「だが、情熱はある。」を見て

初めての記事。
26歳の私が「だが、情熱はある。」をみて、自分と照らし合わせたことを誰に見てもらいたいわけではないが、書き表してみる。

なぜ、こんな記事を書いたのか。
そう、私は今思い悩んでいる。
いや、ずっと昔からずっと悩んでいるのかもしれない。

才能がない。
才能がないのに、天才になりたい。天才になりたかった。
「だが、情熱はある。」その主役になった二人と同じような間隔をずっと昔から持ち続けていた。

何をやっても劣等感を感じる。
賞をもらっても。良い成績をとっても。スポーツで活躍しても。
なぜか。上には上がいる。そう気づいていてからかもしれない。

私は、昔から難をやっても一番になれない。
なんでも器用にこなすことができる。けど、一番ではない。
ある程度の技量をある程度評価されるレベルでこなすことができた。
けど、一番の才能ではなかった。

私は、オードリーのオールナイトニッポンが好きだ。
通勤中に、長距離の移動する時にいつも聞いている。
何が好きかといわれたら答えることはできない。けど、好きだ。
なぜ好きか。それがやっとわかった気がする。
前述したように若林さんと同じような感覚を持っているからかもしれない。
知らぬ間に自分と若林さんと山里さんを自分に重ねて自分自身を振り返っていたのだろう。

生きていてつらくはない。毎日が楽しい。だが、充実はしてない。
今、私が充実していないと感じているのは明確に原因が分かっている。
「目標」がないからだ。
仕事をしながら、達成できる目標を立てようとしている自分が嫌だ。
何か大きな目標が欲しい。
実現できないような大きな目標。
この壁を乗り越えたら自分が見えてきそうだ。

このnoteという場を借りて日々の一喜一憂を書き記し、自分というものを手に入れていきたいと思う。

誰に読んでもらいたいわけではない。
自分と向き合うために。

2025年1月24日の自分

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