母とセックスがしたい【思春期編】
※個人が特定されないよう、一定量のフェイクを挟んでいます。
私は、母とセックスがしたい。
たとえ結ばれることがなくても、男女として愛し合いたい。
その欲求を強烈に感じています。
なぜ、これほどまでにそう思うのか、自分でもわかりません。
同意を得ようとも思いません。親にそんな感情を抱くなんて気持ち悪い、異常だ、と思われる方が大半だと思いますので。
これから計画を立てて実行に移すので、成功するか、失敗するかもわかりません。どんな結果になろうとも、ここに記録として残していきます。
自分自身でも気持ちの整理がついていない部分もあるので、文章として吐き出していくうちに冷静になれるかもしれないという思いもあります。
前回に引き続き、私がどのように育ったかを主に母とのエピソードを交えてお伝えするための記事を書きます。中学校~大学中退あたりまでの予定です。
大学中退のところは個人が特定されかねないエピソードがありますが、フェイクを入れるのも面倒になってきたのでそのまま事実を書きます。
・幼少時代の補足
前回の記事ですと遊ぶ道具も何も与えられず、まるで虐待されてたのかと誤解されそうなので補足しますと、買って欲しいおもちゃなどは頼んでしっかり買って貰っていました。買ってもらえるタイミングとしてはこどもの日と10月の誕生日とクリスマスの年3回でしたので、トミカやレゴのカタログを見ながらどれをお願いしようか……と悩んでいたりしました。
・中学校時代
第一志望である中高一貫の私立中学校に合格し、電車での通学が始まります。自分の中では中学受験が終わる=ビデオゲームをやり放題になると勝手に思っていて、それが実現しなかったことに納得がいきませんでした。まぁ今考えると本当にしょうもない理由だなと思いますが、唯一と言っていいくらい熱中できる趣味だったので、当時の自分にとっては本当に苦痛でした。
勉強はもともとそんなに好きではなかったことと、勉強を頑張ったらゲームが好きにできるかも、と思っていたことが叶わなかったことから勉強のモチベーションが一瞬で消え去り、小学校時代上の中くらいだった成績は一気に下の下へ。定期テストの点数は30点以下が当たり前になりました。
加えて毎年親戚たちからもらっていたお年玉が入った貯金通帳を「大事に使いなさい」といきなり渡されました。お小遣い制度などは無かったのでお金の使い方を覚えさせようとしたのだと思います。
まとまったお金は使える。
ゲームがやりたくて仕方ないのに家ではできない。
ゲーム機を買っても家でも学校でもできない。
私はゲームセンターに通うようになります。あまりに当然の流れですね。特に格闘ゲームは強くなって勝ち続ければ少ないお金で長く遊べましたから、よくプレイしていました。もちろん両親には内緒です。
勉強の成績などよくなるわけもなく、両親の機嫌はどんどん悪くなっていきます。携帯電話を買い与えられるまではテレホンカードを渡され、学校と自宅の中間あたりの駅で「いま◯◯駅です」と母に電話しなければいけないという決まりまで出来ました。母からすれば携帯電話は持たせたくないが息子が心配だったからなのでしょうが、私はこのルールが本当に嫌でたまりませんでした。
確か中学3年生ごろに人生初の携帯電話を買い与えられるのですが、電話からメールに変わっただけで帰る途中に連絡するルールは無くなりませんでした。
・高校時代
生活態度は一向に改まること無く、悪化の一途を辿ります。
朝に自宅を出発し、学校近くのゲームセンターの開店時間10時まで携帯電話をいじって時間を潰し、開店と同時に格闘ゲームを練習。昼休みの12時くらいに学校に到着するように移動し、作ってもらったお弁当を食べる。午後の授業は寝て過ごし、帰りにまたゲームセンターに寄ってゲーム三昧orファミレスでダベって帰るという天国のような日々を送っておりました。
テスト期間前にちょっとだけ勉強をする素振りを見せますが普段の授業を真面目に受けていないので結局30点未満の点数しか取れず。父からは「1番になれるやつ以外はクズだ」と言われ「今まで母に子育ては任せきりで、殴る時しか出てこなかったくせに偉そうに!俺はクズでけっこう!」と大反発。今考えるとすごい環境でしたね。別に興味もないのに煙草を買って吸ってみたりして、またそれがバレて……ということもありました。
さいわい良い友人に恵まれていたことと、携帯電話でmixiや掲示板を通じて格闘ゲームの知り合いが出来たりしましたので、ストレスを溜め込むこと無く発散することは出来ていました。ここは本当に幸運で、一歩間違えれば半グレに落ちていてもおかしくなかったのかなと考えたりします。
ただ、私が通っていたのは進学校だったため、嫌が応にも「大学受験」の4文字が立ちはだかります。
「何か適当に理由をつけて専門学校みたいなところに入学すれば、また4年くらいは遊んで暮らせるかも」という本当にどうしようもないカス思考で、実質的に専門学校のような大学を受験し、なんの間違いか合格してしまいます。
どの大学も受からなかった場合、浪人するような気力もありませんでしたので「てきとうに正社員登用あるバイトでもするか」と思っていました。今考えると本当にお気楽ですね……
・大学時代
アルバイトをはじめて自由に使えるお金が定期的に手に入るようになったことと、ゲームセンターで色々なジャンルのゲームに手を出すようになり更に遊び呆けておりました。最初の一年、いや半年くらいは真面目に授業を受けていたのですが……
両親には「大学楽しいよ!」という素振りだけはしていましたので、安心していたと思います。すぐにそれはまやかしだったことに気づくことになります。
得がたい友人と出会えましたし、この大学に入学したことは間違いではなかったと今では思えます。大学の勉強で学んだことはほとんど今活かせていませんが(笑)
・大学中退
単位もバカスカ落とすようになり当然両親にもバレてしまい、3年生の途中くらいに両親から「真面目に勉強をする気がないのなら辞めさせる。家も出ていけ」と言い渡されます。家を出ていくのは嫌だったのですが、今さら勉強するのも無理だな、と考え承諾。ボストンバッグに一週間ぶんくらいの着替えとノートパソコンだけ詰め込んで「んじゃ」と家を出ました。
ネカフェにでも寝泊まりするとして、バイトのシフト増やしてもらわないとな~と考えていました。実際はネカフェ以外にも一人暮らししている大学の友人に頼ったりもしていました。
※後から聞いた話ですが、母はこの時に私が「ちゃんとするから家に置いてください」と泣いて頼んでくると思っていたようで、私があまりにも淡々と家出の準備をするので実はとても驚いていたそうです。私が家を出た後、「本当に出て行っちゃった……」と泣きそうな顔で父にこぼしていたとか。
このときの私は「アルバイトといえども仕事をしっかりこなして金を稼ぐ力が自分にはある。だからまぁたぶん大丈夫だろう」という謎の自信がありました。若いっていうのは怖いですね、
・思春期を振り返ってのまとめ
成長するにつれて家族以外の人との交流が増えますので当然といえば当然ですが、幼少期に比べてかなり駆け足ペースで書き連ねてしまいました。
いやしかし……もともと自覚はありましたが、実際に文字に起こしてみるとロクな人間ではないですね、本当に。
先の展開を書いてしまうと、家を追い出された後に半年程度で「母が心配しているから連絡取ってやってくれ」という父からの連絡を受けて放浪生活は終結します。たぶんこの出来事が「息子はもう自分たちの手を離れた」と両親が考えるきっかけになったのではないかなと思いますね。
当の私は「自分で追い出しておいて心配……?何言ってるんだろうこの人は」と本気で思ってましたが。
さすがに私も歳を取りましたので、過去の自分や両親を客観的に考えてみたことはあります。幼い頃や思春期の自分は、親にどう接してほしかったのだろう?と。
私の両親は、現在よく言われるような「毒親」という言葉で定義するのは適切ではないようには思います。ただ、どんなに聞き分けの悪い子であっても、言って聞かせるのではなく暴力を振るう時点で「毒親」だろうという意見ももちろんあるでしょうが……
子供は自分の幼少期がどれだけ辛い記憶だったとしても「でも楽しいこともあった」と美化してしまうらしいです。そうでないと自分を保つことが出来ないから……とのことで。まさしくそうかもしれませんね。
私の両親は毒親だったかもしれませんが、私にはそれを否定したいという意志があります。父も母も人として生きるのが初めてであり、子育ても初めてだったのです。子供に良かれと思った行いに、誰が採点などできましょうか。
幼い頃に両親の仲がもっと良ければ何か変わったのかな?
父ともっと遊ぶ時間があったら?
ゲームを自由に遊ばせてくれる環境だったら?
どんな自分になっていただろう……
想像することは辞めました。
最初の記事で書いた通り、ここまで育ててもらった両親に対しては感謝しかありません。私の両親の子育てについて、意見することが出来るのは世界でただ一人、私だけです。
私の尊敬する方がこう言っていました。「あなたの両親が”子育て”というテストを受けていたとしたら、点数は酷いものだったかもしれない。10点とか20点かもしれない。でも答えがわからないなりに、答案用紙に書き込みは消して、書き込みは消して、悩みながら真剣に向き合って、正解とはほど遠いかもしれないが、しっかり答案用紙を埋めて退出していたと思う。同じ10点でも、適当に空欄のまま提出した答案用紙とは価値が違う。あなたも人として成長したなら、きっとわかるはず」と。
私の母は、まさにこのタイプだと思います。誰も助けてくれない、真っ暗闇のトンネルを、幼子を背負って歩き続ける。そんな中でも真っ当に、正しい道を歩んで欲しくて、出来ることを精一杯頑張って、息子に伝えてくれたと思います。
そんな母に伝えたいです。良いとか悪いとか、正しいとか間違っていたとか、そんなことは関係ない。
あなたが私のことを息子として、一人の人間として、正しく生きていけるように、精一杯尽くしてくれたことを感謝しています、と。
・近況
近況としては、実家に行くタイミングが無く進展はありません。
今月は父の在宅勤務の日が多いので、そこを避けて二人きりになれるタイミングを狙い撃ちするのがなかなか難しいです。二人きりになりたい、なんて今の段階で言えませんしね。
ここ数日は、母とふたりきりになれたら何て言おう?どういう順序で話したら良いだろう?と毎晩ベッドに入って考えています。
母の胸に顔を埋めて、頭を撫でてもらいながら、たくさん甘えたい……
次回の更新は社会人になってからのエピソード……と思っていたのですが、幼少期ほどの濃さはないのであまり面白くないかもしれません。
自分がどんな女性を好んでいるかなど、そういったことを書くのも自分への理解が深まるので良いかなと考えています。
気長にお待ち下さい。