ファティマ第三の予言

 マヤ歴について書こうと思って以前に自分でまとめていたものを
探していた時、鬼塚五十一の本を古本屋で見つけた。


 それは、“ゲーム機器があなたを殺す日が来る!”という題名の、ノストラダムスの予言成就。とある2000年1月25日に発刊されたものだった。
 そこの後編に“ファチマ第3の予言”について書かれていた。
それは、テレビや雑誌などで読んだり聞いたりして知っていたことだったが、マヤ歴の終わりの時と通じる。と思った。
 そこで前振りに“ファチマ第3の予言“を使おうと思いまとめ出して、そのメッセージの重大さに気が付いた。

  ファチマ第三の預言とは、
<1917年>
 ポルトガルの人口250人の小さな村“ファチマ”で
ルチア 10歳 女の子
ヤンシタ 7歳  女の子
フランシスコ 9歳 男の子の3人(牧童、羊飼い)が、羊飼いの仕事をしている時に聖母マリアが出現し、3つの予言を授かる。

その予言とは、
① 当時いつ終わるか予測のつかない状態だった第一次世界大戦が、間もなく終わる。というもので、
(村の誰も予測していなかった終戦を、間もなくむかえることになる)
② いずれロシアが世界の脅威となり、世界の共産主義を煽りたて、このまま人類が改心して良い方向に行こうとしなければ、第二次世界大戦が始まる。といい、信じるその印として人々は夜間に大きな不思議な光を見ることになる。というものだった。
 そして、

<1938年1月26日>
 夜の9時から3時間、西ヨーロッパ全体がオーロラではない、オーロラに似た不思議な光に包まれる。
(その後、ドイツがオーストラリアを占領、第二次世界大戦が始まる)
③ 第3の予言だけは、時期が訪れるまで話してはならないとルチアは言われる。
ヤンシタとフランシスコが、幼くして亡くなった後、
<1943年>ルチアは、地元教区の司教を通じてヴァチカンに送る。
(ルチアはこの本が書かれた2000年に92歳になりカルメル修道院で祈りと苦行の生活を続けていた)
 ルチアは、預言を送った際に
「私が亡くなるか1960年以前には、これを開けてはならない」としている。
<1960年>当時のローマ教皇ヨハネス23世がこれを開ける。
 しかし、沈黙。
次に見たのが、パウロ6世、失神。
 以来、それは、門外不出となる。

 それが世界の注目を浴びることになることになるのが、
<1981年5月>ロンドン、ヒースロー空港で起きたハイジャック事件。
 事件は解決したが、その時の犯人の要求が、「ファチマ第3の予言を公開しろ」というもので、この事件で、予言の存在が明るみに出ることとなった。

 パウロ6世もヨハネ・パウロ1世も自然死と伝えられたがフリーメーソンに毒殺。
そして、ヨハネ・パウロ2世が就任。
 彼も、1981年5月13日にサンピエトロ広場で銃撃され、命に別状ははなかったが、
1982年5月にファチマを訪れていた際、スペイン人神父に刃物で襲われ怪我を負う
(この事実は2008年、10月15日に公表される)などの危険にさらされる。

 ファチマ第3の予言は、そのヨハネ・パウロ2世の死が警告となる。
そして、彗星の激突。第三次世界大戦、それは世界最終戦争ハルマゲドンとなる。というものであった。

 それは、
「人間の状態が悪いことが、その被害の規模を拡大することになるだろう。
『全ての人の一人ひとりの髪の毛の数まで神は知っている』と聖書にあるように、人類のしてきたことすべてを知り尽くし、自ら為してきたことの大浄化が起こる。
それは、『贖罪(しょくざい)の球』と呼ばれ、人類史上経験したことのない大艱難(だいかんなん)を向かえることになる。
 大彗星はワームウッドと呼ばれる実在する未知の彗星だという。
ワームウッドは、ロシア語で“チェルノブイリ”であり、その意味は“にがよもぎ、“にがよもぎ”は、“ヨハネの黙示録”に出てくる。
「第三の天使がラッパを吹き鳴らした。すると、天から大きな星が落ちたいまつのように燃え、川の3分の1と水の源に落ちた。
この星は“にがよもぎ”といい、水の3分の1は“にがよもぎ”に変わり、水がにがくなったので多くの人が死んだ」と黙示録にある。
 “にがよもぎ”は、「エレミアの書」の中で“毒の水”として出てくる。
「大きな大洋が火の海となって大陸に襲いかかり、一瞬のうちに何百万単位で人々が滅びる」とあり、黙示録の予言では、地上がたいまつのようになって燃える。となっている。


 この本は、2000年に出版されたもので1999年9月30日に起きた東海村の臨界事故の直後に日本の幻視者マリア・ロゼッタが、この事故の直後に祈った時に、聖母から言われたという言葉がある。
それは、
「また大きな事故が起きるでしょう」ということだった。
そして、
「それは、大警告の時に起きる。
大警告の時、かなり大きな地震が起きるが、日本のすべての原発施設は、それに耐えきれるだけのものを作っていないので、とても大きな核汚染になる。
そして近い将来、日本各地に設置されているすべての原子力発電が、その大警告で引き起こされる大地震によって、この『東海村とは比較にならないほどの大きな事故を起こし日本列島の多くの場所が核の汚染される』事態に陥る」というものだった。
 その聖母の言葉から11年後、本当に東日本の大地震が起き、福島の原発が取り返しがつかない事態に陥り、いつ収束するか分からない状態にある。

 マリー・ロリィ・マソン(スペイン・ガラバンダルの幻視者、当時11歳)は
「一瞬のうちにすべてのモーターと機械がストップし、恐ろしい熱波が襲い、人間はいたたまれない乾きを感じ水を探す。
しかし、凄まじい熱波のため水は蒸発し人々は捨て鉢となってお互い殺し合うようになる。人の力は衰え地面に倒される。
その時こそ、人間は神から送られた罰であることを知る時で、それは一種の清めであり、自分の罪をあらわにされ、その罪の恐ろしさの恐怖によって死ぬ人もいる」と言う。
 マリーは「肉体的にも火のような熱さを感じるが、霊魂にも火のような熱さを体験し罪が深ければ深い程心と霊魂を焼き尽くすような激しい苦痛を伴う」と言う。
   これが、2000年出版された本の中で書かれている。

 大人になるに従い、人は良心が麻痺してくる。
それが全く無垢のな生まれたての赤ん坊の魂になって、そのことに直面することになる。のだという。
この時、短時間でもそれはとても長い時間のように思われる。
 この警告の意味は、私達を神に近づけることにある。と、10歳で亡くなったヤンシタは語っている。

 テレサ・ムスコ 幻視者(1976年、33歳没)
が、<1952年1月3日>マリアから告げられる。
 それは、ヨハネ・パウロ2世がファチマについて語る28年前だった。
「世界は極度に悪化している。
ポルトガル、ファチマでも、ルルドでも、ラサ・レッドでもメッセージをもたらしたが、誰も私の言う事を聞き入れなかった。
聞き入れたのは少数の改心した強い心の持ち主だけだった。
私はあなたにファチマ第3の予言について話す。
第3の予言は
『世界は大きな破局に向かって走っている。
恐ろしい罪が私達を脅かし、世界をメチャクチャにする煙と炎が上がり、大洋の海水が炎と水蒸気によって真っ赤になる。
海は泡立ち、ヨーロッパは上も下も分からない状態になり全てを焼くような熱い波に呑みこまれる。
数百万の男女や子供が炎の中で非業の死を遂げる』」というものだった。

 1962年にドイツの新聞「ニュースヨーロッパ」がファチマ第3の予言を抜粋といわれるものを報道したことがあった。
「火と煙が天から落ち、海の水が水蒸気となってその泡をまさに空に向かって吹きあげることでしょう。毎時間、何百万人もの人々が死んでいくことでしょう。
嘆きと悲惨、そして悲しみが世界中に見られることでしょう」
 そして、現在の世相のことも預言している。
「人間は神の望み通りに発達していないのです。
人間は神を冒涜し続け、神の驚くべき祝福を足の裏で踏みつけるようなことをしてきたのです。
『国家の高きところまで悪魔が統治』し、物事の成り行きに影響を与えているのです。
また『科学者の心の中にも混乱の種をまき』、一瞬のうちに人類の多くを破滅に追いこむような武器を作らせることになるでしょう。
そして、『各国の指導者を悪魔が導き、こうした破滅的な武器をたびたび使用させることになるでしょう』
もし、人類がこうした悪魔のなせるわざに反対しないのでしたら、私は神の御子の腕を借りて、懲罰を下さなければならないでしょう。
 また、世界の指導者、教会の指導者たちがそういうことに積極的に反対しないのなら私は御父にお願いして、人類を裁いてもらわねばならないのです。
 この時、神はノアの大洪水よりも厳しく、激しく、人類を罰することでしょう。
そうなれば、『大きく力強いものも、小さく弱いものと同じく滅び去ることでしょう』
 より激しい試練の時は、また教会にもやってきます。
枢機卿(すうききょう)の間で、また司教の間で、いがみ合いが起きるでしょう。
その最中に悪魔が入り込んでくるでしょう。
またローマでは大きな変化が数多く起こることでしょう。
腐ってだめになるもの、堕ちていくもの、これらは教会にとどめておいてはいけないのです。
教会は暗黒に包まれることでしょうし、世界は大きな混乱に落ちてゆくことでしょう」

これは核や原子力など存在しなかった1917年の預言だ。

 マヤ歴を受け継ぐ者が言う。
一つの時代が終わりを告げる時、それまでにしてきたことの清算が行われる。
 それは、ただ清算されるというだけであって、それまでに正しく生きていたなら何ら恐れることはない。
 そして、新しい時代がやってくるのだ。と。

 これをまとめていて、ところで警告となるヨハネ・パウロ・2世ってどうなっているのだろうか?と思った。
 亡くなったような気もするし、亡くなったとは聞いてないような気もして調べてみた。
そしたら、<2005年4月2日>に天国へ旅立っていたことを知る。
 やっとこれを書き終わりここに載せた今日(2012年4月2日)、命日だった。
 
この2000年に出された本の中で、
「ヨハネ・パウロ2世はここ数年で驚く程老けこみました。どんなにもってもあと四、五年の命のようにしか見えません」とある。
そして、
「警告であるヨハネ・パウロ2世の死からそう遅くない10年以内に、4、5年の後に第3の預言である大警告がやってくる」と書かれている。
あの2011年、3,11が起きたのは、ヨハネ・パウロが亡くなってから6年後だった。
そして、
「人間の状態が悪いことが、被害を拡大させる」という状態は、終わっては居ない。と警告している。
 
<1982年5月13日>
ファチマの祝日の日、100万人の巡礼者の前でヨハネ・パウロ2世は自分のことを
「人類無辺の苦難の証人、諸国民と人類全体の上にのしかかる黙示録ともいうべき脅威の証人」と語った。

 聖パウロの祈り。
『人間ひとりひとりと、諸国の民のマリアよ。
私達を脅かす悪の力に打ち勝てるよう、お助け下さい。
現代人の心に、これほど容易に根ざしてしまう悪。
そのもたらす計り知れないもろもろの結果によって
すでに現代人の人々の命を危険にさらし、未来への道を閉ざそうとしている悪から私達をお救い下さい。
飢餓と戦争、核戦争、計り知れない自己破壊、あらゆる戦争より、
主よ、私達をお救い下さい。
あがないと救いの無限の力、神の力が世界の歴史において再び発揮されますように。
神の慈愛が悪をおしとどめ、人間の良心を正し、
あなたの汚れなき御心によって、希望の光が全ての人々に示されますように』


 大事なことは『祈り』だという、一見無力に思える何の役にも立たないように思えるこの行為が、愛と希望を見失わない一筋の光となる。

パンドラの箱は、開けてしまった。開いてしまった。
核を動かした時、こうなるしか、道はなかったのかもしれない。
そこから出てきた悪魔(構造と放射能)と戦う。
そして、希望に向かって歩み出すのだ。
 
ペスト(カミゥ)の中で、医者リウーは言う。
「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?