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スマホを得てガラケーに感謝
スマホというのは日常に欠かせなくなっている。非常に便利で、私もスマホがない生活は今となっては考えられない。何なら、この文章もスマホで書いている。
そんな私がスマホを持ち始めたのは、約5年前の2020年である。高校を卒業する直前に親に買ってもらった。同世代の中では、相当遅いスマホデビューだった。
高校生の頃、ほとんどのクラスメイトがスマホを持っていた。すなわち、スマホを持っているのが当たり前。今では、中学生ですら持つのが当たり前で、小学生で持っている子も増えていると聞く。時代はあっという間に変わっていくのだと実感する。
では、高校の頃までの連絡手段は何だったのか。私の場合は「ガラケー」だった。
正式に言うと「ガラホ」であり、形はガラケー、中身は少しスマホの要素も含んだ携帯を使用していた。
とはいっても、使える機能やアプリは限られていた。ゲーム系のアプリはインストール出来ず、動画や音楽アプリも使用できなかった。かろうじてLINEが出来るくらいで、あとは従来のガラケーとほとんど変わらなかった(そもそも従来のガラケーの機能を知らない人の方が多いか)。
高校卒業までスマホを持たせないのは親の方針だったが、流石の私も欲しいと思ったことはあった。パズドラやモンストの話についていけないし、フリック入力で早く文章を打ちたかった。
しかし、そこまで不便さも感じていなかった。ガラホの特徴を理解して使いこなしていたし、LINEとネットサーフィンは出来たため、当時の私には充分だった。また、普段そこまで親しくない同級生から、「ガラケーでどうやってLINEしてるの?」や「何でスマホ買ってもらえないの?」という、スマホを持っていたら絶対に発生しない質問に対する返答の時間も、意外と楽しかった。
そんなガラケー(ガラホ)を愛した高校生活の終わりと同時にスマホを手に入れて、早くも5年が経った。今となっては、スマホがない生活が考えられないほどのスマホ人間になっている。
LINEやSNS、YouTube、プロスピ、メモ、スケジュール管理、アラーム、曲作り、音楽を聴く、口座管理etc…
最近ではアプリで会員登録する店や、アプリで注文する飲食店も多く、スマホはどこへ行くにも欠かせなくなっている。スマホ1台あれば暇な時間も潰せるし、1日があっという間に過ぎる。たっぷりある時間を満たしてくれる。埋めてくれる。
しかし、そんな日を過ごした時、心は満たされているだろうか。心にある穴は埋まっているだろうか。
私の場合、心は満たされず、心にある穴はどんどん大きくなっていることがほとんどである。そんな1日を過ごした後、いつも後悔する。そしてその度に、「なんやかんやで高校の頃までは生産性のある毎日を送っていたのだな」と感じる。
別に高校時代なんてしんどいことの方が多かったし、なんなら大学時代の方が全然楽しかった。だが、1日における密度で言ったら、良くも悪くも高校時代までの方が圧倒的に濃かった。
登下校の電車内でテスト勉強や、部活の大会期間中の朝6時に家を出て夜8時半に家に帰り、日付が変わる前に寝る生活は、今考えると凄い。スマホを持っていたら、全部崩れていたことだろう。
そう考えると、ガラケー(ガラホ)への急激な感謝の念が溢れ出す(正確には、当時、私にスマホを持たせなかった親への感謝なのだろうが)。あなたは私に健康や安定した成績、苦い経験をもたらしてくれた。スマホにはない効力だった。
もちろん、スマホ持っていようが自分を律して、密度の濃い毎日を送っている人もいる。上手く使用出来れば、物凄い効果を生むのも事実だ。しかし、なかなかそれが出来る人は少ないだろう。私もそうである。
ましてや中高生が自分自身で律するなんて、大人より難しいだろう。そう思うと、今の時代に対して、「なんだかなぁ」と思いながら、一旦スマホを置く事にする。