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私は本当に子どもが欲しいのか?

紅葉が美しい休日、夫と紅葉見物デートに出かける。
私は誕生日が12月なのでもうすぐ歳を一つ重ねる。

不妊治療をしていると、ひと月、半年、一年がたってもなにも前に進むことができないとけっこうな絶望を感じる。

子供が産めない、否、産めなくなる年齢がひたひたと後ろから迫ってくる恐怖。

DINKsという選択は、生物として抗えなく絶対的に産めなくなる年齢の手前にくるとどういう感情になるのだろう。

あなたはまだ選択肢がある、でもあなたはもうないのよ、とでは気持ちにかなりの差があるのではないだろうか。

私はもともとは子供が欲しかったので、思いは複雑。産まない、のではなく産めない方なのだから。

不妊治療をしているけど、私は本当に子どもが欲しいのだろうか?

正直にいうと私は妊娠出産自体はすごく怖い。この年齢でホルモンの波にさらされ、身体の負担に耐え、出産に挑み、産後に新生児のお世話をする。

それがすごく怖い。妊娠したらもう元のそこそこ健康な自分に戻れないのではないかという恐怖がある。

妊娠が成功したら、産んだら終わりじゃないのだから。

ベースにそんな不安を抱えて、不妊治療の病院の門をたたいたのが38歳も半分を過ぎようかといった時期。保険適用目前だった。

私は子供は好き。姪っ子が赤ちゃんの時私はまだ実家に住んでいて、結構な期間里帰りしていた妹の子育てをいいとこどりで手伝っていた。

自分の手を握る小さな手や、あたたかなやわらかい体。笑い声、鳴き声、いい匂い、ミルクの香り。

一つ一つがいとしくて、まるで自分の子供のように一緒に過ごした経験がある。

妹が実家から自分の家に帰ってしまって数か月はさみしくて仕方がなかった。

そのころは私もなんの不安もなく妊娠出産できるものだと思っていた。

いざ、結婚して子供ってなったときはもう私は高齢出産の域に入っていた。でもどこかで思っていた。そうはいっても周りのカップルは結婚してから1年くらいで自然に妊娠して2人くらい子供を当たり前のように産んでいるのだから自分もそうなるのだろうと。

しかし、待てども暮らせども自分の体にそんな変化は起こらなかった。

思うに、未知識や鈍感力、思い切りって私にとってはとても必要なことだった。

出産、当たり前にするでしょ、って何にもわからない間に妊娠出産してこんなもんだろって子育てしていくのがよかったのだ。

高齢出産てなんだろう、妊娠出産てどんなことだろう、周産期って?自分の体って?リスクって?

調べれば調べるほどに怖い情報があふれていて自分はそれにいつしかおぼれてしまった。

出産てこんな博打みたいなものなのか?それを超えてもなお、自分の子供を産み育てたいっていう強い思いがないと高齢出産という願いはかなえることができないのか?

私はそこまでしても自分の子供が欲しいのか?

頭が煮えたぎるほどに考え出したら、不妊治療に行くのがとてもつらくなってしまった。




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