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野心をかき消す充実
皆さんは野心を持っているだろうか?
自分の心の奥底に眠る欲望、欲求。夢や目標と似た側面もありながら、「キラキラ」とは似たようで真逆の「ギラギラ」した側面も併せ持つ無形物。
私も数年前までは常に持っていた。
広い地球の中に多数いる人間の中の一人という存在から、自分のアイデアやセンスを世にぶつけて世間から認められる存在になりたい。どんな形でも構わないから、このつまらない平凡な人生をひっくり返したい。
こんなギラギラした感情を心に隠しながら、中学高校時代を過ごしていた。この野心のおかげで病むことなく、中高時代を過ごせたのかもしれない。そう考えると、野心は持っておいた方がいいのかなとも思う。
野心があれば、その野心のままに努力する理由が出来るし、自分の成長にもつながるし、ゆくゆくはそれが社会的地位やステータスをもたらしてくれる可能性も大いにあるだろう。
大学に入り、コロナ禍に突入した。私の中の野心は消えることなく、むしろどんどん燃え上がった。外に出る回数も極端に減り、鬱屈とした毎日が続くわけだから、野心がないと耐えられるはずがなかった。そんな状況が1年半ほど続いた。
今だからこそ言えるが、自分の生きる理由として野心が存在し、それにすがっていたのかもしれない。
この時、私は野心が当分消えることはないだろうと思っていた。野心が消えたら生きる意味がないと思っていたのだろう。
それから3年ほどたった今、野心は消えた。厳密に言うと、欲にまみれたドロドロしたものから、欲を潜めてサラサラした目標というものに姿を変えた。
私自身も驚いている。野心に従うままに、中高の頃からコツコツ努力を積み重ねてきたのだから、そう消えることはないと思っていたのに。
野心が消えた理由は、「充実」の一言に尽きる。
自分が、今生きているこの世界に充実しているかどうか。または、充実していたと心から思える過去があるかどうか。大学3.4年の2年間は、この世界に対する私の負の感情が影を潜めた。この世界に満足していた。
何気ない日常に自分が満足できないと勝手に思っていたのだが、それをこの2年間でひっくり返さた。何気ない日常にある何気ない楽しみが幸福感をもたらしてくれるのだと知った。
そうなると、野心にすがる必要もなくなる。むしろ、何のためにすがってるのかが分からなくなる。これまで野心に心を奪われて、意外と近くにある楽しいものに気付けなかったのか。灯台下暗しだ。
どこにゴールがあるかわからない野心より、確実にゴールがある、ささやかな楽しみを理由に生きていくのも悪くないと思えた。
もちろん不確定な野心を理由に生きていくのはカッコいいし、憧れる。だから私も持っていたのかもしれない。でも、それにはこの世界に対する不満や体力、気概が必要だと思う。それらを持ち続けて、コントロール出来る性能を私は備えていない。野心を持つことに適していない人間だったのだろう。
もし、ずっと充実することなく野心を持ち続けていたら、今どういう心持ちでいるだろうか。多分、今より向上心はあるだろうし、余計なことも考えていないかもしれない。一方、心に余裕もなく、ひたすらこの世界を睨みつけているかもしれない。
野心を持ち続けた世界線も気になるけれど、野心が目標に変異した現状にも後悔していない。そのおかげで素晴らしい出会いに恵まれ、自分の存在意義をある程度認識できたのだから。
野心を持つことにこだわり続けていたら、味わえなかった景色である。
しかし、感情の変化は予測できるものではない。数年後、この世界への不満が爆発して、以前の野心よりも膨大な野心が私の心を覆っているかもしれない。
そうなった時は、充実を味わわせてくれた人たちに救いの手を伸べるかもしれない。どうか払い除けないでください。