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お迎えが来なかった日 (幼稚園)の記憶と折り紙

私はなぜか 幼少期の記憶が強烈に残っていることがあり 親からうとまれることがあります。

話せば まるで親を責めているようになってしまうかららしいです。

ということで 園の中で 最後の最後まで親がお迎えに来ず 先生も帰るに帰れず 私の遊びの相手をつきっきりでしてくれた先生と折り紙の話です。

その日は 暑くもなく 寒くもなかった記憶があります。西に太陽が傾き始めていました。本当だったら とっくに園から帰っている時間です。
私はポツンと教室に残っていました。少し前までは 同じくまだお迎えの来ない子供同士で 遊んでいましたが 1人2人と人数が減り とうとう私だけが残ったのです。教室で1人きりにする訳にもいかず 手の空いている先生が 遊びの相手をしてくれました。

私は〝はしゃぐ“タイプではありません。お絵描きも好きではありません。お歌も人前では歌いません。でも 淋しいからといって 泣いて大人を困らせるタイプでもありません。ジッと黙って不満を隠すタイプです。
1番厄介で扱いにくい子どもかもしれません。

しかし先生はやはりプロです。そんな私の性格を瞬時に見抜き『折り紙をしようね』と言うのでした。
落ち着いて座ってできる遊びです。2人きりでも十分楽しい。難しければ 見ているだけでも 十分楽しい。先生は鶴やハートをあっという間に作ってくれました。

親はまだ来ません。連絡も入りません。

先生はクス玉を作ってくれました。
私は初めて 作る工程を最初から最後まで目の当たりにして 感動しました。
あんなに凸凹した複雑な形なのに たった1つの同じ形のパーツを12枚繋ぎ合わせて トンガリを作っているだけなんだ と。いつもの折り紙の時間は ワイワイガヤガヤしていて 全く集中できず 先生の手元なんて見られませんが 今日は違います。最初から最後まで 凝視です。

そして 覚えました。ものすごい集中力です 自分が一番ビックリしました。

その後 街灯が灯る頃になって ようやく母親が自転車で迎えに来ました。盛んに「本当に すみませんでした〜(汗。」と 先生方に頭を下げて私を自転車の後ろに乗っけて(乗せて ではなくて)颯爽と園を後にするのでした。

結局 なぜいつもの時間にお迎えに来てくれなかったのか・遅くなってごめんね・心細くなかった?等 コチラを気遣う言葉は無く 「まったくもぉ〜 〇〇さんの話は長くって イヤンなっちゃうわぁ〜ホント。」と 愚痴をきかされる始末で…まぁコレは慣れているので置いておいて。


後日 あのクス玉を自分で再現してみようと 折り紙をせっせと折りました。先生の手元を思い出し 同じ方向になる様に 同じパーツを12枚…。チョコンと三角に尖らせながら 繋げます。
すると 時間は少々かかったものの 私1人でも 再現ができたのです。凄いぞ 私!自画自賛。

この時に作ったクス玉は淡いクリーム色で作ったのですが スッカリ元の色味が分からなくなる頃(小学校を卒業する頃)まで 机の上に飾って 「私って 意外とやるな クククク。」と不気味な自信に包まれていました。

ソレがキッカケかどうか分かりませんが 今だに折り紙を見ると つい買いたくなってしまいます。


海外に在住中 他国に住む友人にプレゼントを送る際に クッション材が手に入らず 悩んだ末に 折り紙で大量の 「花」を折ったり切り抜いたりして 箱を開けた瞬間に中身が「花まみれ」で驚かすというイタズラをして楽しんでいました。

日本独特の文化 の折り紙。
いつまでも続きますように。



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