見出し画像

【第2炭鉱除雪作業】


敗戦部隊をして
暴行に甘んぜしめた
第ニ炭鉱除雪作業


 第1炭鉱は、収容所より見えるくらいの近距離だったが、第2炭鉱は収容所より少々離れていた。
 ここでの除雪作業というのは、横穴トンネルの炭坑の入口より、貯炭場までのトロッコの線路上を覆っている雪をとり除くことであった。
 抗内で積荷が終了のトロッコの出る都合もあって、この作業は時間的な制約がつきまとい、かなりいそがれるしろものだった。
 路線の両側には、夜のうちに降った雪と、除雪する度に積み重った雪のため、その雪壁の高さは2m以上もあった。昨夜の間に線路を埋め尽した雪を払いのけ、トロッコが通るようにすることは、そう安易な作業ではなかった。
 やってやろう、大国ソ連のために!という気があってさえも大変なことなのに、収容所を出る時より既にやる気のない日本兵の一団が、追いたてられてのろのろ到着したところで、そう大雪の除雪がはかどるとも思えなかった。

 除雪の方法は、木製の身長を越す長い柄のついたスコップのような除雪器具で、雪壁の上に積み上げるのであった。その用具は、見かけによらず軽かった。
 線路は2車線の上に幅の広い線路で夜間の降雪のため、雪の量は1夜たったら相当な量に達していた。
 その雪を、手の届く限り両側の雪壁へ積み上げるに1回、1回手こずった。本気でやって、うっかり汗を出したら、もうそれで第一巻の終了、身の破滅は必定。

 何よりも、ここでの悲劇の始まりは、やる気のない日本兵の集団と、やる気満々顔付きに精かんさのミナギる監督のマダムとの組合せだった。
 ようようにして到着したばかりというのに、「ベストラ!」「ベストラ!」(早くやれ!)と怒鳴っていても誰も動こうとはしなかった。
 あっちへ行っては兵をこずき、こっちへ来ては兵を怒鳴りつけるけれど皆は、仕事にかかるより、そのマダムのヒステリ化した動きがどこまでいったら落ちつくのか、興味ありげに眺めたりしていた。

 いつになったらトロッコが通れるようになるのか分ったものではない。
 仕事をしようにも体力のない兵達と、やくざみたいなそのヒスマダムとこぜりあいになった。
 その場はそれでなんとなく済み、炭坑の中のロ助が空のトロッコを連結して出した。炭坑内のロ助といっしょになって、そのトロッコに雪を積み込んだりしてようやく石炭が運び出されるようになった。
 何の作業意欲も責任もない私達と違い、きちんとしたノルマのあるロ助の側にとっては、人数だけは揃ったが仕事はしない日本兵の除雪応援作業は大きな誤算だったろうと思う。
 帰る前に集合した時に、どこからかマダムが出てきて、監視のソ連兵に私達を指さしながら何か言った。
 警戒兵が、「ヨッポイマーチ!」(この野郎!の意味で、怒った時によくこの言葉を連発していた)と、近よってきて、マンドリン(ソ軍の自動小銃の異名)を振り上げ片っぱしから日本兵を叩きまわした。
 青森県出身の櫛引クシビキ古兵と共に雪の上に叩きのめされたが、どこをやられたのか、彼のは特にひどく、2~3日は毎朝痛がっていた。

 以来、第2炭鉱に行っても仕事らしいことはしなかった。
 誰もやりそうなふりはしていたがその実、何もしてはいなかった。
 いわゆる口コミという宜伝方法で、第2炭鉱の暴行事実がまたたく間に隊内に広がり、無抵抗の抵抗という自衛手段がここで自然発生し、そして、それが半ば定着したようなふうだった。
 足腰の痛みが薄れ、そのことから遠ざかったころ、私達の事件が再び回り回って私達の耳に入ってきた。「その時の重傷者は、すぐに、ガダラのソ軍の病院に輸送されたそうだ。」と真面目な話として聞かされた。ずいぶんと事故が大きく伝わったのではあるが、第2炭鉱という場所と、監督はマダムということだけは正しかった。
 もしかしたら、私達以外にも被害者がいたのかもしれないような気もしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?