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【ペーチカ】


鉄鎖の中の人々に許されてある唯一の慰安場
?と?の集散地
ペーチカ


 火の燃える所、火事や戦火でないかぎり、心はなごむもの。
 焚火にしても人の集まる所、シベリヤの収容所内のペーチカとても例外ではない。練瓦を積み重ねて作ってあったが、これが舎内に3個あって舎内監視の兵は、室温18℃にしておくことが仕事だった。

 シベリヤの収容所でも、私達のいたチエノフスカは石炭には恵まれていたから、それだけでもいい方だった。石炭はいくら使ってもよかったから、当番にあたっていた兵は、たいてい上衣をぬいで、シャツ1枚の軽装でやっていた。
 練瓦の継ぎ目に、針金や、釘などを挿しこみ、それに防寒靴をはくとき足に捲いていた毛布などを掛けて乾かしていた。毛布をハンカチ大に切り、靴下の上に撒き靴をはいていた。
 又、ペーチカの下の口では、コルホーズで牛馬の飼料に置いてあった青いトマトや、てんさい(砂糖大根)、ジャガ芋など、遠慮なく持ち帰っていたのを押し入れ、むし焼きにして食べたりした。
 ペーチカの壁に背を当て、隣にきた人と様様なことを語り合ったこともあった。いわば一種の社交場にもなり、情報の集合散開する場所でもあった。

 便所の清掃(といっても、その便所というのは屋外にあって、雪を払って穴を掘っただけのもので、もとより屋根もなければ囲いもない)に行った兵が帰ってくると、やがての程室温で衣服に飛び散って付着していた人ぷんの氷片が溶解して悪臭を部屋中に発散した。
 その中に、シベリヤでの便所掃除の要領が皆にのみこめ、便所の使役(掃除というのは、別に掃いたり、拭いたり、消毒したりすることではなくて、凍結して高くなってきている人ぷんの山を取り除いたり、低くしたりすることである。つまり今頃の、し尿汲み取りにあたる)に出た兵は、極力、氷片がかからないように注意し、又、舎内に入る前には、必ず、防寒大手とシューバー(防寒外套)をよくふるい、叩いて悪臭源を落してから入るようになったから、トラブルはなくなった。

 屋外便所で臭気は全然しないから、皆最初の頃は、人ぷんの固りを平気で手袋でつかんだりして、担架にのせたりした。
 鉄棒で人ぷんの山をくずし、担架にのせ、兵舎の外に作ってあったロープがこいの中に捨てるよう、ソ連側より指示されていた。
 春になり、雪が溶け、地面があらわれてきたら、人ぷんの捨て場の意味が分った。
 そこは、畑の真ん中だった。

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