母とセックスがしたい【幼少期編】
※個人が特定されないよう、一定量のフェイクを挟んでいます。
私は、母とセックスがしたい。
たとえ結ばれることがなくても、男女として愛し合いたい。
その欲求を強烈に感じています。
なぜ、これほどまでにそう思うのか、自分でもわかりません。
同意を得ようとも思いません。親にそんな感情を抱くなんて気持ち悪い、異常だ、と思われる方が大半だと思いますので。
これから計画を立てて実行に移すので、成功するか、失敗するかもわかりません。どんな結果になろうとも、ここに記録として残していきます。
自分自身でも気持ちの整理がついていない部分もあるので、文章として吐き出していくうちに冷静になれるかもしれないという思いもあります。
今回は私がどのように育ったか、主に母との昔のエピソードを交えてお伝えするための記事を書きます。今回は主に中学入学前までの幼少期編です。
また、他のご家庭では恐らくしていないないであろう、親子でのコミュニケーションについても詳細を書き出したいと思います。思い出した順番にどんどん書いていますので、時系列が多少ズレている点はご了承ください。
・幼稚園時代の幼い頃
母の愛情を独占し「ママとけっこんする!」と恥ずかしげもなく言い放つ、ある意味普通に母親が大好きな息子だったと思います。
前回の記事でも描いた通り、父は仕事が忙しいため平日は私が起きる前に会社に行き、寝た後に帰ってくるような生活だったそうです。母も顔を合わせる時間が非常に短く、実質的にほぼ私と母の二人暮らしのようなものだったと思います。当然父は育児に参加できるわけもないため、愛情以外にもそんな父への不満やストレスも私にぶつけられていたのかもしれないと、今となっては考えてしまいます。
ママ大好き!と言うもののワガママで嘘つきの悪たれ小僧でしたので、折檻も頻繁に受けていました。石頭だからパーで叩くと手が痛くなるからといって、スリッパやサランラップの芯などで叩かれて大泣きしていました。
母の手に負えないような場合だと、父にもゲンコツされていました。あれは痛かった。たぶん、一ヶ月間に一回も叩かれなかった月は幼稚園児時代は無かったでしょうと言い切れます。何かしら悪いことをして、その度に折檻を受けていました。
今考えるととんでもない幼児虐待だと思います。しかし当時どれだけ怒られ、叩かれても「次はバレないようにやろう」「どうやったら今この場を切り抜けられるかな」と考えて一切反省してませんでしたし、こんなどうしようもないクソガキを見捨てずに向き合ってくれた両親には感謝しかありません。やられた分をやりかえしてやろう、などという気持ちは毛ほどもありませんね。
母も結婚してすぐに私が産まれて、2人で頑張っていこうとしていた矢先、いきなり実質一人で「天使の顔をした悪魔のようなクソガキ」を育てなければいけないという責任感があったのだと思います。真人間に育ってほしいという親としての思いと、誰も自分の苦しみをわかってくれないという不満や寂しさもあり、それをぶつける先が私にしかいなかったのだろうと思います。本人に聞かなければわかりませんが……いつか機会があれば聞いてみたいと思います。
・小学校低学年
学校では「うちのお母さんは~」と言っていましたが、家では変わらず「ママ」呼びでした。暇さえあれば前から後ろから、母に抱きついていました。なぜかわかりませんが、母の体は本当に良い匂いがするんです。「洗剤の匂いでしょ?」と母は言っていましたが、絶対に「母の匂い」としか言えない匂いがしました。優しくてあったかくて、大好きな匂いでした。
また友達の家に遊びに行ったり、授業参観の日に同級生のお母さんを見る度に「俺のママが一番きれいだ」と心の底ではいつも思っていました。恥ずかしくて面と向かっては言えませんでしたが。
母は料理がとても上手で、何を作っても本当においしかった。母は外食も好きで食べ物にはなるべく妥協しないタイプの人なので、自分が思うベストの料理を作りたいという気持ちが強かったのだと思います。
今でも母に「◯◯が食べたい」とリクエストすると「今日スーパーで必要な食材を見たんだけど、あんまりいいのが無くて……イマイチだったらごめんね」と前置きするくらいにはこだわります。母が作ってくれたものはすべてご馳走ですから私はそんなことは気にしないのですが、自分が納得できないものを出したくないんでしょうね。
テラスがある一戸建てに住んでいた頃はガーデニングも楽しんでいたのですが、次の家はベランダタイプのマンションのため植木鉢を置く程度でした。またやりたいと思ったりしないの?とこの前聞いてみたときには「やりはじめるとアレもしたいコレもしたいって無限に思っちゃって、うまくいかないとイライラしちゃうから、趣味ってものさ作らないほうがいいのかも。ガーデニングは一戸建てに住んでるときに一生分やったしね」と笑いながら話していました。やっぱり凝り性なんでしょうね。
・小学校中学年
ハッキリとは覚えていないのですが、夜中に両親の言い争っているのをしばしば聞いた記憶があります。離婚を仄めかすようなことも、もしかしたら言われていたかもしれません。昔から非常に楽観主義だったのであまり重く受け止めず、「まあ離婚なんてしないだろう」と思っていました。お気楽すぎますね……。
ゲームは一日30分という厳しいルールを課せられますが守れるはずもなく、その約束を破ってゲーム禁止令が発動しました。テストでいい点を取ったらご褒美にゲームしたい、と言っても「約束を守らなかったのはテストでいい点取るのとは別」として許されず。母はゲーム機本体や電源ケーブルなどを隠して物理的に遊べないようにするのですが、その都度私は家探しをしてこっそり遊ぶ→見つかって怒られるという無限ループがこの頃から始まります。私のビデオゲームへの執着はここから成長するに連れて非常に強くなっていきますが、これはまた別の話。
習い事として学習塾やそろばん、書道などをやらせてもらっていました。
そろばんや書道は自転車でしたが、学習塾は母が車で送迎してくれていました。普段は家族で車に乗るときは音楽を聞いているのですが、なぜかラジオをつけていた日があって、面白い番組があることを知ったのです。それからは毎週夜に塾から帰る車中では、母とそのラジオを聞きながらおしゃべりするのが日課になっていました。
・小学校高学年
この頃になると両親の喧嘩は減ってきたように記憶しています。私は中学受験に備えて夏期講習に行ったりと、そこそこ真面目に勉強していた時期になります。平和な日常かと思いきや、結局は前述のビデオゲームに関してのことで相変わらずこっぴどく叱られ(というか殴られ)ていましたね。さすがに毎月ではありませんでしたが……
私が悪いことをしなければ優しい両親でしたし、小学生になってからも毎年1,2回は北海道や沖縄などに旅行に行っていました。まだこの頃は母に性的興奮を覚えてはいませんでしたが、母がだんだん水着を着てくれなくなった(もしくは着ても一緒に海に入ってくれない)のが少し残念に思った記憶がありますね。
また幼い頃から特に体が弱いとかではありませんでしたが、熱を出して寝込むことはしばしば普通にありました。看病してくれる時の母はとびきり優しくて(当たり前かもしれませんが)、食べたいものを言ったら必ず買ったり作ったりしてくれました。ありきたりな話かもしれませんが、やっぱり嬉しいものですよね。
※キスについて
悪たれ小僧の私も、基本はママ大好き!でしたので、日常的に母に「チューして!」とキスをせがんでいました。ほっぺではなく、唇同士のです。もちろんチュッと触れる程度ですが。
私の記憶は定かではないのですが、少なくとも小学校低学年くらいまでは続けていたような気がします。母にキスをせがんだとき、嫌な顔をされた記憶は一切ありません。母から拒絶されてしなくなったのではなく、成長して自分からお願いしなくなったのだと思いますが、あまり覚えていません。
これは他所のお子様がどうだったか聞いてみたいですね。
いくら母親が好きな息子といえども、小学生になってもキスをせがむものでしょうか?私が甘えん坊なのと、母が甘やかしすぎだっただけですかね。
※お風呂について
幼稚園の頃からはじまり、なんと小学校高学年頃まで母と一緒にお風呂に入っていました。あまり意識していなかったのですが、今思い返すとなんでだったのか思い出せないですね。
キスはせがまなくなったのにお風呂に入るのは、やっぱり母のおっぱいが見たかったから……と思いきや、あまり強く記憶していないんですよね。
たぶんやめる理由というかきっかけが無くて、習慣化していたので特に疑問もなく続けていただけのような気もします。
まだ学校で性教育の授業を受ける前だったと思いますが、一回湯船の中で母の性器がどうなっているのか気になって、からかうつもりで手を伸ばしたことがあります。その時結構強めに「だめ!」と窘められたのは覚えていて、たぶんその後に気まずくなり一緒に入らなくなったような記憶があります。
知識も一切なかったのでイヤらしい気持ちなどもまったくありませんでしたが、とにかく「女の人のココも、男のチンコと同じで無闇に触ったらだめなんだな」くらいの気持ちでした。
・幼少期を振り返ってのまとめ
このころは、基本的には私はずっと母が大好きでした。もちろんこの人がいなかったら生活できませんから当然なのでしょうけど……
ついこの間、SNSで息子さんがいるお母さんへの子育ての心構えのようなもので「息子さんをお母さんの"小さな恋人"にしないように」というのを見かけました。息子さんは自分の所有物ではないし、自分を愛してほしいと思ってはいけない、というメッセージなのだと思います。まさに私の母は、私のことを小さな恋人にしていたのではないかなと感じます。
夫は仕事一辺倒で家に帰ってきすらしない。自分の他には小さな息子だけ。誰も自分を褒めてくれない。
慰めてくれない。
私が頑張ってこの子を一人前にしなければ。
それでも、たまには私を褒めてほしい。
「貴方は頑張ってるよ」と言ってほしい。
当時母がどんな心境だったのかは、本人に聞いてみないとわかりません。
ただ今になって考えてみると、母が自分自身を保つためには心の拠り所を私に求めるしかなかったのかもしれない、と考えてしまいます。
・さいごに
母との関係は、まだ進展がありません。このnoteも自分の気持ちを整理するために書き始めたもので、書く前よりも自分への理解が進んだ気がします。
母とセックスしたいのは偽りのない気持ちです。
ただそれよりもまず、母に感謝と愛を伝えなければいけないな、と考え始めました。きっと母は「あなたが努力していたことを見ていました」と、誰かに言ってほしいはず。性的なことよりも、まずは母をしっかり抱きしめて、
「産んでくれてありがとう」
「俺を育てるの大変だったでしょう?」
「ママがたくさん頑張ってたこと、俺は知ってるよ」
と、伝えたいと思います。これももちろん、偽りのない気持ちですから。
私はおそらく「母として」と「女性として」の半々で母を愛しているのだと思います。母にいきなり性的な行為を迫ってしまったら「自分の子育てが間違っていたのかも」と母に思わせてしまい傷つけてしまうかもしれない。
母を傷つけるのだけは、絶対に避けなければいけません。
年内には難しいかもしれませんが、近い内に必ず行動したいと思います。
次回のnoteは私が中学~高校と思春期に母とどう過ごしたかを書こうかと考えています。