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なんとかしてや

児童生徒たちの夏休みももう終わってしまうと言うことで、今日は夏休みの終わりが如何にさみしいものか、語っていこうじゃないのという。

私の夏休みはまだまだ終わらないけど、8月の終わりは全国の児童生徒諸君にとって非常にさみしさ募る憂鬱な季節。夏休みの終わりです。

なつやすみ、というのはもはや業務上の休養期間という意味合いを大きく逸脱し、日本の1つの「文化」的なものとして根付いております。

それはつまり、私たちにとって「なつやすみ」という言葉は何かしらの感情や伝統のこもっている言葉であるわけですな。

夏休みの持つ意味は様々ですが、私たちが持つ夏休みにはどこか共通した1つのイメージがあるような気がします。
これは勿論近代になるにつれて発展し拡散力を増したメディアによる印象の植え付けでは確かにあるのですが、しかしそのイメージは俗的かつ懐古的でありながら、抽象的で高尚なものとしても感得できる不思議なものであります。

なつやすみ、なにを思い浮かべるでしょうか。

夏祭り、海、花火大会、浴衣、お盆、風鈴、帰省、旅行、、、

たのしく、優雅な情景が私たちの心の中から湧き上がってくるようです。しかしそこには同時に、日本の夏の殺人的な気温とベッタベタの湿気も混じっています。

夕涼み、と言いながら朝でも夜でも関係なくクソみたいに暑い近年の気候ではありますが、夏休みと聞いて想像する豊かな情景は、想像するだけでも1つの趣を与えるようです。

しかし、夏休みも終わりに近づけば悲しいものです。


夏の気温の中に少しだけ秋の香りを感じるようになったとき、夏休みもじゅくじゅくに熟してきます。残された日にちはあと10日もなく、勢いで7月中にやってしまおうと頑張ったけど中途半端な形で今の今まで残ってしまったそこそこの量の課題が頭の8割を占領してきます。

小学3年生だか4年生だかのときに1日1ページやらなくてはいけない自主学習(それはもはや自主学習とは言えんでしょうが)を一気に40ページくらいやったことを思い出しますが(多分ばれてる)、近頃の小学生はちゃんと宿題とかやるんでしょうか。


近頃はですね、タブレット型端末みたいなのが全国の公立中学校に配られていて、それで色々と管理するみたいですね。課題とかをネット上で提出したりするとか。嫌ですね。
夏休みの間にも教員から「みなさん、良い夏休みを過ごせたでしょうか?」みたいなメッセージがぐーぐるくらするーむに届くんでしょうか。

夏休みのいいところは、学校の関わりたくない人々と関わらずに居られることでもあります。きっとその安心感というか、普段とは違う場所に行ったりもそうだけど、今までの環境の干渉からいったん解放されてフリーの状態で過ごせるという感覚が、なつやすみのはかなく優雅な感覚を醸成しているような気もします。

だけど、このインターネット社会が急速に”必要な範囲を超越して”膨張する中で、学校の人間と関わっているという感覚がずっと続くのは嫌ですよね。

それによって秋学期が始まったときのだるい感覚も増幅されるし。


「夏休みが始まったら、また頑張らなくちゃいけないのか」

がっこうでずっとがんばってるえらい子は特に、夏休みでゆっくりできた後の反動も大きいよね。

特に9月1日は1年で一番自殺の多い季節なんて言うじゃないの。
大丈夫なのアンタたち??


夏休み終わりはかなしいものです。
しかし、おごれるものもついには滅びぬ。

落ち武者として、二学期を生きていきましょう。おやすみ。あたまいたい。

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