考え抜いて出した答えは、正解。
新しい暮らしを初めて、早4年が経とうとしている。
関西から関東へ。名字が変わり、職業も変わり。
初めは不安だらけだったけれど、意外にも、ほどよく馴染んできた。
ような気がする。
一番の変化は、
「生活」を、一つひとつ
丁寧に送るようになったことだろうか。
新しい環境や、新しい生活は、
身をもって体験するまでは、とても不安。
手放さないといけないモノもたくさんある。
けれど、いざそこに足を踏み入れると、
もうずっと昔から、その地に立っていたような感覚になる。
この4年で、たくさんの「新しい」を経験した。
衣食住を行う家はもちろん、
乗る電車やバス、買い物するスーパー、
呑んだり遊んだりする街も変わり、
新しい環境に身を投じる感覚。
そんな暮らしの中で、心のゆとりを保つためには、
自分なりの「変わらない」をつくることが大切だと、
これまでの経験から分かった。
「継続」が与えてくれる 心強さを実感している。
環境や暮らしが変わっても、
好きなモノやコトは変わらない。
変える必要なんてないし、変えようもない。
あらためて。
カタチは違っても、「続ける」ことはできる。
それは、どんなコトにも言える。
そんな当たり前のことが、
ようやく、なんとなく、わかった。
そしてそれは、自分が思っている以上に、
自然で、たやすいことかもしれない。
人は「正解」が分からないとき、
発言力や発信力がある人の判断に委ねがち。
そうしてまで、正解の正体をしりたがる。
正体をしっているような感覚でいる方が、
なんとなく安心するし、すっきりするし
納得もしやすい。
正解を定めるのは、難しい。
一番の理由は、結局、
正解とは、個人だけの考えでは、
決めにくいモノだから。
どのような答えを出しても、
それを表面的には出さなくても、
身近な人のことを考えたり
外部から見たあるべき自分を想像してみたり、
自分一人の意志や感情だけでは解決しにくいモノ。
けれど、そんなことをぼんやり考えながら
今日、好きな道を
いつも通り歩いている時に、
「いま、出した答えが、正解」
こう考えて、すっと心が軽くなった。
高校の担任教師が言った「人生は選択の連続」。
選択の機会が訪れる度に、答えを出さないといけない。
その度に「正解」は何か、考える必要がある。
そうであれば、
それは、その時その時に
考え抜いて出した答え。
そうであれば、
それは、いま、考えている、それ。
悩んで、導きだした、自分の答え。
それがきっと、「正解」。
のちのち
正解ではなかった、だなんて、
自分にも、誰にも言う権利はない。
当たり前のような話だけど、
ここまで心を整理するまでには、時間がかかった。
今日の一言。
「考えて出したのなら、正解。」