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典子さんだけじゃなくて、コンスタンス(コニー)さんの生きかたも大事だった。

 伊藤整の『典子の生きかた』は再読しました。それで、懸案の伊藤整・瀬沼茂樹の講談社文芸文庫『日本文壇史』25巻にとりかかり、然るべき時間をかけて味わうべしと思って悠長に構えていたのですが、ふと気づきました。稲妻の閃光のようなひらめきではなく、雨の日の布靴(昭和のズックとかね)がじんわり濡れて、つま先が冷たくなったような気づき方で。
 伊藤整って、『チャタレイ夫人の恋人』の修正版・無修正版(性愛描写がある)を翻訳した文学者でしたね。無修正版が猥褻文書かどうかで最高裁まで争われ、一度は敗訴して(1957年)、本が発禁処分、絶版になりましたよね。第二次世界大戦後の文学史上の事件を、やっと思い出しました。
 伊藤整の出身地の小樽市では、平成2年にその名を冠した文学賞(小説・評論対象)まで創設されている、いわば郷土の(そしてもちろん日本文学史上の)偉人。しかしながら、市のWebサイトの「おたる文学散歩」第35話では文学賞の紹介をしつつ、伊藤整の文学上の業績を称えているのですが、このチャタレイ裁判の言及がひとこともありません。「おたる文学散歩」を全頁読んでいないので他に言及があったらごめんなさい。でも書くなら第35話だろうにと思いつつ、21世紀でも伏せておくべきこと扱いなんでしょうか。
 で私は『日本文壇史』のまえに、『チャタレイ夫人の恋人』を読むべきなのだろうか。『典子の生き方』を再読して、学生時代にまったく分かっていなかった典子の自由恋愛についても、伊藤整がなぜ書かなくてはならなかったか(典子は不貞はしていない)、理解が深まったかもしれない。二十歳の孤児が夜学の女学校を出て、お針子の仕事をしているうちに縁談を押し付けてくる叔父夫婦の家から出て自活するために、最初は友人を頼ってカフェの女給(客筋は大学生と編集者と作家で上品)として働き始め、その中でお給金を貯めてタイプを習って資格を取り、タイプの学校の入っているビルで感じの良いサラリーマンと出会い、お店では向上心を見込まれて、お客の有力政治家の子どものために住み込みの家庭教師に・・・という、健気なみなしごサクセスストーリーの中で、このサラリーマンとの恋愛が良く分からなかったんですよね。体ごとぶつかるように恋して「やっぱりこれじゃない」と思い切りよく別れて(まだ別れてないけれど本人はそのつもり)、また次の局面に出ていく典子は、強く逞しく、でも当時私の憧れていた『赤毛のアン』の青春とは、だいぶん違っておりました。
 「チャタレイ夫人」のファースト・ネームはコンスタンス(コニー)とのことで(未読)、『チャタレイ夫人の恋人』じゃなくて、『コニーの生きかた』というタイトルだったら、この小説も日本じゃ注目もされなくて発禁処分にならなかったんじゃないかと妄想したりして。いや、原作は当時世界中で、物議を醸していたというから、やっぱりだめかな。ボヴァリー夫人だって『エンマ』というタイトルだったら、その生き方でもエンマの勝手でしょうという感じなんだけど、既婚者の女性、妻の不貞、ということが一番の衝撃だったんだな。
 共感するかどうかはともかくも、夫人という看板を下ろしたコニーやエンマの生きかたには興味がありますよね。もちろん、「何言ってるんだ。チャタレイ氏が妻に不貞された小説なんだから、チャタレイ夫人が大事なんだ。中身のコニーがほんとは何を考え感じていたかは(エロス部分は別として)、オトコにはどうでもいいんだ」とか言われそうではある。
 あ、いま妄想がスパークしたぞ。「夫人」って結局、現代のキャラクター造形でいえば、「属性」なんじゃないのかな。眼鏡っ子とかおさななじみ、とかの。だって日本文学では『武蔵野夫人』とか『真珠夫人』とか、良人の家名ではなく「夫人モノ」みたいなジャンル展開をするではないですか。そんな妄想は文学にリスペクトがない・・・? そうかもしれないですね。すみません。「夫人モノ」と並ぶジャンルとしては昭和の「団地妻」が挙げられるな、きっと。あ、ごめんなさい。ますます文学への憧憬が・・・。
 




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