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死ぬまでにしたいこと バイクの免許を取ろう

 


数年前、コロナにかかった。


今では、みんな「もう済ませました」ぐらいの感覚で話題に出すようになっているコロナだが、
当時は、命を脅かす驚異的な新型ウィルスが人類の生活を一変させた。今ではコロナ2回目だという人も、耳にするようになった。

愛する人との時間や自らの行動に制限がかけられ、
マスクをしていない人はけしからん!!!という時代だった。

もう、あんな時代には戻りたくないと思う。

コロナに苦しんでいたとき、真っ白な自室の天井を見つめながら、
元気になったらバイクに乗りたいと思った。免許を取りに行こう!と。

誰もが『元気になったら。。。』『コロナ蔓延が収束したら。。。』と思いを巡らせた時期だったのかもしれない。

芸能人の熟年結婚が頻発していたように記憶する。


数ヵ月後、自動車学校に行き、バイクの免許を取りたいですと申し込みに行った・・・が、休みだった

意気揚々と2階の受け付けに行ったが、やけに閑散としている。

優しそうなメガネをかけた男性職員の方がめちゃくちゃ藤井フミヤに似てた。

「あの、バイクの免許が取りたいんですけど・・・」

「そうですか。ただね、うち水曜日は学校がお休みで・・・、また別のよう日に来てもらえますか?」

ガクッ

イケオジ藤井フミヤが、大変恐縮そうに話してくださったことと、免許取得までの流れを丁寧に説明してくださったことで、少しの落ち込みがあったぐらいで、また来ればいいかと、前向きになれた。どしゃ降りの中車で行った水曜日。

いざ、教習生に!!!三半規管が弱すぎた

自動車の免許を持っていると、ほとんどの授業が免除される、ラッキー

2回くらいの厳しい授業を受けて、おもちゃの画面を見ながらバイクにまたがる授業があった。

私以外のメンバーは、中型バイクの免許で、ギアの切り替えが必要なおもちゃのバイクにまたがって練習していた。

私の時は、オートマだったので、先生が私用のバイクの模型を担いでおもちゃに乗せ、準備してくださった。

一度目の このおもちゃバイクにまたがって、
チカチカする画面を見て、延々と謎の町を回る走行は、三半規管が弱すぎる私には、ダメージがデカ過ぎた。

授業が終わりトイレに行き、なんとか受け付け前のベンチが並ぶところまでは戻ってきたが、気持ちが悪すぎて横になるしかならなかった。

うう・・・気持ち悪い。トイレに行き、またベンチに横に。。。

これは、しばらく横になってないと治らないやつやと自覚しているため、自動車学校の方々の視線を若干感じながらも、ベンチに横になるしかなかった。これは寝るしかないやつだ。

うう・・・。


しばらく横になり、目が覚めて腕時計を見ると、2時間も経っていた。あやしい人間をそっとしておいてくださった教習所の方々に感謝の気持ちでいっぱいだ。

「今から帰るんだけど・・・と優しいおばさまが声をかけてくださった。車にのってく?」

「あぁ、大変ありがたいんですけど、50ccのバイクできてまして、それに乗って帰らないといけないんですよ」

「それじゃぁ、ご家族に迎えに来てもらって、後から取りに来るとかは?」

とご親切にいっていただいたが、若干家族とまた来るのが面倒だと思った私は、

「あぁ、ありがとうございます。なんとか、休ませてもらったので、バイクで帰れると思います」

とお礼を伝えた。本当にありがとうございます。
あの教習所に通って本当によかったと思っています!!!
写真は、私が通った教習所ではありません。

ファミコンタッチの町をぐるぐる回ったために目が回っていた私は、自動車学校を出てすぐに薬局を見つけた。

ふらふらになりながら店先にバイクを止め、初めての店で乗り物酔いのキャンディーをなんとか見つけ出し、ソッコーなめた。レモン味のトラベルミン。酔ってからでも効きますって。

それを2つぶ口に放り込んで、いざ自宅へ。。。

半分ぐらいの地点で、限界が来た。
道路脇に網の排水溝発見。

ごめん…、、、許してください。。。

夜だったから車のライトに照らされてたけど、気にしてられない。ごめんなさい。

そしてなんとか家にたどり着きました。
そこから数時間寝たきりになりました。トラベルミンのおかげで、数時間後には無事復活!


2回目のおもちゃバイク

もう一回あったんです。おもちゃのバイクにまたがって、ファミコンの世界みたいな町を、ひたすらぐるぐる走り回る授業が。

今度こそはと、事前にトラベルミン レモン味をしっかり2粒なめて、臨みました!

私含めて3人。しかし、他人が乗っているときの画面さえも、見てるのがつらい・・・涙


1本橋を私に根気強く教えてくださった優しい女性教官が今回の担当だったので

「はじめにすみません、あの、乗り物酔いが私ひどくて、今日、酔い止め飲んできたんですけど、あんまり画面見られないかもしれません」

勇気をふりしぼって伝えると、

「大丈夫ですよ、聞いてますから(スマイル)」
と言ってくださった。

ありがてぇ。

私以外の男性がおもちゃのバイクに乗ってる間もなるべく、画面を見ないようにしていた。ちらっちらっと画面を見てみた最初だが、ダメだった。

ずっと斜め下の床を見てた。

・・・すみません。
優しい女性の教官は、2番目の私には、ぐるぐる回るファミコンの町を一周で終わりにしてくださった。

ありがてぇ。

そして、最後の一人のおじさんバイカーがおもちゃバイクに乗っているときも、斜め下の床をじっと見てた。

ありがてぇ。話はちゃんと聞いてますから!


優しい女性の教官が私たち3人に、
「みなさん車の免許もっていらっしゃるので問題です。
十字路の交差点で優先されるのは何ですか?」

おじさん①
「車体の大きさ ・・・」

おじさん②
「いやぁ、ちょっと忘れました」


「道幅の広さ」

正解は、私だけでした。
免許を持っていても、こんな風に交通ルールを忘れてる人が多いから、事故も起きるし変な運転する人に遭遇するんだなと思った。

中野信子さんは

周りはみんなこんな感じだから、生活しにくいだろうなと思った。(クチが悪すぎる)「テストでみんな100点取らないのはわざのなの?それが奥ゆかしいの?」と学生時代に友達に聞いてドン引きされたとか。


社会はいろんな人たちで構成されていると知っておかなければならないと学んだ。



私がコロナにかかった頃には、少し下火になりつつある感染状況ではあったが、病院の受診は発熱外来にいってくださいの一点張りで、


幼子が発熱したときには、かけまくった病院がことごとくダメで。。。

最後の10件以上かけて、最後の1つ!!!という診療所にかけたら、優しい方が「いいですよ」と。涙が出た。

薬を駐車場で渡す約束をしてくれた。

偏頭痛とカロナールと新型コロナ、そして葛根湯

ほどなくして、翌日には私の体の節々が痛みだし、起き上がれなくなっていた。私もコロナにかかったのだ。

喉にタンがからまってうまく話せない。インフルエンザで節々が痛くなったことがないのに、足の節々が痛い。
・・・これはきたな、と思った。

偏頭痛もちで頭痛薬のカロナールを大量に出してもらい、ストックしていたのが功を奏した。

まるで動けないが、カロナールが品薄になっていた当時、「手元にカロナールがあるなら    飲んでください!!コロナに効きますから!!!」と力強い言葉をもらった。       


私は当時大変貴重だったカロナールと葛根湯で、コロナとたたかった。

2週間は、肺へのダメージをひしひしと感じながらの日々だった。              


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