暑さにくらくらしながらキューバの革命博物館へ
<2004年のバックパッカー日記より。キューバ8日目>
6月22日(火)
今日は朝5時に変な夢で起きてしまい、なんか忘れたけど終わりの方ではチキンを切っていた。昨夜のごはんがチキンだったからかな。
とにかく汗をかいて起きて、1時間ほど本を読んでまた寝たら9時でした。まだまだ眠かったけどなんとか起きだし、早めにお昼を食べてから革命博物館に行った。
https://visitcuba.com/history-heritage/museo-de-la-revolucion/
ハバナのメインイベントとして、なんとなく最後に残しておいたのですが、うーん、暑かった。トイレに行きたくならないように水分控えめで行ったのが裏目に出て、最後はくらくらしてた。お水も売ってないし。しかもMuseoの中はクーラーはまったくなく、大変あつかった。
Museoはキューバの歴史をひしひしと感じさせられるものでした。他国からの侵入と抑圧に常にさらされていて、それに対して必死で独立を勝ち取ろうとした成果がいまのキューバなんだなぁ、と思った。
「誰それが殺されたときに来ていたシャツ」とかが血のついたまま展示されていて、それがいくつもあったり、当時の新聞も、血まみれの人が倒れている姿(亡くなっている)が写っていたり、生々しく展示されていた。
キューバ革命というと、ついチェ・ゲバラやカストロばかり思い浮かべてしまうけど、彼らの前に何世代にもわたる反乱と革命の歴史があり、亡くなった人たちがいたことをまざまざと見せられた感じ。それにしても、あれだけの壮絶な戦いがあり、多くの人が亡くなっている中でカストロが生き残ったというのは奇跡的だと思ってしまった。必要とされる人が残ったのか、残っていくうちにどんどんカリスマ性も増していったのか。多くの友人たちが故人となってしまう中で、国際的に孤立してまで信念を貫いているカストロは、自分がしてきたことを、いま一体どのように考えているんだろう。「チェよ、これでいいんだよな?」とか語りかけたりしているのかな。
それにしてもチェ・ゲバラが今でもこんなに愛されているのはすごい。キューバ人ではないのにキューバのために戦い、あくまでも民衆と共にあり、革命が成功したらまた他の国の独立のために戦って散った、という生き方に、いまでもみんな尊敬や親愛の念を抱いてるんやろうなぁ。
そうそう、グランマ号は展示室の中に保存されていて中には入れず、ちょっと残念でした。しかし結構きれいで大きくて、12人乗りとあったけど、もっとたくさん乗れそう。でも80人以上があれに乗って革命を起こしたんだから、すごいことにはちがいない。
それにしても、キューバの歴史を考えると、現在の教育・医療水準の高さは驚異的かも。革命前は50%の子どもが教育を受けられず、年に4万人もの人が病気で亡くなっていたというのだから。……と、暑くてバテバテになりつつもいろいろ考えながら一生懸命見ていたらほんまにつかれてしまいました。
帰ってシャワー浴び、今日はA(スペイン語の個人レッスンをしてくれていた先生)が「たぶん来られない」と言ってたし……とのんびり本を読んでたらAが来てびっくり。宿題もしてなかったし、昼寝もしてなかったから、かなりつかれた。だってスピード速いねんもん。どんどんむつかしくなるねんもん。ぶつぶつ。しかし、かなり勉強になりました。明日が最終日なのでがんばらねば……。
Museo de la Revolution $4
(2024年追記)
あいかわらず、めっちゃ寝てるなぁ、わたし(笑)。
革命博物館、人が全然いなかった記憶があります。
当時のロンリープラネットによると、グランマ号とは「1956年にメキシコからカストロと81人が乗ってキューバに向かったヨット。キューバ革命に関する最も神聖なもののひとつ」とのこと。
そして、こんなにスペイン語をがんばって勉強していたのに、ほんまにどこにいっちゃったのだ……。脳みそのシワの奥底に眠ってるんかなぁ。でてこ〜い。