自明性の喪失に陥ったニートの近況報告
極度のストレスに晒されると自分の存在が不確かになるらしい。ここ最近当たり前が当たり前である理由がまったく分からなくなり、自分が正気であるか否か判断がつかなくなっていた。そこで自らが正常な判断を持ちうるかどうかを確認するためにゲーム開発を行った。用いたエンジンはGame maker studio 2。日本での知名度は低いがUndertaleやDownfallなどの開発に用いられている。
根本的な話だが、ゲームの中にバグがあれば結果として出力される。そのためバグを排することである程度最適解というものが見えてくる。何かの目標を設定し、その実現の障害となる要素を極力排するということ、それによってゲームがより生き生きとして確からしいものになるということは、自明性の喪失という自らの問題の解決に少なからず寄与するものと考えられる。というのは、広く自明視されている人間のあらゆる活動(とりわけ社会活動)は、このような視点によって日々行われているからだ。自分の中にあるすべての秩序が崩壊したとき、にもかかわらず社会が機能していることは、自分、あるいは他者の中に備わる自明/非自明に如何によらず、人間の意識そのものを離れて機能と仕組みが存在することへの気づきをもたらした。
究極のところでは機能や仕組みさえ存在の妥当性には疑問が残る。だが相対的な印象として、人の手を離れた機能や仕組みは人の内側にある感覚や意識よりも信頼できるというのが自分の最近の考えだ。人間には出力のブレがあるが、機械にはそれがないというのがひとつの好例だろう。たとえばありふれた数学の問題は適切な道筋をたどれば誰であれ結論に達する。にもかかわらず多くの学生はその答えに至る過程で回答を誤る。それは計算間違いであり、見落としであり、思い込みであり、非論理的な霊感に導かれて問題を解こうとした結果である。このニートもまたそうした人間の過ちをよく経験した。しかし電卓は違う。電卓は日本の社会情勢がどうあれ1+1=と入力すれば必ず2と答える。1+1=2と答えたら人類が死ぬという状況でさえ2と答える。銃器はここぞというときに白旗を挙げた人間に情けを起こしたりはしない。原子爆弾は人間の愛おしさから不発することはなかった。
この感覚から類推すれば、ゲーム開発というのは自明性の確認に適している。先に述べた通り、人間の不安定な精神状況にかかわらずゲームはバグがあればバグを出力するし、それがなければ問題なく機能する。ゲームを問題なく機能させたということは、翻って自分がただしい判断をしたことの証明になる。もちろん、これは論理的思考という解釈を前提とした場合の話だ。だがともかく、これは自明性の構築に大いに寄与する。したがって当面はゲーム開発を行っていこうというのが目的となった。
さて前置きが長くなったが近況について報告したいと思う。自分は何も知らない状況からゲームを作ることを試みた。しかし何をしたらよいのか、何をつくりたいのかという目標を持ってはいなかった。ともかく仕組みを知ることが第一と考え開発元のYoYoGamesが提供するYoutubeのチュートリアルをまず見ることにした。シューティングゲームの作成についてひと通りのレクチャーしており大変ためになった。次に別のチュートリアル動画を見ることにした。これはどこか別の個人が提供しているものだ。同じくシューティングゲームの解説だったが、動画数が多く途中で飽きるなどして、どうにか一か月かけて見終わった。この2つのチュートリアルを通じて、GameMakerStudio2の仕組みの大半は理解できた。またGML言語の運用の仕方にも慣れてきた。
このあたりから、最低限の自明性の構築という当面の目標は達成されたように思われた。指示に従いゲームが問題なく起動することの感動は、曖昧だった自明性への信頼をもたらし、思考をクリアにしてくれた。さて何をつくろうかと考える余裕がようやく生まれてきた。実のところ、自分が開発したいと思っていたのはシューティングゲームではなかった。RPG、とりわけアクションRPGが開発したいというささやかな思い入れがあった。おそらくundertaleやmother、RISAの影響が強いように思う。そこで次の目標はアクションとRPGのチュートリアルを学ぶことにした。一連の動画が見終わったら記事にしたいと思う。
ところでいくつか懸念がある。それは自明性の回復が見られたことによってゲーム開発の動機が揺らいでいるということだ。はっきり言って今の自明性があればニート生活は十分可能である。ニートの生活は食べて寝ることの自明性を確保すればそれだけで済んでしまうからだ。もはやゲームの開発によって最低限の自明性を確保する必要がないのである。朝起きて家から出される食事を摂り、ゲームとネットをしながら細々と暮らすのであればこれ以上の言及はいらない。
しかし曲がりなりにも1浪してまで受験勉強に投じ、大学で4年間学問を積みあげた人間であれば、否が応でも気づいてしまうことがある。それは自らの自明性の欠損が社会への参加を妨げているということ、社会に関わらなければ人は生きていけないということ、それゆえ自明性は拡大されるべきであるということだ。ニートにとって個室とはひとつの夢の王国であり、そしてニートとは一人の王である。この物語を採用するのであれば自明性は確保されるであろう。しかしテーマパークの裏には多くの従業員の苦労があるように、夢の王国を維持する裏では関係者の多大なる苦労がある。生きてるだけで丸儲けとはよく言うが、ニートは何ら利益を生み出していない。むしろ負担である。大声で喚き散らし、無理にでも夢の王国の神話を押し付けることはできる。だが自明性が喪失し、あらゆる現象に違和感があるとはいえ、いつまでもこの負担を誰かに強いるのは抵抗がある。誰かの幸福を奪って自分の幸福としているからだ。そこで自明性の適応範囲を更に拡大して社会に出て自立することが必要であるように思える。
ニートにとってこの種の事実に言及するはタブ―であるように思われる。が、やはりそこから目を背けることはできない。この達成に寄与しないいかなる主張も全て虚言であるように思う。なんとなくだが。自明性を喪失した個にとって、それ自体が自明性の体現である社会は輝いてみえる。自分はそこに接近したいのだ。しかし、どうやって?社会はGameMakerStudio2のようにはいかない。ある個人の歪んだ認識の出力は、その認識のまま返還されるのではなく、更に歪んだものとして認識される。それが人間だ。自分と相手には互いに相応の理解力があるという確たる信頼を持たないニートには、ハローワークに行くことすら恐ろしい。
この恐怖を克服するには、最低限の自明性だけでは駄目だ。自明性を拡大し、それを洗練させ続けなければならない。そのためにはゲーム開発はもちろん、あらゆる身の回りの現象の妥当性をもっと再確認しなければならない。訓練と持続である。GameMakerStudio2で得た知見のごとく、単なる印象ではなく具体的な数値と根拠と情報に基づいて、現状を理解すること。今自分の置かれている立場を正確に把握する。自分にできることとできないことを理解する。事実を認めたくないという感情を排し、機能と仕組みを利用して現実を客観視する。
ここまで偉そうな言説を垂れてきたが、今すぐそれが実現できるほど自分は健全ではない。現実的に言えば、今の自分は自明性を喪失した病人である。社会への接近という目標ですら、自明性が崩れ去る前の認識、つまりかつて存在した自明性の中から類推したにすぎない。今の自分にそれを信じられるほどの心はない。したがって所詮は口だけということになるだろうか。だがともかく認識はした。自己の自明性を拡大し自己の専門家になれば、自己の意思決定を誰かに委ねずとも自己の思うままに動かせる。そうすれば何か行動を起こすとき、いちいちはじめから自己の自明性について言及しなくて済むかもしれない。その状態にともかく自分を持っていかなければならない。だから今は夢の王国で王になる。恥ずかしい話だ。しかし自己を見失った人間にとって、自己を知ることは避けては通れない。
おまけ
GameMakerStudio2の有力な情報源
◆初心者でもできる!ゲーム開発
GameMakerStudio2に関する数少ない日本語サイト。
初心者向け。かなり信頼できる。今後の情報更新に期待。
https://hellomanaki.com/
◆Game Maker まとめWiki
GameMakerStudioのGML言語についての解説。
2ではなく1のwikiだけれど、中身はほとんど同じ。
開発の必需品。これがあるだけで開発効率が劇的に上がった。
英語が読めない/読むのがめんどくさい人間は必見。
https://www.wikihouse.com/GameMaker/index.php
◆Youtube
言わずと知れた動画共有サイト。解説動画の宝庫。
大抵のチュートリアルはここに網羅してある。
https://www.youtube.com/
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