね、お肉仮面さん。癒し系じゃない?」
 などと言っては話しかけにいき、私生活について長々としゃべるのだ。
 お肉仮面は何も言わない。ただ黙って、時々うなずきながらクミの話を聞いている。
「悩みごとなんか黙って聞いてくれるから、いいんだよねぇ」
 そういうクミは、恋愛関係の愚痴もお肉仮面に聞いてもらっていたらしい。ずっと片思いしている先輩と仲良くなりたい――そんなことを願った翌日、クミはたまたま廊下でその先輩とぶつかった。そのときクミは手に持っていたジュースをこぼして、先輩は謝り、クミは「全然大丈夫です」なんて慌てて返事をして……そんなことがきっかけで、なんとふたりは本当に付き合うことになったというのだから驚きだ。
「すごくない!? なんかさぁ、お肉仮面さんが願いを叶えてくれた気がするんだよね」
 クミがそんな話をあちこちでしたので、たちまちお肉仮面は有名になった。恋に悩む女の子たちが、毎日のように何人もお肉仮面を訪ねた。
 私はその光景を、教室の窓からクミとふたりで見下ろしたりしていた。
「最近大混雑なんだよね。全然お肉仮面さんと話す時間がなくってさぁ」
 クミはそう言って唇を尖らせた。
 恋に悩む若者はいくらでもいた。女子だけでなく、男子も公園を訪れた。よその学校の制服を着た子たちもたくさん見かけた。皆お肉仮面に話を聞いてもらいたがった。藤棚のベンチの前には、毎日のように長蛇の列ができた。
 お肉仮面は律儀に毎日現れ、次々に披露される恋の悩みを、うんうんとうなずきながら聞いた。なんだか嬉しそうに見えた。
「お肉仮面と話したら、本当に片思いが成就した!」
「仲たがいした恋人と仲直りできたのは、お肉仮面のおかげ!」
 そんな噂が、あちこちで聞かれるようになった。
「りっちゃんも、お肉仮面さんにお願いごとしたら?」
 クミは屈託なくそう尋ね、私はため息をついた。「いいや。別に並んでまで聞いてもらう恋の悩みとかないもん」
 本当は、あった。私にも好きな子がいた。でもその子は今、ずっと好きだった人と付き合い始めてとても幸せそうで――だから願いが叶っては困るのだ。
 クミの屈託のない笑みを眺めていると、胸が苦しくなった。私は、私とクミが恋人同士になった世界線のことをちょっとだけ想った。誰にも言わなかったけど。

 季節がひとつ過ぎたころ、お肉仮面は突然公園から姿を消した。
「あんまり人が来るもんだから、疲れちゃったんじゃない?」
 みんなが残念がった。でも当の本人がいないものだから、噂はだんだん下火になった。一月もしないうちに、もうだれもお肉仮面の話をしなくなってしまった。
「あたしがあちこちで話したせいかなぁ」
 そう言って落ち込むクミを、私は慰めた。
 お肉仮面がいなくなった途端にすべての魔法は解け、クミは彼氏と別れて――なんてことはなかった。ふたりはずっと仲良しのまま、高校を卒業してもずっと恋人同士だった。

「あなた、お肉仮面さんですよね」
 そう話しかけると、お肉仮面はのんびりとした動きで私の方を向いた。
 私は話を続けた。
「十年前、あの向かいの高校に通っていた者です。私はないけど、私の友達が、あなたによく話しかけてました。恋の悩みも聞いてもらったりして」
 お肉仮面は何も言わず、ただ静かにうなずいていた。それが「覚えていますよ」という肯定の言葉のように、私には思えた。
「その子、元気です。その時付き合い始めた男の子と一昨年結婚して、最近赤ちゃんが産まれました」
 お肉仮面は、一度とても深く、ゆっくりとうなずいた。嬉しそうに見えた。
「だから何って感じだけど、たぶん彼女は、あなたに感謝してると思うので」
 そして私は、あなたのことが少しだけ憎い。もしもあなたが何かの魔法を使って、クミの片思いを成就させたとすれば、の話だけど。
「……すみません。それだけです。失礼しました」
 もう話すべきこともない。私がお辞儀をすると、お肉仮面もお辞儀を返してきた。十年前とまるで変わらないように見える、穏やかでなつかしい物腰で。
 わたしは公園を立ち去った。今日はたまたま母校の近くに来ただけで、現在の生活圏はけっこう遠い。
 お肉仮面に会うことは、もう二度とないかもしれない。

 でもその夜、自宅のバスタブに浸かりながら、
「そういえば、何で生肉のお面かぶってるんですかって聞けばよかった」
 と思ったので、やっぱりまた会いに行くかもしれない。

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