生き残ったプチフォッカから感じること
皆さんはサイゼリヤのプチフォッカをご存知だろうか?簡単に言うと、小さい4切れのパンである。値段も安く、ペロっと食べられる。
昔は切られてない状態のフォッカチオというのもあったが、今はプチフォッカしかない。
他のメニューを乗せたりスープに付けて食べたり、色々な食べ方があるようだが、私はそのまま食べるのが好きだ。というより、何かと一緒に食べたことはない。そのままでも充分美味しい。
サイゼリヤは不定期だが、よく行く。
先日、友人と二人でミセスのライブに行ったのだが、その前にサイゼリヤで昼飯を食べることにした。横浜のサイゼリヤだったので少々店内はおしゃれだった。しかも、ショッピングモールの上の階の窓際の席。眺めも良い。サイゼリヤではあるが少し高尚な感じもした。
主食を食べた後、少しお腹が物足りない気がしたのでプチフォッカを頼んだ。優雅にドリンクバーで紅茶を用意しちゃった。軽いデザート気分でプチフォッカを待つ。
店員さんが来た。ふっくらしたいつものプチフォッカを想像する。そして、置かれたプチフォッカがこちらである。
4分の3がペちゃんこだった。冒頭の写真のようなふっくらした見た目も特徴の1つなのがプチフォッカだ。まあ1個くらいぺちゃんことかなら今まで経験がある。しかし、ここまでぺちゃんこでやってきたプチフォッカは初めてだった。
友人もその姿に笑う。私も全然怒るとかはなく、笑う。
しばらくはぺちゃんこの3つのプチフォッカが面白いのだが、やがて唯一ふっくらを保ち続けているプチフォッカが面白くなる。
ここまできたら全部ぺちゃんこの方が潔いのに、しぶとく生き残ってるのが逆に不思議になる。
まず、私がこの生き残りプチフォッカの立場だったら、絶対ぺちゃんこになっている。お客さんの口に入るまでふっくらを保ち続けるのは、正直しんどいだろう。それが仕事なのだからやらなければいけないのだが、他の仲間たちが全滅していたら、普通は「自分もいいや」ってなるはずだ。
だとしたらプロ意識が高い。その精神は尊敬に値する。
もしかしたら全然プロ意識とかではなく、ただ天の邪鬼気質なだけなのかもしれない。他の仲間と一緒になることを嫌う。私自身が天の邪鬼なので、こちらはとても共感できる。
ただそうなると、いち早くぺちゃんこになろうとするのではないか。今回は結果的に天の邪鬼になってしまっただけで、本来はぺちゃんこタイプが天の邪鬼になるはずだ。むしろそうでなければいけない。
他のぺちゃんこプチフォッカ共にキレているかもしれないし、私たちよりも驚いているかもしれない。
一般的と言われる道を歩いていたら、気づいたら周りが勝手に脱落していて、普通なはずが普通じゃなくなっているという状況。実は普通のまま居続けることが難しく、賞賛に値すべきことなのかを、生き残りプチフォッカもぺちゃんこプチフォッカ達も私達も、感じさせてくれたのかもしれない。
普通であることに悩んでいる人に対して、その素晴らしさを間接的にこのプチフォッカは伝えたかったのかもしれない。
そんなことを考えながら、プチフォッカを食べる。ふっくらでもぺちゃんこでも味は美味しい。流石である。
でも、そのふっくらプチフォッカは今まで食べた中で一番美味しかった気がした。
その夜、ミセスのライブに行き、普通とは違う世界に圧倒された。
普通の素晴らしさを知ってから、普通ではない素晴らしさを知った1日であった。