関わるということ
ウサギは寂しいと死ぬんだよ。と聞いたことがある。
ローマ帝国の時代、フリードリヒ2世という国王が人間は放って置いたら何語を話すようになるのか?という疑問を持ってある実験をした。という。
それは、当時沢山居た捨子(産まれて間もない赤児)を集めて、一切言葉を話さず、目も合わさずコミュニケーションをとらずに、でも栄養状態と温度湿度の環境は整えて育て、いつどの位でどういう言葉を発するようになるのかを調べようとした。という。
そこの子供たちは、2年以内に全員が死亡した。
ヒットラーも同じ実験(保育者が一切目を合わさず、抱かず、声を掛けずに環境だけを整えて育てる)をして、そこの子供たちも全員が死亡した。と聞いたことがある。
このコロナの時代がやって来て、人と人が関わるということについて新しい考え方が必要になる。
ニューノーマルという新しい考え方は始まったばかりのようだが、実はお釈迦様が言っていた事から一歩も外れてはいない。と私は思っている。
孫悟空が、お釈迦様のその手から飛び出て世界の果てに着いたとそこに立っていた柱にションベンを掛けて意気揚々と戻る。
しかし、その世界の果ての五本の柱は、お釈迦様の指だったように。
フツウはこうでしょう?と疑問符で聞きながらそれは決めつけであったりする。
誰だってそうだよね。と具体性のない亡霊を仲間にしようとしている時、自分の中に自分は居らず、何も感じようとせず、見てはおらず、聞こうとしていない。だから、考えられず、決められず、ただ闇雲に人に聞き自分を信じることが出来ない。自信がない。
前例に囚われず、亡霊と手を組まず、今、ありのままの自分の心に目を向ける。
それを始めた時に、初めて目の前のことが見えて来る。
子育てについて質問してくる人が居る。
メダカについて聞いてくる人がいる。
聞くのは簡単だが、一度、先ず自分の中に自分を置いて、自分で感じて、自分で考えて、自分で答えを出してみたらいいんじゃないかと思う。
何かと関わる。とは、自分の中に自分を置くことから始まる。
と、私は思う。
かー!
何時もカタイネー、寿玄夢は。