見出し画像

九州の旅 ◯×高等学校 2年


本棚を片づけていたら 高校時代の修学旅行の日程表が出てきました。

昭和6*年 10月**日〜**日までの4泊5日。
行き先は九州。向こうまでは主に新幹線で移動して
その後バス・ロープウェイ・フェリーと豪華なものでした。

思わず懐かしくて見入ってしまった…なかなか立派な作りです。トータル50ページ。確か2冊配られて1冊は自宅に保管して 旅行中になにか起きた時は家族が宿に連絡をしたり 当日の行動等を確認するようにとのことだったハズ…。
折り目もついていないこの冊子はきっと 家に置いていったものだろうな。

表紙を開けば九州の地図。次に目次のページが続き『修学旅行概要』へと続きます。


少し書き取ると
1、意義   集団行動を通して、集団生活のルールなどのぞましい体験をつみ、異なる生活環境の中にあっても、良識のある行動をとり友情を深める。また自然、文化産業など各面にわたって見聞することによって、ゆたかな教養をひろめる。


おぉ?そんな立派な事を学びに行っていたなんて
全く知りませんでした 今の今まで…。

昭和60年代の高校生といえば まだまだ生徒数が多かった時代です。同世代の方は想像がつくと思いますが  学年全体で移動するだけでも大変でした。この冊子によれば 参加人数は 教員・付添看護師を含めると350人を越えています。
今考えるとウソみたい、350人ってスゴイ人数ですよね。
記載を見ると、往路も復路も 新幹線は 2班に別れて乗車しているのが確認できます。

そんな大所帯の修学旅行…何を覚えているかといいますと 

① カラー写真で 幾つか並んでいるお弁当の中から
復路で食べる昼食を 先生に頼まれて選んだこと。
(参加者全員分なので とても悩んだのを覚えています)
②宿泊施設で 女子が大勢で一斉にドライヤーやヘアアイロンを各部屋で使うとブレーカーが落ちるので 絶対に部屋では1台しか使わないようにと 何度も注意を受けたこと。
③日中は制服着用が決まりになっていたにも関わらず なぜか私服の着替え(⁈)をたくさん持って行ったので 鞄が大変な重さだったこと。私はこの修学旅行の荷物で 人生初めての「肩凝り」になったこと。

とまぁ 九州全土に申し訳ないくらい 思い出が関係ないものでして…イヤイヤ 覚えてますよ 眼鏡橋めがねばしとかグラバー邸とか 長崎の夜景とかカステラも美味しかったです もちろん!
 

              眼鏡橋(長崎県)の写真に飛びます⤵️



校長先生からの出発前のメッセージが 1ページ 確保されて載っています。失礼ながら要約させていただくと

『いいか 諸君 長い時間をかけて 沢山の大人達が関わって下さって 好意と協力があってこそ はじめて修学旅行というものは 実現するんだぞ。
一つの行事を成功させるのは大切だ 。
諸君の善意と良識のある行動によって 立派な修学旅行になると 私は信じてるぞ!』
ということだったようで 今になって 校長先生のドキドキハラハラが 少し分かった気がしている次第でございます。その節は大変申し訳ございませんでした。
バスの中で カラオケ大会なんか開いて テレサテンさんを熱唱していたのは ウチのクラスです ハイ…。
担任が男性教諭で お酒の代わりに ガンガン ウーロン茶を飲ませて スナックみたいに楽しんでいたのは
ウチのバスです スミマセン 校長先生…

そんな  立派な修学旅行の冊子を一通り読んでいて
それはないだろぉ〜と  つっこんだ一文。

・携行してはいけないもの。
    a 化粧道具     b マージャンパイ     c ネグリジェ  

麻雀牌🀄️?持ってくの⁈ ってかやるのか⁈ 麻雀⁈
ネグリジェ?んっぉ⁈ ヒラヒラのレースゥ⁈

と、冊子一つで 記念写真には無い記憶もよみがえったし もう一度 ゆっくり同じ行程で旅してもいいかなと思えたし  今日はとてもステキな午後でした。

(一つ残念なのは もうこの高校が 存在しないということです)