悪意についてのお話。
死にたい夜もありつつ、死ねないので生きています。どう考えても死んだ方がいい人間って居ますよね。私の周りはそんな人ばかりです。(私も例外じゃないけど)
コミュ力は無い訳では無いのに
嫌われる。
人間として劣っている訳では無いのに
失敗作。
容姿で決して劣っている訳では無いのに
差別される。
このような矛盾だらけの私の世界。残酷に満ち溢れている。嫌いなやつを全て殺したらこの空虚感は消えるのか、嫌いな奴を殺して、自分も死ぬことが出来たらその瞬間はとても気持ちがいいなど自分の中にも悪魔は巣食う。
匿名だからなんでも言えるのであり、
現実の私はごく平凡で、とても人に危害を加えるような人には見えないし、攻撃性がないと言われる。
だから傷つけられる、
またブラックリスト入りが増える。
私も、誰かのブラックリストに載っているし
私もブラックリストを持っている。
私がそう思うようになったのは、ある邦画を見たからだ。
殺人事件の映画だった。
私はそれを見てからある種自分を投影させまたある種、反面教師的に『人を殺してはダメなのだ』と、誰かの命をうばえば、また自分の命も危うくなるのだとそう感じた。
結局、殺意を持つくらい憎んでしまったこと自体、人間として劣っている証拠であり、能力主義の現代において、能力がある人は認められるが、反対に能力不足は淘汰され、社会に懐疑的になり、やがて判断力ひいては理性まで失う。犯罪を犯してしまうのだろう。
ベンネーム『雨は蕭々と降っている。』から、悪意についてのお話を。