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必要なもの

歳をとった。人生100年なんて冗談じゃない、絶対に嫌だ。

あなたの夢は?と聞かれなくなった時、いつの日か「可能性が無限大」ではなくなった時があった。
それぞれ、やりたいことでその時を感じる年齢は違うだろうけど。

私はそう感じたとき、唖然とした。
そうか、あとは遺された人生をどう生きるか、なのか。と

ただ、私は、歳を取ってもできる仕事を持っている。
たくさん持っている。
母が、女性は「腕に職」がないと、本当に何かあった時、体力勝負になる、と。
私は生まれたときから、病弱だったから、焦った。
早めに何かを取得しておかなければいけない、と。

実家は、父と母が読書家だった。
絵本はほとんど買ってもらえず、本棚にある本をたくさん読んだ。
テレビを面白いと思ったことがなかったので、
私は小学校前から児童図書を読んでいた。

そして本の虫になり、本中毒でもある。
特に誰にも言わなかったが、まわりがあまり読書をしないということにも気づかなかった。
姉も本をいつも読んでいた。母も、父も。

というわけで本を読んで、感想を持つ。
いろんな表現法や、その人の癖、書きたいことが伝わってくる、
自分も文章を書くことが多くなる。
自分の気持ちを纏めたい時は特にたくさんのページに日記を書いたものだ。

そのせいか、人に相談しない人間になった。自分は自分である。
この本が好きで、こういう感情が好きで、こういう感情で感動する、涙する。
それが、人それぞれだった、みんな違うのだ。
だから、自分の人生は自分で決めようと、一生できる仕事を探そうと思っていた。

小説家になりたかった。本当は。
本が好きだったし、書くのも好きだったから。
しかし、これは本当に一握りの人しかなれない。続かない。
はっきりした仕事でなくてはならないからだ。

和裁、洋裁、これは得意なので、大学を出てから専門学校に通ってみた。
ただ、和裁、洋裁は、得意だけれど、あまり好きじゃない。それにそんなに稼げないだろう。

他には、小説のあとがき作家、これはどうだろう、と思った。
小説に必ず付いてくるあとがき、いつもあとがきを読むと、
「こんなんだったら、あたしの方がもっとうまく表現できる、なんだ、こいつ」
とまで思っていたが、どうすればあとがき作家になれるのかわからなかった。

結局、必要なものは常識・勉強・法律・税金・各手続、これは、
会社で習った。経理や人事の仕事、ほほう、こうなっているのか。
手形のことや、書類の書き方、など。
経理の資格を取る、秘書検定もとる、PCトレーナーもとる。

会社の頃はPC研修のトレーナーだった。長くやっていたのでいつのまにかチーフになった。でも実はそんなに向いているとは思わなかった。
人を纏めるような、そんな器量はなかった。興味がないからだ。
チーフになって、いろんな思ったことをそれぞれに指摘すると「怖い」と言われるようになる。

その前に、勉強しろよ、と言いたかった。
そう、なには無くてもどんなことでも必要なのは「勉強」である。
人は教えてくれるかもしれない、面倒だから人に聞くとしよう、それも
わかいうちだけだ。
近道する人は、いずれ、苦しむことになる。
基礎から学んでおかなければなにも習得できないのだ。

勉強をすること。学校の勉強というより、自分を磨く自分を高く売る勉強だ。それは何でもいい。

私はPCは会社に行ってる時だけで、あとは家でできる資格をいくつか取った。
家にいるのが好きだったからだ。

父が書道の師範かなんかで、子どもの頃よく、近所の子供が習いに来ていた。流れで私たちも書道をやっていたが、会社に入ってからは、やめてしまった。書道は書道家になるか、筆耕しかない。

ということで、結婚してから働きながら硬筆1級の資格を取る。所謂美文字。
これを持っておくと、添削員になれる。
これはかなり重宝した。手紙も書く、代筆もできる。
もちろん、字だけでもなく、感想文も書ける。

学研、Z会の赤ペン先生、その後は小論文の添削員、ずっと10年以上。
字を書いただけでお金になる。字は絵である。バランスの問題。

ただ、良い大学を出て、良いところに就職しても、辞めてしまえばただの人。
病気になったらどうする?
そう思うと、特別な何かを持っているほうが得だ。

常識や、法律、行政など経理なんかの知識があると、ある程度損しないで生きていける。
知らないと、バカ丸出し。いい年して、なにしてたの?と急に「いい年」になってしまうのである。

バイトは、できるだけ勉強になるところへ行った。
学生の頃は歯医者、塾の先生、税務署、役所、区役所、など。
民間で働いていると、役所の仕事は、、、、、、
ただ、いろんな手続きを知ることができる。

というわけで学校の勉強も大事だが、必要なものは知識である。
得意なものの知識、生活における当たり前の知識。
そして、本を読むことだ。
本を読めず、文章が書けない人が増えている。
悲しいことだ。こんな素晴らしい本を読めないなんて。

私は本を読んで人生が変わった。そう言っても過言ではない。
知識と、感動と、感想を持つ、こんな人がいる、あんな人もいる、
実際にテレビやディスカバリーチャンネルなんかで見るものでなく、
本を読むと、BGMがない。
人間はだいたい、BGMで感情を動かされ、ドラマを見て盛り上がり泣くらしい。

私は突発性難聴になり、両方の耳が今聞こえにくい。
なりたてのときは、手話を覚えようと思った。悪化の一途だったから。
そんなとき、ろう者が言ったのは、「音楽を聞いたことが無いからドラマでは泣かない」と言ったのが印象的だった。

ドラマは、音楽で「楽しい」「かなしい」など盛り上げているのだ。
だからつられて泣いてしまうが、大した内容じゃないともわかっている。
そうか、音楽のせいか、と思った。

小説は音楽はない。なのに、号泣する本がある。
電車では読めないぐらい泣けてしまう本がある、
そんな本を読めないなんて、今の人は知的好奇心がないのであろうか。
ドラマになっても、とらえどころが違うと、同じ小説でも全然違うものだ。

同じ題名の小説を読んだな、と思いながらドラマを見ていて、
「げ、あの小説が原作でなんでこうなるの?」と思うことが多い。
本はほとんど読んでいるので、がっかりしたくない、
好きな本が映画化されると、心してがっかりするのを想定して見に行く、
一応気になるからだ。

でもやっぱり、帰りは激おこである。なんなんだ、あれ。

別のものとして、考えるのが一番いいだろう(自分が傷つかないであろう)

必要なものは、生きるための知識である。
近道は、自分を苦しめるだけだから、教えることができるよう勉強してほしい。

それには年齢は関係ない。私は死ぬ前の日まで、本を読んで、
何か上達させていきたいと思っている。

なんだか、こう纏めて書くと
かっこ良すぎである(照)

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